2024年3月7日

漱石『坊ちゃん』をめぐる茂木健一郎氏による「赤シャツ漱石自身説」批判と、私による「人物造形混在説」解説

僕もその茂木さんの「赤シャツは漱石自身説」(以下引用)を聴いて、解釈として過度だろうと考えました。根拠は『私の個人主義』で漱石が次のよう言う箇所かと思うが、自分を茶化して笑いをとった所で、飽くまで謙遜まじりの冗句かと。実際は人物造形にインテリ面の嫌味さが混じってる程度。

夏目漱石の『坊っちゃん』の凄さは、江戸っ子の坊っちゃんではなく、赤シャツこそが漱石自身だと見られる点にある。本人も講演で認めている。自分の一番いやらしいところ、情けないところを諧謔でメタ認知する。そのような厳しい自己認識があったからこそ、漱石は表現者として遠くまでいけた。
――茂木健一郎

しかし教育者として偉くなり得るような資格は私に最初から欠けていたのですから、私はどうも窮屈で恐れ入りました。嘉納さんもあなたはあまり正直過ぎて困ると云ったくらいですから、あるいはもっと横着をきめていてもよかったのかも知れません。しかしどうあっても私には不向きな所だとしか思われませんでした。奥底のない打ち明けたお話をすると、当時の私はまあ肴屋が菓子家へ手伝いに行ったようなものでした。
 一年の後私はとうとう田舎の中学へ赴任しました。それは伊予の松山にある中学校です。あなたがたは松山の中学と聞いてお笑いになるが、おおかた私の書いた「坊ちゃん」でもご覧になったのでしょう。「坊ちゃん」の中に赤シャツという渾名をもっている人があるが、あれはいったい誰の事だと私はその時分よく訊かれたものです。誰の事だって、当時その中学に文学士と云ったら私一人なのですから、もし「坊ちゃん」の中の人物を一々実在のものと認めるならば、赤シャツはすなわちこういう私の事にならなければならんので、――はなはだありがたい仕合せと申上げたいような訳になります。
 松山にもたった一カ年しかおりませんでした。立つ時に知事が留めてくれましたが、もう先方と内約ができていたので、とうとう断ってそこを立ちました。
――夏目漱石
私の個人主義

「江戸っ子の坊っちゃんではなく、赤シャツこそが漱石自身だと見られる」
という説は明らかに文学解釈としておかしい。何しろ江戸っ子なのは漱石で東京から赴任してきた所まで同じなのだから。自分が坊ちゃんだというと松山人を見下す形になってばつが悪いから、仕方なく学士違いネタで茶化した冗談箇所。
 ここで学士違いネタとは、坊ちゃんは理学士だが赤シャツは漱石と同じ文学士設定なのを理由に、坊ちゃん自身の造形は勧善懲悪の主人公たる自分自身で、松山の教師をからかう生徒のいる非礼さや学位の虚構や、芸者遊びする温泉街の自堕落な風紀を批判している作品と公言するのを避ける、一種の自虐的謙遜。
『坊ちゃん』の人物造形をみる限り、赤シャツにも坊ちゃんにも要素として漱石自身の人格と似た箇所が混じっているし、場合によっては作者は江戸っ子として戊辰戦争被害側同士、会津っぽ山嵐にも新政府批判の正義感の通底文脈で共鳴している様子があり、誰か一人にモデルを定めるのは困難というべきです。