2006年12月20日

政治学

古代、唐の科挙は人民への官戸からの搾取を意図されていたが、あたかも公平な制度として開陳されていた。
 一方ほぼ完全に仕業が透明になった官公庁組織へと文明化が進んでいけば、争いの元になる侵略の誘引としての個々の富と蓄財への過度の利己性が緩和された暁に、無用の長物と化した政府機能としての防衛兼調整の縮小と消滅を予見しえる。人類間での淘汰作用は、軍拡競争の不経済性に比べた共生し易さから、おそらくこの平和な社会造りの気質を他の侵略主義なものより長期には生き残らせるだろうから。

 法の公共は理解の差によって、人々の意識をより道徳化する仕組みだろう。そしてそれは社会にとって中途の段階をこえない。
 法の理解度は人々の中に善悪の格差をつくりだしている、一つの現実策になっている。立法の原理が道徳の理念からのみ考えだされるのも似た構造だろう。いわば共感知能のよい生態に恵む、将来予知の才覚がそこには選択されるべき、といった人類社会の原型質がありそうだ。