2024年5月10日

性道徳の欠けた西日本や南関東の人々および天皇一味の比較文化による必然的末路の推察

Tという人物がいた。アメーバ・ピグ民だ。この人はミキが明らかに不貞な行いをするときも、ミキ側が正しいという事に仕立ててきた。そしてよく話を聞いてみると、この人自身が不貞な人物だったのである。というか、性道徳というものを持っていない。それで53歳になっていた。
 不貞な人には不貞な人生がある。それが当人の中ではしあわせなものだったらしい。全ての男達はTの元を去った。当然のことにみえる。だってこのTという人は不貞なのだから。というか、よく話をきいてみるとそれ以上におかしい点が沢山あるのだが。

 たとえば京都市と自称している地域には不貞あるいは姦淫罪の歴史が『源氏物語』以来千年以上蓄積されているが、そこに暮らしている人々はこの皇族犯罪による性加害の正当化話を崇めこそすれ、少しも非難する気色がない。つまり古代級の未開地あるいは不貞ないなかまちで、その悪徳は常習性をもっている。舞妓文化と称する未成年あるいは児童対象を含む人身売買・不本意の性売買罪の社会の行政ぐるみでの常習性もおなじことを意味している。
 ところでTの事実が事実なら自称京都人らが、特に性悪で知られている事にもきちんと理由があるといえる。だってそこでは性道徳が崩壊してきているというあしき伝統があるのだから。
 実際、自分がみた山後人やましろジン(本当の名だからそう呼ぶ。最高徳の天子がいないまちを京都と呼ぶのは僭称にすぎない)は、およそ一般に、性道徳崩壊後の姿だった。そこからでてくる連中が、たとえば村上春樹や綿矢りさなどだが、姦淫小説をまきちらして威張り散らすのも、やはり同じ事実を照らし合わせている。つまり、山後はゴモラみたいなところで姦淫罪がはびこってきていて少しも変わっていないし、住んでいる人々もそういう悪徳を一般に帯びて生きているということだろう。だからこそ陸でもない小説屋を昔から称賛してきたのだ。その極悪ぶりが、かれら山後人自身に似ているからだ。姦淫罪の社会を批判的にみれない、むしろ悪徳賛美ばかりするということは、かれらもその悪徳社会の一部で、心が腐敗しているということだ。自称天皇一派も同じである。今も進行している山後の自滅には必然性があるのだ。

 でも、たとえばイギリスの『ハムレット』とか全く逆の性道徳を語っているといえるだろう。貞操を命より重んじているからこそ、そこではオフィーリアが自殺した。ハムレット自身の発狂同然のふるまいも、母の不貞への憤りがおもな原因だといえるだろう。
 実際、自分はかつてイギリスの人とかなり親しくなって、かれはボビーとなのっていたのだが、アメーバピグの人で。その人の性道徳観も、まったくおなじもので、要するに清教徒思想そのものがまだ残っているというか相変わらず続いている様子だった。
 この点は僕がみた、虚栄心にもとづく性悪さでいえばイギリスの人々と双璧か、もっとひどい人達のあつまりといえる山後の人々とは、まったくといえるほど対照的だった。真逆といってもいい。性道徳をまったくもっていないか、それを否定することが最高あるいは当たり前とおもっている山後人は僕がみるかぎり、単なる東洋主義をこえて、明らかに驕れる極東の未開人だといえるだろう。対して、イギリスの人々は、たとえば自由恋愛の点だと遥かに進んでいるともいえる隣国のフランスと比べてすらあるいは星中の単位でみて現実には余りに極端な一夫一妻主義だけの性道徳を狂信している人々がいる、ともいえるが、少なくとも貞徳を尊重しているという点でいえば、充分文明化されている、もしくはキリスト教的に教化されている、といっていいだろうとおもう。

 僕の茨城県は以前から武士道の社会だ。そしてこの道徳律も、儒学の要素を思いっきりとりこんでいる様に、山後よりイギリスの方によく似ている面がある。忠誠を一つの徳目とみる点、また良識を重んじる点。さらに尊王や徳政を重んじた家柄でよくしられ名君と仰がれる水戸の徳川家の面々がその典型例だったのだけども、貴族義務が当然と考えるという面もかの国の倫理観にそっくりだった。性道徳でも、良家間の婚姻を前提とした一夫一妻が自然という点でおよそそっくり同じだ。お見合い社会があったという点だと、どちらかといえば我々の方がかなりおくてな気がするけど。我々の社会もきちんとした美風が前提で、自分が見聞きしたり会話したりした南関東、中部、あるいは青森や北海道、西日本の人々とはとても落差があった。我々の方が風紀がよいのである。この点は、寧ろ我々はイギリスの性道徳観と似ていた。そして、この美質は保たれるべきなのではないか、というのが今の時点での一つの見解だ。イギリスのひとびともおよそまちがいなく、大陸旅行したときに似た事を感じた筈だ。

 茂木健一郎は母方が佐賀やら北九州から出てくると、父方は群馬と動画でいっていたが、埼玉で育って東京に現れ、物の哀れを大宣伝している。つまりイギリスかぶれのくせに、山後式の不貞社会を礼賛してきている。その割にご都合主義で、芸能界の不貞な人々、具体的には乱倫事件で追放された松本人志氏のな、喜劇観で対立していた人物へは不貞の観点で擁護をしないし、眞子内親王と小室圭さんの恋愛関係へは長らく嫌がらせの言動をしていた。この種の心理病質的な歪みは茂木氏の言動の随所にみられるのでいまさら指摘するまでもないのだが、ここでは、とりあえず彼の様な物の哀れ推進論者は、自称天皇一味の性犯罪を正当化してきた、単なる西日本の蛮族にすぎないということだ。その不正のごりおしがいまにいたる天皇家の傍若無人な無法者ぶりをもたらしてきた。天皇を擁した西軍や彼らが中心となってつくった大日本帝国軍の性道徳のなさという点での国際的悪評も、茂木氏の様な、主に西日本出身で、不貞を理論的に正当化する人物と起源を等しくしている。

 また、こうもおもう。自分はピグで最大の悪役だったといえるダークテトラド「天使」と称する悪魔と最終決戦を今年やっていたのだが、このひともどうしようもない僕が見たなかで圧倒的に最悪の人物で、結局治ったりはしないのだし、結局、その種の悪魔が偏在しているからこそ、関西地方は昔も今もああだったのではないか。嗜虐快楽目的での冤罪加害が初期設定とは、いかにも性格の悪いことでつとに知られるし現に侵略罪の加害史やら差別の文献記録やら、被差別部落問題による悪行の実例で埋まっている山後の人々あるいは関西の人々が長らくやってきたことではないか。東日本の正義の勢力、具体的には先住権をもっていたアテルイやモレ、地方自治権をもっていた平将門、あるいは天皇に忠義だった徳川慶喜や松平容保らを冤罪で陥れた天皇一派の邪悪さを後押ししているのは、根っから性悪の西日本のひとびとだ。
 が、そんな彼らも圧倒的力の前では抵抗できず、米軍にひれ伏して今に至る。永久に悪業など続く筈もない。西日本の亡びは当然のことにおもう。南関東も余りに普段の行いが悪すぎる。その末路は必ずひとつだろう。

