如何に学び超越的思念へ到達し得たとして、その結果が個人という範囲に限る以上は専ら、二足歩行生物たる哺乳類の脳髄に発達した大脳新皮質の密度に変化を来す丈だろう。よって学問の効用はたんに個人の生活についてよりずっと、それがもたらす社会一般の文明化にあるといえる。これを省みれば、理論のような目的性に由来する学究的人生がしばし、実利性のみを至高の生活の命題と考えるような社会参加型の人々によって大いに軽んじられる事は人類世界にとっての絶えざる損失の漏電点だ、と主張しなければならなくなるだろう。一方、アリストテレス的な理想至上主義者からのpragmatism批判に必ず損耗無いわけではない。
つまり、勉強なる行為が物理的労働という根本な観点に立ってすら、人間一般の知的生活への啓発として社会貢献というruleから自由でありえない。学者の社会性は公に証明されなければならない。