私は、とある超高層ビルの屋上から幾多の血球が全身を潤す所を観る。きらびやかな夜景。無限に続く建設の地平。運ばれるのは情報だ。例えば運命がそれであり、自由がそれである。商品として切り売りされた無形概念群はあたかも、活性剤を撃ち込んだ反則競技者の一見禁欲的な食料のように、市場に巧妙な新しさの仮面を被って流通する。人々は
都心にあってはもはや季節感を失くした秋風の影響下で私は、ほてった躰を涼しく包む外気に一抹の快さを覚えている。先づてまで繰り広げられた乱痴気騒ぎは心底から沸き上がる熱情を伴って未だ、この胸に留まってある。複数男女が入り乱れて特殊な今を探索するゲーム、まるで未開人の音頭の様に。孤立して眺めればそれは丁度、夢のように曖昧だ。誰かが誰かに当てもなく寄り掛り、語るべくもない戯れ言を並べ替えて笑い狂う。浮世の衆会とはそういうものだよと、望月が君に話しかけた。虚しく、目的がなく、儚い。無意味だ。けれど、なぜそれを楽しまない。
頭上の星々を眺めよ。舞踏会に興じて今の
私は片方の頬杖を突いて手摺に持たれ係る。世界はまるで興行だ。昨日も明日も知れず、日々を踊り晴らす踊り子の因果に過ぎない。さあ、戻るんだ。我らの世界へ。現在の空気へ。女が前髪を軽く掻き散らして会場への帰りを辿るとき、視点が消失した闇の先には既に、別の小説が待ち構えている。