2007年12月14日

道州制度論から地方制度論へ

巷に道州制の清談がやかましいが、東京のみを分離した「地方分権の強化」という本義に遡れば現在の地方区分をそのまま、新たな行政区分として導入すれば良い。

 すなわち、北海道・東北・関東・東京・中部・関西・中国・四国・九州・沖縄である。そして州などと言う外国制度に紛らわしい模倣の名称をやめ、たんに地方と名乗ればいい。近代整備の基礎である都道府県は維持したまま、各地方の主要都市に、新たな「地方名の庁」を位置づければいい。例えば関東庁とか関西庁とかいうふうに。それらは現行の各地方都市に分権性を強化するだけで済むので無駄な経費も要らない。
 各地方庁の統括役は首都に置いた「地方省」が司ればいい。

 これらの既存の地方性というのは、風土に基づいて国民にもう定着しているものであって、わざわざ地方分権強化という大原則への国民全員の合意を求める必要すらなく、一言話せばほぼ直観的に分割方法の共鳴が十分得られるだろう。
 官民両方に無理な合併を誘う説が流布しているが、それが姿を変えた共産制度の強要でないと言うのならはじめから「経済格差はなければならない」のだ。よって各種の経済力に従った等分割案は周知一目でマルクスの亡霊として破棄されるべきだ。
 各県各市町村には彼らなりの風土産業特性が存在するのであって、単なる都市化が目的ではない。健全な文明発展競争を求めるのならGDPのような安直な経済力で分類するのではなく、各地方の文化個性を尊重すべきである。文化は飽くまで自律を要求する。それは国家のみならず地方自治においても同様である。現行の地方区分は自体が風土に基づく自然なものであり、それだけみずからの長所を活かした成長への改造がしやすいだろう。