2005年11月23日

教育機関の社会的意義

独学が教育機関に所属するよりどんな点でも学習にとって有利だとしたら、教育制度は社会福利の考え方以上の何物かではなくなる。学生や教員はその様な公認された保障によって保護される。それは昔学習効率の為だったかも知れないが、高度情報化以後の社会では単なる暇の言い方に過ぎないとさえ思える。しかしその様な教育制度の堕落した残骸から先にもやはり多少の社会的価値はあるのだ。つまり一定の知的水準を維持するダムとして。学歴と呼ばれる肩書きの体制は社会的に、知的採算における資格試験の様な役割を担う。しかしこのシステムの堕落も必至である。なぜなら観想自体を目的にする純粋学術的営為は決して政経的価値に還元し得ない筈だから。よって現代教育の可能性は独学にある、と結論づけるのは自然である。尤も、これを研究と名付けている。研究機関の合理化を推し進める程それは組織体を失うだろう。だから未来の究極の教育は自己教育である。同時にその日まで教育機関は社会的意義を失わずに改良し続けられるだろう。