2007年12月9日

言語文化論

知識人は幾ら複雑な文字概念を利用しても可なり。一般に読ませる必要もない専門書内にては知識を求める者だけが理解しうる学術語を自在に駆使して、毫も余す用なし。漢字かみくだきは一般書籍における流通の便利にて、専門書の用例にはどれだけ古籍のどれだけ難解な字を多用しても概念自体の理解が深まる方がずっと良い。
 薄めとにつめの濃淡に幅があればあるほど語有の表現力は高まる・蠹魚の懐。最古典から最新聞までを貫く文脈を游ぐのは一匹の聖賢に他あるまじ。カントが『純粋理性批判』の冒頭に曰く、古義は造語より賢明なりと。至言なり。孔子は述べて作らずと。文学聖書とは古今東西の真理編纂なり。
 流行表現のかみくだかれた軽快は時代感覚を伝え、古典表現の重厚厳格は文化核心を深む。両方の折衷が言語文化ならん。