2006年1月12日

社会分析経済批判

中国の数多い無学な人民を道徳的に統治する為に生み出された儒教の「長幼の序」思想の伝来以来、元来農業国である日本に根付き、江戸時代の「士農工商」封建制により完成し、戦後の民主化の果てにも依然として引き継がれた年功序列型人事体系。
けれどもIT革命に因するglobalismがこれを破壊した。


 21世紀の社会大転換はここにある。


 即ち「稼ぐが勝ち」世代と、大衆総下流時代の登場だ。

資本主義的価値観を骨の髄まで沁み入れた「新しい知能労働者=資本家」が誕生する一方、彼らから幾ら搾取されても最低限の文化的生活が可能なので平気の無気力な大多数が大量消費社会へ適応した大衆の像として現れるだろう。

 もしマルクスが正しければ、この先に真の共産主義への展開がある。しかし現実に、我々は一部の資本家の輝かしい智徳に比して、気力も学も金もない大多数の凡庸な労働者の群に人間性の堕落を看るに違いない。
それが生産様式の変動がもたらす必然の結果だと知るしかあるまい。
果たしてその先に、新たに如何なる「革命」が社会構造を転換させるか今のところ予想は困難だが、我々の経済構図の究極の理想が生産手段の全社会共有化による搾取のない自由労働世界であるならば、我々の未来は常に明るいと信じて働こう。

 凡そ以て経済学に可能なのは科学技術の発展を市場均衡による公私利益の循環へと還元する為の絶えざる理論化でしかあるまい。経営者及び政府は、この説を適宜に真偽判断しつつ在野個人の幸福と、公民全員の幸福とをそれぞれ追求する道があるだけだ。