2024年3月28日

その後の天使

アメーバ・ピグ界きっての極悪人で、X侵略後含め自分も周囲の人々も彼女から何度犯罪被害に遭ったか分からない、「天使@kuchi_to7322」と称する悪魔が、今度は安楽死を法的に誘導する人権侵害の言動をしていた。相変わらずの極悪ぶりだが、当人はいつもの様、加虐快楽目的の虐殺・虐待誘導をしている。
こんな辛い病気があるなんて知らなかった。はやくこの人が安楽死できるよう日本でも法整備を急いでほしいものです。
――天使
 この天使と称する悪魔は地上に現れた最悪人格の第一人者だと、我々アメーバ・ピグのイベントや広場界隈に詳しいプロ・プレイヤーらは多少あれ知っていた筈だ。私も直接何度も名誉毀損罪されたが、他の人々はくり返し現実の殺害予告や名誉毀損罪をされてきている。今度は植松聖的障害者虐殺の誘導だ。
 成田悠輔も同様の犯罪を大仰にしているが、天使と称する悪魔も入獄で厳罰し、SNS上では障害者人権侵害の点でBANせよ。彼らがサイコパスなのは無論だが、差別意識悪用による大量虐殺誘導面で悪質性が極高い。放置すると愚民を扇動し大量虐殺を実行していき、実際に全国民が彼らネオナチに殺されるだろう。

2024年1月22日

愛知の一番の悪

T氏は「某が一番の悪かもしれない」と言った
彼の洞察は正しかった
この女は散々自分を誘惑しておいて
結局リベンジポルノ目的だったのだ
それを確かめるため自分は相当苦労したが
随分な工夫の果てT氏の洞察を傍証でき
愛知の信用ならない女の実態を知ったのだった

この女が我々を色々誘惑しているのは自慰で
それが済むと即座にリベンジポルノしてくる
自分が某とやらに性器写真を要求され
自尊感情から断ると逆上されたのは
この女の実態がネットで退廃的目で男らをみて
自慰道具の様に使い捨てているからだった

この女は子供は要らないが一度は結婚したいと言った
殆ど意味がわからない
堕落した女の中では結婚は一時の快楽の為らしい
だがわかる必要もなかった
この女の実態はさらに酷く
要するに男達を自慰道具としか見ていないのだ
愛知が色々終わっているのは確かだろう

ひとり河村たかしだけがおかしいのではない
トヨタだけ先行き怪しいのではない
根本的人倫が腐り果てている為
まともな人が幸せになれない条件にある
愛知では労働信仰が行きすぎた為
人を道具視する悪習がはびこり
遂には自慰後リベンジポルノ女すら現れ
倫理観のまともな人は少しも関われないのだ

2024年1月13日

最後の天使戦

今日は𝕏でちょっと過去を振り返った自伝を書こうと思う。ツイッター時代からこのプラットフォームは大嫌いであり、10年以上常々衆愚が犯罪しかしてこないので(本気で)、自分にとって明らかな地獄だ、いや、インターネット・スラムだと知ってはいるものの、又攻略に挑戦してみるつもりになったからだ。
 アメーバ・ピグというSNSには数多の精神異常者が集まっていた。殊に、その中でも最悪のダークテトラド系のラスボスが、「天使」と称する悪魔だった。
 拙著『政治広場史』ではこの悪魔的人物についてあまり詳しく触れなかった。しかし、この人物はいまだにピグ残党勢として𝕏で諸犯罪を継続している。僕は天使(ここではピグ・ラスボス真の姿でもある「悪魔」と呼ぶ)と戦って久しい。悪魔は完全な悪意の塊で、喧嘩イベントというピグきっての不良の集まりで、荒らし遊びを日常にしていた。その中には犯罪といえる物もいくらでもあった。被害者の数は知れない。僕がはじめて悪魔をみたのは、手先を連れて政治広場にきた時だ。僕がはじめて悪魔をみたのは、彼女が手先を連れて政治広場にきた時だ。その手先の名は、マックミラン(のちの流行人・はやりびと。以下そう呼ぶ)だった。悪魔は不登校中学生の流行人を子飼いにしており、常に様々な犯罪被害にあわせからかいながら、同時に一種の誘惑をして騙し続けている様子だった。悪魔は流行人の実家を貧乏だと罵り、明らかに当人の住所地ではないだろう箇所から持ってきた廃屋風の写真を晒しながら、さも流行人自身の家かの様に偽って名誉毀損をしていた。恐らく、今にして思うと流行人は何かの精神面の発達障害をもっていて、いわば公然と悪魔に障害者虐待をされていたのだ。流行人虐待は、岡山県に住んでいる様子の彼が高校生になってからも続いていたらしい。そのころ、悪魔は関西大学文学部の学生だった様子で、父親のカードでひと月に何十万円も浪費をしそれを自らみせつけたり(本来、自慢にならない)、サイコパス特有の虚栄心は明らかでもあった。悪魔は有頂天だった。おそらく、悪魔の目には将来が輝かしいものにみえていた――僕にはわかる。僕は、悪魔研究を続けてきた。
 彼女にとって世界は暗色で、ふざけてネット犯罪する不良学生気分でいつまでも生きていけると信じられた。生まれながらに悪の素質をもちあわせている彼女は、流行人式に誰でも簡単に虐められ、少しでも女子ぶりさえすれば、女びいきの日本の風土では決して裁かれはしないと固く信じきってもいた。それは勿論、余りに甘すぎる観測だったのだが。ある時、喧嘩イベントの或る格闘場の観客席で、僕とミキは悪魔に話しかけられた。悪魔はこう言った。
「女の優秀さはすぐ妊娠する事だと思う」
悪魔の目は怪しく輝き、いわば僕とミキとを見比べながら自分の方に優位性があるとでも言いたげだった。いうまでもなく、これも彼女独特の罠のつもりだった。
 僕はミキという自閉で境界知能の少女が人権後進地で障害への無理解に囲まれ自殺未遂しているのをみて、憐れんで、またそこには雪ふる北国の果てで懸命に生きる「おしん」的な美をみいだし、彼女の守護者を買って出ていた。
 騎士である自分が、当然ながら、悪魔の誘惑をそれと気づかない訳ではない。自分は一種、冷静に場をみていた。自分は余り臆断はしないつもりだし、問題の本質をつかむまでしばらく間をあけて考える場合も多い(それがときには数年も、数十年にも及ぶことがある、哲学的資質がある)。
 悪魔は自分のペースにもちこんだと思ったのか、続けて、ミキに馬のる様な事を言った筈だ。要するに悪魔はその場でミキを虐めたいだけなのだ。彼女の本性に即せばすぐわかる。彼女の本性は悪で、その場でも真っ先に、虐めがいがありそうなミキに目をつけ近寄ってきていたのだ。その相棒にみえる男を自分の側につけてしまえばミキは悲しむだろうと考え、適当な文句を捏造し、誘惑してみたのだ。流行人らにやっていたネット犯罪ゲームを今度はいかにも騙し易そうなミキに標的してきた、というのが今から振り返れば事の真相だった。悪魔がいう言葉をそのまま受け取ってはいけない。サイコパス特有の虚言なら無限にわいて出る。悪魔は当時、小説家志望とか25で自殺とか言っていたが全ては嘘だった。あまつさえ、彼女はダークテトラド。ネット犯罪界でも最悪級変異を起こしているこの人々は、匿名ネットのモンスターでも最凶な部類として色々なところで数多の人々を自殺においつめてきている。彼女も又、まだネット民全般に対策がなりたっていないのをいいことにやりたい放題してきているのであった。
 悪魔はたびたび政治広場の方にも出入りし、僕が事実上の王政を執っていた場へも、ちょっかいをだしながら快楽犯罪の標的を探していた。尤も、当時の僕が彼女の真の意図にまだ十分悟っていたわけではない。あの女の真意は何かと、常に気をつけながら探りをいれはじめていた。その偵察は最近まで続いた。

