繁体と簡体を止揚した日本漢字の執るべき途は、自然淘汰というべき使用例に即した抽象過程に他ならない。少なくとも傑作文学はこの脱文脈的な模範となる。
若し無理に中央集権力が省略すれば文化的伝統は断命し無明がはびこるし、同然に、若し新たに民承で自発創られた合理的用例を無視して古典偏重に依れば、文字そのものが死文化と化す。今例を出す。者という字には豪奢の奢に観られる如く、かつては点が付けられていた。「者」は、語源的には、「曰(エツ、のりと)の上に木の枝を重ね土をかける」という、表意的象形である。このかける土の動きを現すのが奢に残る小さな点。それは東洋民族における映像的抽象画の文字的慣例。ところで日本民土において者はやがて老や孝や考などの語源の異なるべつの文字と混同され、「もの」の意味に援用された。者の他のこれらの字において、土とノを組み合わせたような上部は、長髪を横から描いた絵画的象形画例に違いない。とすると、者として現代の我々が用いている文字は、土塁という元来の意義を人へ転用して、「もの」という訓に対する仮借であると考えても大方、さしたる錯誤にはならないだろう。つまり、日本民族は者を、モノというやまとことばを描写するために、城壁にもちいるobject(モノ)と人物というsomebody(もの)を通用させる便利としてきた、いまなお。そこには単なる混用があるのではなく、なぜなら土塁作造そのものには土垣をつくるとか土庸を築くとか、活用的表音を含む別の言葉が充てられたから、むしろ表意の透明な援用がある。よって土をかぶせるという意味は多少後退し、代わりにある典型化された横顔を示す者という日本漢字、いわば日字が創造されている、とここでは捉えていいといえる。日字は漢字の創造手順を消化し、もはやみずからの文化として確立している。それは古今中国における表音主義的中央管理方針とはおよそ別の語文化学的体系である、と認識されるをえる。和字は東洋文化の確立された一類で、語源は漢字に属してあれどもはや単なる中国の言葉ではなくなっている。およそ純粋表意文字へのめあてのもとに。
以上から演繹される事に、既に儲けるという語法において当用される儲なる語句について、最早元来の成立からかなり離れる用法において、「土をかける点」という文化的な手順が手間を省略される事にはある文化力学的な智恵がある訳だ。儲とはそなえる・たくわえる事を意味する、
諸すなわち
諸々の
土垣の形声的構成である。然れどすなわち儲においては、人へ言う者、商い的な仕草という様な判明な通俗的解釈が表意体系にとり適当。これは老孝考などの文字との通過をよくする為に、きわめて巧みかつ緻密に整理された伝承を意味しているにすぎない一例。象形文字文化はきちんと足跡をつけて一歩ずつ慎重かつ温故知新的大胆に抽象されるべき過程だった。そうでなければ直ちに古代との民情関連を断絶し、風紀は荒廃する。即ち正名論。象形表意の進化は地球文明史へ生きた宝を奇跡するだろう。いわゆる時枝誠記の論にあるような
詞と
辞の関係は、近い将来のその基底かもしれない。
上記説の結論を繰り返すなら、我々の字は、もっぱら社会中の自然淘汰にまかされねばならない。然るべく改められる文字体系への規則とは、慣習の合理的な変遷に応じてのみ理想に福祉的だから。