2007年12月28日

現代社会学

国際協業の最小単位説。社会ある限り人間には不条理の余地あり。故に人間には仕事あり。人間の不条理を齎す物は我々の間の偏差であり個性である。個性間には競争状態、乃ち支配‐被支配の上下関係が必勢と成る。而して人間には永久に社会関係以外は存せず。人間にとっての仕事は多少あれ調整可能な体制構築であるだろう。というのは配分已の体制ならば自然界に等しいのだから。資本主義は分業の有意に偏差競争を利用しようとする。だが、何れ程人間が要請した所で彼等に理性ある限り、我々の経済は福祉の為に存在するに過ぎぬのだ。社会を築く理由はそれしか無く、福祉を逃す行いは犯罪とされる。中福祉体制は国際的にのみ有効だろう。貿易差額を差し引きした結果、あらゆる国々に最大多数最高幸福が発揮される様でなければならない。従って、国際分業も又、福祉経済の手段でしか有り得ない。行き過ぎた貿易摩擦は折中する意識の上で解消されねばならないだろう。寄付は摩擦解決の最良の方策の一つだろう。民族に文化個性が普通である限り、我々の間に国際競争が起るのは自然でありその完全否定も必ずしも功利的ではない。かと言ってある強壮個性が多様系を破壊する場合、これは生態系の本末転倒なのであるから、我々としては貿易blocを用いて適宜保護貿易を強化する必要を負う。国際協業とは分業間に永続的な共生関係が築かれた場合の国家間関係を云うのだ。必ずしも傘下でなく、相利であれ偏利であれ多彩な共生関係の構築は我々の文明を安定化させて行く。
 他方で、如何なる癒着も大企業病に陥る危険を伴う限り、これ等の協業とは飽くまで国家という最小国際単位の維持促進を前提する。国家消滅は幻影に近い。例えば、人倫の王国に於てすら、storgeそのものや家族は失われまい。偕老同穴は人倫の基なり。却って家族の絆は単位系として堅固になる許りでは在れど。