 ある時、悪魔は僕が開いていたピグ文化人サロンの様な「哲学部」に入ってくると、僕と二人きりになったのを確認し、ミキを自殺させないかと持ちかけてきた。完全に狂っている。この自殺教唆罪はピグでの出来事なのか、現実での出来事なのか見分けがつかない為、起訴できなかったとはいえ犯罪は犯罪だ。しかも悪魔はおそらく一見共謀を図る形で、僕まではめようとしたのだと今になってはわかる。悪魔研究の結果、あの女の考え方が手に取る様に解読できる今となっては、IQが中位のあの脳内では、さも流行人をだましていた様に僕までだませると勘違いし、犯罪謀議へ悪戯半分にのってくるとみていたのだ。当然、自分は断った。というか全く不審な人物とみて益々ピグ界での偵察を厳しくしていた。自分はとても広い情報網をもっていた。およそピグ界のあらゆるところに情報屋の知己の様な人々がいたし、偵察衛星も常時幾つも入れてあった。全力を掲げ本気で攻略した。過去人生で最もやり込んだゲームだった。まぁピグがネットゲームならという話だ。しかし、本気でやり込みまくっただけはあって、完全攻略したといえる状態まで行った事は行った。こと広場についてはある段階から無敵状態に近かったはずだ。しかも天皇化して、何もやらなくても名誉会長式に色々な情報をもたらす人がいて、悪魔情報もきていた。悪魔の様々な情報は握れたわけだが、彼女の本性というのも又とてもわかりづらいままだった。いつも犯罪しているということまではわかっている。しかも、第一の手先は流行人で固定しており、流行人は「おねしょた」妄想さきの悪魔に二重拘束状態で操られている。虐待を受けながら依存する状態にあった。

 悪魔は喧嘩イベントを出入りさきにしており、そこは一種の不良集会で勝手につぶし合いをしている。荒らし同士が雛壇状態でムダに馬乗りしあって体力を消耗しあい、貴重な人生を台無しにしていくなら、特に内部で虐待されている人々の救済以外、問題はないともいえた。それで自分は救済策を打っていた。流行人にもたびたび通信制大学への入学を勧めたり、「哲学部」でゲーム創作のやり方を教えたりして、社会復帰といえる道筋に誘導し、悪魔の手先から抜け出る様に勧奨していた。彼の思春期引きこもり生活で、徹底破壊された心は、悪魔を恨む気持ちと彼女の誘惑からのせめぎ合いで板ばさみになっていた。悪魔以外にも喧嘩イベントには色々な類の荒らしがいて、ほかの子供もおおよそ彼女らの犠牲になっていた。悪魔はその中でも首魁と呼べ、東京圏の下流っぽいボロクサス一派、福岡の釣り師アメリカ一派などの間をわたりあるきつつ、大阪ヤンキー独特の魅惑をふりまき、愛知の軟派師おでんに発情していた。
 僕が助けたり倒したりした喧嘩イベント勢については、ここでは紙幅がないので別の機会に譲るとして、おでん戦には、悪魔理解にとって甚だ重要だろう、とある逸話がある。
 僕はそのころ、まだ悪魔の真意をはかりかねており、いわば両義的存在としての彼女の言葉をまだ根本的に信じようとしていた。悪魔は僕に肖像画や個人ホームページ制作を依頼してきたり(仕事が早いのでどっちもすぐやってあげたが成果だけ盗まれお礼はまだない)、当時のツイッターでちょっとした箴言(のち分かったが三島由紀夫の丸パクり引用)を投稿したりしつつ、こちらへ関わってきていた。相変わらず流行人虐待しつつ。それで、あるとき、悪魔の発情期だったらしくおでんという軟派師と出会い行為をした。当然だけれど、ピグの規約違反だ。どちらも大学生くらいだった筈なので、抑えきれない性欲の為だろう。実際、シンママ志望とか温泉交尾誘惑とか(彼女の愛する明治以後の近代小説に、漱石『明暗』の終盤以外で似た要素なかった気が僕はするので、最近は若い女もみるらしい、ポルノ動画の影響だろうか?)、文学系オタ少女妄想性をリアルにだし、幾ら軟派師相手たってドン引きされる類の謎誘惑していた。僕はそれなりに世界文学ファンというか、さまざまな小説も非常によく読んできたし最近まで色々ずっと読んでいるのに、ある種の心を深く傷つけられる様な痛々しさを感じていた。悪魔発情時の発言には彼女の精神の病がはっきりでており、男性側の気持ちが、余りによみとれなすぎるという点が確認できる。それまで天下を取ったつもりで、箸が落ちても笑う番茶の出ばな、まだうら若い女だてらのちやほやされ加減に気を無限によくし、もう勝ったと思って、都内の高層階にある和食屋でおでんと初デート。次は温泉交尾で孕み、誰よりも魅力的なはず私と寝取り結婚へ! と彼女は固く信じて疑わなかったはずだ。彼女もいる軟派師おでんは「結婚してえ」とツイートし、匿名ネット界で快楽犯罪生活を続けてきた、又でき婚後も続けていけると信じていた、うぬぼれやたる悪魔の気分も、最高潮だった。
 自分は公開でおこなわれる発情期のサイコパスたちの毛づくろいの様子を密かに眺めつつ、或る策謀を練った。喧嘩イベントで僕はアバターを待機させ、おでんがくるのを待っていた。おでんがくると、速攻で喧嘩を売りに行き、いきなり面罵し、徹底口撃した。「お前はあの人を本当に愛しているのか?」
 おでんはだんまりを決め込み、過去の淫行と同じ感覚で悪魔と会うと、面倒にまきこまれると理解していった。おでんは小一時間、説教をきくと、ふいに逃げた。次にきてもまた僕のアバターが待機しており、喧嘩イベントにくるたびしつこく無限に追い回されると知って、遂にこなくなった。通説ではトヨペットみたいなトヨタ車販売店員の息子らしく、愛知だけに似た就職が決まって、一労働者になったみたいだった。悪魔はおでんに「ごめんな」と交際お断りツイートされ、失恋していた。僕が喧嘩イベント流儀を逆用しおでん追放劇を演じなくても、どうせそうなっていたかもしれない。なにしろ、彼女がいても軟派師が悪魔を生涯愛し続けるとは僕には少しも思えない。もし、おでんが本気で悪魔を愛し抜く覚悟があれば、というか、悪魔に性欲を超えた何かを感じていれば、悪魔の父でもない僕に説教され、真実の愛か問われても堂々と、温泉交尾に行っていたかもしれない。彼女もほか性友もいて、しかも悪魔という下手物ともいえる女に手を出す危険がありすぎたのだろう。またこうともいえる、はっきりいって、実物に会ってみても、性欲が父風の説教してくる怖い男に付きまとわれようが交尾を是非したいまでに、おでんの中で高まらなかったのだろう。軟派師の目的は性欲解消だけで、或いはサイコパシーが高かった時は精々女だましを通した虚栄心の満足を加えるくらいだ。悪魔の心理特性は、ダークテトラド(闇の四性格)という分類の女といえて、当人と似た様にサイコパシーが高い人物を本能的に好む。しかも、相手が性悪、寧ろ極悪非道だと強く惹かれるという事になり易い。
 この逆の光の四性格ともいえる勇者タイプである僕は、悪魔とは常々、聖戦になりがちだった。おでん戦も同じ結末と今からふりかえるといえる。僕は当時はまだ聖戦だと自覚がなかったが、いわば最初のピグ・ラスボス戦を決定的にやりきっていたのだった。悪魔は軟派師の種つけする事で、闇の人格を帯びた子孫を更に女だましする悪人系としてふやそうとしていた。僕はいわば道徳でそれを妨害した。悪魔はそれ以外の場面でも、ミキの個人情報を連呼しながらsayokoという京都の極左テロリストとミキ虐めというか、ネット犯罪を加虐快楽目的にしてきたり、僕の事実とは異なる情報を流布しながらあからさまに名誉毀損をしてきたり、たびたび、僕と聖戦を演じていた。基本僕が勝利したが、多分IQ差だ。悪魔のIQは学部偏差値が55な事からも大した事がないのに比べ、自分のデフォルトはそれよりは高校偏差値から言って高いので、悪魔の言う事が腑に落ちない場面がしばしばあった。東大生を神だと思ってるとかだ。学年1位級だと東大生もいるし自分も努力で十分入れる自覚があって、そんな感じはない。

