2007年11月19日

基礎教育論

2007年11月10日付け朝日新聞4面に学習指導要項の作り手へのインタビューあり。
 一に曰く「高校卒業資格試験」を行いその成績で大学が選抜すべしと。二に曰く国際的に劣る応用力を鍛えるべく「言語力」を重視すべしと。
 我おもわくば日本成人の知的意欲が低いのはひとえに科挙型入試の弊害なり。勉強は明治維新とやら勘違いしたる日本人独特の語句にて、通常は学習・learning・まなびという程度の自己啓発のきっかけづくりが後生育成の謂いなり。勉強嫌いを育てる義務を超えた高等教育とやらにはなんの先進国性ありしや。前二者の提案に一考の余地あるは当然なれど、問題の根は科挙の風がはびこりたる日本人の教育思想にあり。義務教育を超えれば自由主義教育を広めることこそ成人の科学理解度を高める要件なり。学習好きを育めばわざわざ奨励大金を投じて教えずとも各自勝手に学術研究は進む。各種研究機関も私資本を投じる趣きも民間に自然発生す。元来知的好奇心の芽生えありし秀才の種は受験摩擦に費やせば二度と伸びず。

 又、イギリスにて義務教育修了を16歳から18歳に引き上げる方針あり。朝日新聞2007年11月17日、8面。日本の教育方針進退如何。
 我おもわくば勉強嫌いを無理な勉強に追い込むは益々不良を不良化するのみ。人間には向き不向きあり。勉強嫌いには様々な仕事ありて、国際水準の平均知を涵養できれば、自ら欲せざれば外発的には充分なり。孔子曰く憤せずば啓せず、悱せずんば発せずと。誠に至言なり。また一面を明かせば元来勉強不可能の愚は生存格差により自然減数が肝要なり。これらを犯罪に走らせぬ為の受け皿に、世界宗教法人および最低限度の生活保障を充実興さぬベからず。我自由主義高等教育をば啓発的大学環境と信ず。この大学環境は日本の現代には存在せず。