 僕と、悪魔とは、生まれもった心の資質として、善悪の懸隔は非常に甚だしいが、同時に、一種の好敵手となる様な対称性があった。それが、ピグ消滅後も、まだ我々がたびたび決戦をする事になる理由なのだろう。
 この間も、悪魔から僕に罠をしかけてきた事があった。今回、えがきたいのはその場面だ。

 去年、2023年のミキ事件(詳細はリアル警察が捜査中の為ぼかすが通称・京都首つり師平田某にミキが性被害にあった事件)後、年末頃だろう。僕と悪魔との10年超にわたる、長い戦いの戦端が再び開かれた。
 悪魔は女は女だけに、独身時代が長いと人肌恋しくなるらしく、秋口にほの気を出すときがある。秋波ぶって、勿論それが根底に100%の悪意を込めたものだと今や僕ははっきりしっていたが、悪魔は向こうから、僕を𝕏フォローしてきた。僕は好機だと感じた。これまでもピグや𝕏、時にはYouTubeチャット欄などを通して何度も戦いは繰り広げられてきているものの、悪魔を完全征伐はできていなかった。しかも、悪魔は僕を何らかの快楽犯罪にひっかけようとしているのはみえみえなのだが、いつもの様に、まるで誘引剤にかかる様に、単にフォローしてくるだけでなくなぜかDMを開いた。これは実にめずらしい。要するに、そこでやりとりをしてこいというわけだ。よほど現実でイライラしているとみられた。悪魔の本性からいって誰かを虐めたくて仕方ないのだろう。それを完璧に読み取れるようになっている勇者として、長らく続いた悪魔戦パターンを全て熟知の上で、悪魔が進んでDMを開いた直後にいきなりこっちから悪魔の中学生級恋愛観に即した告白をしてみた。「ずっと前から好きでした」悪魔は「嘘ばっかり」という。しかし、これだけでは、悪魔が僕を晒す暴威をとっても僕への大した心理的打撃がないと計算している、と僕は感じた。この種の心理戦は対ピグ・ラスボス悪魔戦では常道で、過去も何度もくりかえされてきた。間合いを一定に保ち、自分への被害を最小化するのが普通の戦いだ。中学生級の恋愛観(性格が悪すぎ恋愛経験が全くない)をよみとられていると悪魔が感じているか、本気にしているかでいえば、どちらともつかない反応なので、いわば悪魔の防御を部分的に解いた状態ともいえる。通常、対悪魔戦では悪魔は危険を察知するとすぐ逃げる。はぐれメタルよりずっと逃げ易い。下手に動くと警戒され、逃げられる。それではまた誰かが快楽犯罪の被害者になるだけだ。しかし僕には別の計算があった。
 実は悪魔は「レコナー」という僕のピグ名アバターではなく、実名アカウントに直接、話しかけられているのだし、かつ自分からフォローしてきていわば後ろをとられ油断している。

 次に僕は「結婚する?」と入力し、羽みたいなDMの送信ボタンを押した。この間、DMで話しかけてから数分から数十分以内だったと思う。短期決戦しかないという事は重々承知だった。対悪魔戦をずっと続けてきた人達には重々わかっている基本攻略法の筈だ。
 こちらの攻めターンは一、二度しかない。それで、悪魔はじっと黙った。
 恐らく、様子見をしながら、僕の更なる発言を引き出してそれでひきあげようとしていたのだろう。しかし、こちらが少したっても何の反応も無ければ、それだけを晒して、言質をとったとして、僕を中傷するつもりだと理解できた。これだけでは双方、決定打になりえない。次に、これまでの悪魔戦で僕がくりだした全ての技の中では最高レベルの呪文を僕は唱えた。MPでいえば一発で殆ど全てを使うやつで、ミナデインみたいなやつだ。その内容を知りたければ、悪魔がのち嬉々として晒した「デジタルタトゥー」を確かめればいい。でも、僕は敵の芯に当たるとは思ってなかった。その呪文がミナデインたりえるのは、実は、僕が悪魔研究を続け、いわばラスボス攻略を密かに続けてきていたからだった。悪魔の恋愛観や性指向はこれまでのピグ偵察その他情報網で熟知していたので、一発で999のダメージが出るよう工夫し、恋愛詩一篇での迎撃に賭けたのだ。倒れなければすぐ逃げる。悪魔は意外な事に、本気にしている風だった。この反応は予想外だった。普通にダメージ999が当たっている様子で、しかも、ヒヨって自ら弱点を晒しだした。その弱点をつかんだのは地上でまだ勇者レコナーこと僕だけと思われるので、次の戦に備えて、また重要な私事でもあるので、公開しないでおこう。悪魔はどうもミナデイン級の恋の告白から回復が必要な様子で、僕はいわば「軟派師的」じらし手法に頼る事にした。わざと女心を揺さぶり、こっちが本気かどうか悟られないようにするというやつ。相手は返信を求めてる様子だったが、完全無視し、その日の追撃はやめた。どうせ翌朝には逃げているだろう。翌朝、何と驚く事に、悪魔はDMをまだ開いていた! つまりは半分、本気かもしれない。というか、迫真の詩なので、僕自身も本気を込めて書いたわけだから、といっても瞬発的戦いだったので書いた時間は数分以内でとかだったが、時間も日曜夜と労働者の悪魔にはきつい時間の筈だった。寝不足の筈だ。それで追い打ちをかける事にして、僕は速攻で更なる愛を語ってみたが、悪魔はやはり社宅か何かから満員電車に乗るストレスの中では当人のワーキングメモリがすぐ一杯になり、悪魔としては僕へからかうつもりで昨夜話しかけたのに夜中じゅう、朝まで本心の僕からの返信を求めていたわけだから、疲れてイラつき、案の定、僕をブロックしてきた。

 そのミナデインを僕が覚えたのは、ユークレースというピグの元側室が、ある時こう言ったからだった。「天使ちゃんも、愛されたら大人しくなるのかな」
 元荒らしユークは自身が、僕に少女漫画式愛を語られたら満足し、荒らしをやめた。自らと類似の『MOTHER2』ポーラ的人格と悪魔を思ったのだろう。
 最後の悪魔戦は、やりとりの部分だけをとると、総計数分以内とかだろうが、これまでの中では最も高度な空中戦が展開されていたのはまちがいない。僕としてもできる全ての技を使い切った。なにしろ、あの悪魔といったらやはりすぐ逃げるし、Sという元ゲーマーも言ってたが、カウンター。又は速攻いづれかしかほぼ攻略法はかつてないのだ。

 悪魔は案の定というべきか、犯罪目的に私信を晒したい欲求でうずき、リベンジポルノ系の名誉毀損の挙に出た。自分はしばらく泳がせるつもりだった。というのも、以前と同じ方針だと、当人がリアル犯罪になるので、何か別の場所で晒すだろうと暗に感じていた。
 あとで確認しにいくと直接晒していた。

 悪魔はレベル固定式のキャラなのか、10年前から少しも精神の成長がみられないわけだ。流行人虐待時にやっていたのと全く同じやり方でリアル犯罪にふみこみ、僕から返しつきのカウンターを決められて今に至る。
 名誉毀損罪の証拠をとられたからには、懲役3年が求刑されるべきだが、悪魔はどうする?

2019年12月4日

続アメーバピグ史

自分は今から、あるサイトの体験談について書く。同時にそれは人文学的というか文学的・哲学的考察を含むものになるだろう上に、人類の思想史全体の一先端としてもかなりの意味をもつ分析になると思うので、それなりの長さになる。

 そのサイトとは、ご存知(ない)の、アメーバピグという代物だ。私はこれに、東日本震災直後から参入した。テレビでもどこでも茨城県北部で一体どんな状況が起きたか報道されるしくみにないので、情報発信が目的だったが、あまりにそこで直面した世間がわが思惑と違いすぎ、全く違う結果になった。そしてそのサイトは、僕が参加する少し前からはじまっていて、きのう終わった。自分がくる前は大体1、2年くらいやっていたようだが、参加してからは8年くらいあったので、計10年くらいあったみたいである。で、そのうちある最盛期とも言える時期については既に『政治広場史』(以下しばしば略して史)に書き残した。これが一応、自分の知る限り最も体系的にピグ内部でおきていた現象を知るのに役立つものではないかと思われる。
 その他の細々とした記録の断片も一応、『アメーバピグ史』と題して残っている。こちらは『政治広場史』のその後を知るには役立つ程度だろう。
 で、今から書き残すのは、これらを経てのサイト全体の最終的な結末についてだ。

 僕はレコナーという名前をつけたアバターを使っていた。ニックネームが必要だったので、当時一番お気に入りだったレディヘの曲名を適当にその場でつけた。(最初はreckoner2とかいう名前だった。数字なしのreckonerが埋まっていたので)
 それで、きのうサイト締まる日に終日いてみたのだが、全体として、なんというのか、言葉にいいあらわせない感慨の超大長編大河ドラマなり大長編物語みたいなものだったのだなというのが一ついえることでした。なぜそうかなら、ほぼ全登場人物がふさわしい配役で最後にみんな出てきて感謝していた。もっと軽く使ってた人達が多いだろうし、もしかすればドラマツルギーの核心に触れていた主要人物の操作者らにとってだけの話なのかもしれない。観客自身が参加できたドラクエ4の発展版みたいなものともいえて、結末も凄かった。
 我々は相当長くピグを「くそゲー」と思っていたが、ある意味違った。

 最終的に起きたことは、前提は前述の広場史ピグ史に書いてあるので端折るが、アラフォー広場というところを色んな事情で統治なり人間関係の調整せざるをえなくなった僕やちーちゃんやりおしだったのだが、最後までやり遂げたのはちーちゃんというアバターのひとだけであり、しかも最終勝利した。当人がサイトが最後きえる1時間前くらいに出てきて言ったところでは、「(後述する某に)勝ったみたいなもんじゃん」という話で、これがあの甚大なエネルギーを投入されまくっていた異常すぎ、もっといえばやや偉大すぎる大格闘の末の一言なのだから、人間界でおきた全劇でも「みたいなもん」は大きい。
 今回でピグについて書く機会は恐らく永遠に逸するだろうから、ここで全てについて詳述すべきなのはわかっている。全くピグなるどうでもいいだろう人形劇空間について知らない人に読まれる可能性を考えると説明が難しいのも確かだが、一応書けるだけ書いておく。

 既に書いたことは省くが、アラフォー広場という場所は僕、りおし、ちーちゃんらが主要な帝国軍として投入されてから実に複雑な人間模様が展開された。思い出したが、その中で起きた事件の中で、最も密度が高かった時点の一部は、拙筆『さと事件史』に残してある。この後(既に英雄という他ない活劇をみせていたりおしは、ナポレオンの様にBANされてしまっていた)、僕が呆れてもう放置しかない(正確には、広場荒らしてきたロサだのさと一派に、君がここにきて構うのにも責任の一端がある)と天音に告げ、実際、この発言を受けてか天音の引責引退があってからも、ちーちゃんは飽くまでアラフォーと政治の両広場を行き交いながら荒らし勢力と戦っていた。これだけでも、充分すぎるほど驚嘆に値する。読者諸賢からすると想像もつかない範囲になるが、アラフォー民陣の民度というのは、実際、陰で活動していた何とか丸も同様の感想をもらしていたが絶望的質である。
 なにがおそろしいかというと、アラフォー広場はこういってはなんだが大人の集まりであり、例えば諸々の稚拙さがみられる20代広場や10代のがきんちょが大半なイベントに比べると、ワイン片手にオペラみててもおかしくない精神年齢の連中が大真面目に喧嘩しているので、裏での駆け引きが半端ない。まあ僕は途中で直接参加するというよりは、いていないというか、完全に象徴天皇みたいな顔でニコニコし(心中はお察し)詔勅なり天のお告げを告げていたみたいなもんだったのだが、それにすら疲れ、さと事件史に書いたこと以後はもうほぼツイッターにいた。しかし仄聞時事が色々あった。

 先ずユミという因業深い既婚女は、カップル状態だった英雄りおしBANにより、逆にりおしの宿敵ロサとくっ付くというアマゾネス行動に出て、僕から「女神」扱いされそれなりに嬉々としながらも、相変わらずユミに嫌がらせを続けるセントという横浜のFXトレーダー石工と、まことに泥沼の愛憎劇を続けていた。
 恐らく史のどこかに書いたが、略していうとユミは元都内キャバクラ嬢の職業病と解する他ない多情行動の一端として、ばついちで娘ありセントとも愚痴・政治広場界隈で絡み淫猥な内容を含む音声通話的なのをしたらしいが、セントの裏切り的陰口により係争状態となり、私生活晒し合い合戦に至っていた。りおしは、自分と同世代なのかは不明だが、マリオ的ドラクエ的文脈でお姫様を助けようと考えたのかそれ以外かは定かではないにせよ、このユミを救済するついでにピグ内でのアダルト行為画像をインスタ映え日記でばら撒く(正確には、ユミに対セントの嫉妬誘導兼ねて頒布される)といった具合で、ま要するにユミのピグ内での出世欲(見栄)に都合のいい乗り物扱いされていた風にも解釈される、一月に一回くらいは発狂するユミに公然としばしば罵倒され黙りこくり振り回される地位(そんなのあるんですね)にあったが、上述のようどこからともなく通報集中でピグを去り、ユミvsセントが前面化した。
 ちなみに、この世でもあの世でも二度とだれも言及しないだろうし人というものを学ぶ為にここで書いておくが、りおしは恐らくこのユミとの公然わいせつ的行動が女性陣の顰蹙を買った可能性が高いが、(ピグでの)公の生活では面目を果たしていたのに、人格的信望は、陰では徐々に削られていたのである。その証拠に私に「りおし嫌い」とか「通報した」とかいっていたやつがまあまあいる。しかも女で、りおしの前ではいい子ぶってたやつとかがである。私はこういう人間性のセオリーを知って、ああこれ小泉息子ももうダメだと悟っているのである。公に溺婚自慢。表向きどうあれ人格的にはみなまで言うまい。
 で、ユミとセントの争いも、家庭裁判所レベルのものではあるが、全くやむ気配が見えず、正直いってヤンキーバトル級のものであり、みていた全ての人達が実感している筈だが、かなり酷かった。特にセントは大いに都会人ぶり年柄年中僕に中華思想的差別的言動をとっていたのにもかかわらず、泥臭かった。この情報は史にでてくるかもしれないが、セントはユミの娘の小学校の名前を、わざわざピグ側からBANされないよう携帯電話(スマホ)のフリック入力の平仮名でさらすという、猿知恵みたいな嫌がらせをあちこちで繰り返し、ほぼ全広場民からこの世の天敵扱いされていた。勿論、僕もちーちゃんも放置できなかった。
 だが、一説にばつ2だかばつ3で多分ダメ男専の鹿児島女と推測されるアルファ(アルファルファ。元カナリエ)、即ち既に若いとはいえない齢であろう人物が、ここでセント擁護の最後の囲いになっていた。犯罪者を匿う。情の深い女。裏を返せばそうともいえるが、普通に「警察よんでみろ」と脅してくる。このところのいきさつは『さと事件史』に幾らか出てくると思うが、僕はアルファ懐柔などでこのセント・アルファ間の繋がりを緩めようとしたり、ちーちゃんは正攻法でセント・アルファ叩きを広場民扇動で行ったり、諸々やってなんとかユミへの被害を抑えようとしてたわけだが、実は結論は呆気なかった。
 きのう最終的に人類(ピグ民)が滅ぶ場にいあわせてみたわけだけど、アルファはセントと別れたと広場民が口々にいっており、実際アルファはじっと黙って広場の芝生に座り、あれだけかまびすしく煽りや脅迫を繰り返していたセントも、広場にある看板前で、先生に叱られた坊主中学生みたいに黙っていた。
 ユミの方はというと、確かに結果勝利の様にはなったのだが、亡霊(サブアバター)状態で最後にやってきていたりおしが経緯を聴き「ざまあ」と痛快事に浸る一方で、まだどこか納得がいっていないかの様な表情を浮かべていた。僕自身の想像では、彼女は全てが終わる一抹の寂しさとそれを重ねていたのではないか。

 天音なる人、即ち若くして結婚し遊んだ節がない、殆ど老婆ともいっていい年齢になってからのアバターを使っての破天荒な精神的花魁ぶりは、『さと事件史』にアラフォー広場史を兼ねて幾らか書いてあるのでここでは詳しく書かないが、天音が僕に宜しくとちーちゃんへ言い残し「きたよ」(相手のピグの家にきて呼び鈴みたいなのを鳴らし足跡残すしくみをこう呼ぶ)して去ってから、「アラフォー広場は荒れに荒れた」とちーちゃんはきのう言っていた。さと事件が解決という解決の終点もなく流れてから、誰も聴きたくもないだろう事実として、離婚が常識化しばつが沢山つきもはやどうなっているかわからない世界の間で、荒らし的役回りのカートとヒロは現実で同棲を始めたという。
 つまり、僕やちーちゃん、そしてりおしらが誠実な目で見、或いは善意や正義感から、ピグで公然と荒らしを行っていた人達に被害を受けていた人達(そこには当然天音も含まれる)を守ろうと考え、その為に心身とも大変な労力を費やしたのは、そんな人間性の裏側をみると、いわば取り越し苦労でもあった。
 簡単にいうと、Erin E.Buckelsらによる2014年の論文"Trolls just want to have fun"に示されるよう、全体の5.6%程度ともいわれる超少数派の人達が、嗜虐快楽を楽しむべく人々へ匿名その他で嫌がらせをしている以上、有名な2ch語録の通り「荒らしに構うのも荒らし」みたいなもんだったのである。しかし天音は言っていた。正義や人として大切な事を信じる価値を教えて貰った云々と。僕へトーク(ピグ内で使える個人間チャット)かなんかを通してその様に感じたと、そりゃあ荒らし以外の一般人は思うかもしれぬ。なにせ、少なくとも僕は命がけで、被害者救済をしていたのである。
 そして最後まで戦い抜いたという意味で、さと事件以後はピグ消滅が予告されたのもあってツイッターその他の新天地を試していた僕に比べ、最後までピグに全力没入していた(当人は否定するだろうが)と解釈する他ない女傑(但しネカマ疑惑をかけられている)ちーちゃんは、僕より最後まで頑張っていた。

 付け加えておくと、僕はその頃、実際、あの果てしない大帝政の末、愚痴と統合された政治広場も、それどころかアラフォー移民となってちーちゃん含むアラフォー民からぼこぼこにされ退陣した、かの有名な20代広場出会い厨の王となっていたとしま(玉井)なきアラフォー広場にさえ、巨視的平和が確立され、もはや荒らしといってもこれから記述する或る一人を除けば皆無に等しい「パックスちー(ちーちゃんの平和)」が到来したとみてとって、いわば空気を呼んで、これからは広場民自身が細々とした問題を自ら解決していく多数政治(現代俗に言う民主主義)の時代だなと悟り、密かに自主引退していたみたいなもんだった。
 当時の僕の目にみえていたことは、恐らく世界史上の政治哲学にとってもそれなりの示唆を与える可能性があるので書き残すが、老子がいうよう大それた悪党がいない場所で強大な権力の持ち主は、却って仕事がない。傑出した指導力が必要なのは乱世なのである。しかし平和はある種の退屈をもってくる。カントは長期にわたる平和は却って国民の心性をさもしい商人根性その他で毒し低落せしめる云々と三批判書のどこかに書き残しているけれど、確かに、最後の1年くらいの広場民らはやっと訪れた共和政治みたいな世界だったのに、寧ろ事件がなさすぎるのを嘆き、どちらかといえば衰弱気味だったのである。

 ではちーちゃんは、しばしばやらせできレース感が否めぬ青汁劇場(後から読むと意味がわからないかもしれないSNS的文脈だが)に比べ、ガチでしかない泥沼劇場のアラフォー広場や、古巣となった政治広場で最後まで誰と戦っていたかについて、書いておく必要があるだろう。彼女の偉大さを知る者として。
 そのちーちゃんの最後の戦いの相手は、政治(特に愚痴民移民後)、アラフォーその他の主要な広場で、先ず知らぬ者はいないであろうぴんくまという人であった。このあだ名であるが、当人が最後に自分で採用しはじめたけど、多分僕が言い出した気がする。アバター見たままにある種の揶揄をこめたのだが。この人はもともと、恐らく大学時代に覚えたのであろうマージャン本を書き、そのニッチでカルト受けを取っていた人で、極めて独特の人物である。広場史その他を探ればその当人の名前も筆名もでてくるだろうしプライバシーに配慮し、ここではぴんくまと呼ぶ。ピンクの熊のアバターだったのである。
 我々が一般的に人生を辿って行く中で、サイコパスと呼ばれる性格特性の持ち主を、まじまじと知る機会は、実際にはあまりない。自分もそうだった。だから人間性の宝庫といってもいいピグというSNSもどきサイトに深入りしてはじめて、本物のサイコパスとはいかなる者かを、念入りに知ることができた。一説によるとサイコパスは度合いらしいが、確かにピグ民の中にはこの度が高い者が複数人おり、最も高かったのがぴんくまという人であった。この文を偶然読む者には彼に関わった人もそうでない人もいるだろうから手短に特徴を述べるが、先ず最も特徴的だったのが非常に差別的な嗜虐快楽主義者だった。
 彼もいわゆるサディスト、ナルシシスト、マキャベリズムをかねているからダークトライアドどころかdark tetradだったのは確かに思うが、ただのサイコパスなだけではなくて自分から多くの人々を利己的な目的で荒らししながら虐待三昧し、それについては何の痛痒も感じない、本物の荒らしの核だった。
 私はこの人物を最初に見た瞬間に、ある種の底の浅さを直観してそれ以後は、なるだけ距離を置いて観察しつつ、いわば標本として扱っていた。彼の書いていたホームページ(今では古い言い方かもしれないが、その旧態依然とした物を彼は残していた)も、大方網羅的に調べ、人物について研究した。それでわかっている事によると、当人物は今では中年なのだが、先ず両親がある新興宗教の信者だった為、幼児の時点で家庭環境が奇妙に厳格だったらしい。周りのみなが買ってもらっているファミコンなどなく、自分の脳内妄想でドラクエしていたらしい。で教育ママ的躾により偏差値教育の犠牲者になった。
 実際この男は40才近い年齢でも母を公に「ママ」と呼び(都内で独身生活している住居に兵庫の田舎からしばしば来て、部屋の掃除をしてくれるという)、同時に両親を自分にとって呪われた存在だと思っているらしい。彼自身の記述によれば母の料理がおそろしく下手なのだが、当人に要らぬとはいえず、酷くまずい揚げ物か何かをたべたふりして隠してもってきては、2階の自分の部屋の窓から外に投げ捨てていたという。この記述だけでも彼の人格形成に際して両親が与えた影響があったのはわかるが、最も決定的だったのは、彼が中学の頃ニーチェの本に出会い、40過ぎになったいまだにずっと、ニーチェニーチェと(正確には「ニーチェも読んでないのか」「ニーチェ以外の哲学は雑魚」みたいな含意で)、図らずもこれもまたある種の信者みたいに唱えることになっている考えに感染したことだったらしい。
 ご存知のニーチェとは反キリスト教思想である。つまり、ぴんくまにとって、自分を抑圧する親の桎梏とほぼ同源とみなしていたある新興宗教を、内的に批判するロールモデルとして、ニーチェの本が救いの様に機能したのであろう、と推測される。が独特なのは、偏差値教育の洗脳の方は自己批判しなかった。そればかりか、兵庫県の独特の教育方式で高校までは最寄の現地校へ自動で割り振られるらしく、彼の学力とは恐らくかなり違う人々と同じ学校、クラスで教育されていた。しかも仮面浪人する羽目になり、当人が書き残していたが「学歴コンプレックス」、しかも優劣感と劣等感を同時にいだき始めたという。
 また彼はニーチェから超人思想の方はそのまま拝借、大学時代だったかに自己の倫理規範(が当人にとっては反倫理)を3つに絞って確立したという。すなわち反宗教、欲望、権力主義である。詳細にいうと彼は認識は全て信仰に過ぎないと考え、本能のみを認めているのだが、この3原理が彼の哲学になった。そしてこの3つの彼の信仰箇条に基づいて生き方を択ぶと、おのずと官僚になって威張り散らしながら、片手では欲のままに生きればいい、と往時の公家みたいな人生観になってしまう。斯くして彼は国家公務員試験に応募し、同時にピグにやってきては官尊民卑を地でいく憂さ晴らしに終始することになった。

 自分が最初に彼をみかけたのはその様な横柄極まりない庶民いじめをしている現場をみたのであり(史にあるルチャいじめ)、僕の父も祖父も一応地方公務員でありその種の気風をもつ旗本的中央官僚なるものが鼻持ちならない存在ではあるにせよ現にいると多かれ少なかれ知っていて、まあ直ぐ理解できた。わからなかったのは、上述の彼を形作っている動機の方だったが、研究した結果、単なる人道に対する犯罪者というより、サイコパシーの極めて高い人物が状況的においつめられて自己の信念を過信するあまり陥っている、御家人的受領的状況といえば、長い日本史のあちこちで見ることのできる類型である。
 彼を翻弄したり挑発したり差別的嫌がらせの誘導にのったふりしたりして、のらりくらりやり過ごしていた自分だったが、そこまで官僚的サイコに関心もなければなんの同情の念もないのだろうちーちゃんの方は、正面きってばちばち戦闘し、遂にあちこちの広場でぴんくまを追い詰め、最終局面にきていた。
 しかし問題は、ちーちゃんのとっていた最終戦略の方で、いわば囲い込みにより民主主義的多数決で、ぴんくまを排除するという挙に出ていた。僕はこの手法を個人的に、とても難しいと考えていた。意見の多様性と民度の両方を鑑み、恐らく、これまでもそうだったようぴんくま派が少数出現してしまうからだ。そこで僕は、2ch的対処、即ちぴんくま放置の周知が最善なのではないかと考えていたのだが、勿論これにも限界があって、これまでもそうだったようおつむの足りない系初心者女がぴんくまイデオロギーの一で彼の実質目的である出会い厨行為でそれなりに騙され、性暴力の被害者になり続ける可能性は残る。結局ちーちゃんの戦略は、実際的に十分な効果を発揮し、ぴんくま擁護派は日に日に数を減らすばかりか、遂にラスボス(RPG的にいうと、最初からそこらにうろついていた小悪党が真の裏ボスだった)もおいつめられ、以前使っていた公の筆名から、僕が適当に呼んでいたおふざけニックネームのぴんくまに自分を改名して逃げ手を打つくらいだったのである。自ら偽者と名乗り醜態を消そうとしたのだ。
 こうしてぴんくま滅亡直前となっても、まだしつこく彼の淫行勧誘に乗り、過去も複数人が被害を訴えてきた事態に自ら身を落とした女ほわげがいた。しかし史その他でぴんくまの正体を知る者は、これも百例に倣って破綻すると明らかに予想できよう。例え今はセーラー服コスプレで淫行自慢していようとも。
 ぴんくま一派が遂に退治され、最終日にも姿を現さず平和裏にエンディングが流れる終幕の広場で、自分へ「(ぴんくまに)勝ったみたいなもんじゃん」とちーちゃんがいったのは、ぴんくま四面楚歌に続きやってきた扇動民主主義の反動で、ちーちゃん四面楚歌に近い弾劾的世論の空気の只中だったのである。

 四面楚歌と書いたが、これは公に自由を奉じる者達としての反ちー派が政権転覆を最後まで狙っていただけのことで、現実には終了30分前にちーちゃんが「トークが鳴り止まない」と述べていた様に、彼女の人の世を憂い果敢に行動する厚意に感謝していた人達は、表に出ないにせよ大勢いたに違いない。

 ピグ、特に政治広場という、自分も俳句広場から流れていったら深夜に不良(ロジコら)に暴行されるところから強制的に関わる羽目になった、尋常じゃない数のドラマが生まれ、また永久に消えた場所があった。大体、名のある登場人物数だけで2~300人は優に超え、全ての人達が必要不可欠の配役だった。
 自分はそこである時、ミキと自分が名づけたニックネームを名乗る人が、現実に疲れ、自殺未遂も失敗に終わり、生きる目的もなく精神科医に与えられた精神薬を飲んで意識も朦朧とし、ニートの酒場という場所で動けなくなっているのをみつけた。自分の名前を呼んでいたその女性を自分は助けようと思った。その人は学校でいじめを受け、家庭でも親から無碍にされ、職場でも出来損ない扱いされ、盥回しにされた最後の病院で自閉症と診断され、深刻な自傷癖に悩んでいた。世に聡い者ならメンヘラと呼ぶ。しかし自分は高校の頃の施設ボランティアなどで障碍者なるものへの偏見が解除されており、親切にした。
 職場では冷たく「キミ」と呼ばれていたのでそう彼女は名乗っていたのだが、自分は好きだったバンドのメンバー名フルカワミキと重ね、キとミを逆にして呼んでいたら彼女自身が僕が呼ぶ名前に変えた。

 ピグは2019年12月2日の夜22時に終わると予告されていたが、惜しむ人達なのか人が殺到し20分前頃に動かなくなった。しかし諦めずリロードを繰り返していた人達には、最後の3分間ほどは、22時以後に入れた。
 自分はそのピグの庭にミキを呼んで、世界の終わりに一緒にいたのだが、以前彼女を助けようと精神科その他に進んで相談してくれたトットさんという看護士の女性がそこを訪れ、「ミキちゃん元気でね」と言い残していった。それで真っ暗になり、永遠にピグは開けなくなった。僕はなるほどと思った。

 この世の縮図とすれば、人間というものは、たとえ普段いかに悪事を働いていようが、いざ死の直前ともなれば一切の醜態を反省し、勿論悪あがきはするかもしれないがそれすら限界に達し、観念して善なるものに仕えようとする。実際、トミオ(ガチやくざの子分)を除き、最後の1日に誹謗の影はなかった。
 りおしは発表席荒らし(それも発表者を隠す荒らし)を繰り返すふぐを、更に隠し返す「隠し芸」なる技を発明したのだが、これはミームなり手法としてアラフォー広場その他に伝染しベンチブロック等を生み出した。最後までおさるのサブといわれる松本は、りおしに隠し芸をしていたが時間切れとなった。トミオといえどもある種の愛嬌として、リベラルないちごへキムチネタをぶつけ、或いは僕にある種の感謝の裏返し反動形成で中傷を働いて去った節があるし(ただの憎まれ口かもしれない)、松本も自分の正義感からの行動ではあるだろうから、人はどうも、少なくとも当人にとってよい事をしたいのである。
 殆どの人達は、最後の1日にみていたら全幅の感謝を述べていた。色々あったがありがとう、というせりふを口々に述べており、それは極少数の例外を除いてほぼ全員であった。当人にとってよい事が他人にとってもよい事である人は、単に幸運な人なのだ。他人の善を推察できない人も、ゆるしてやるべきだ。

 最後に書くが、(誰かが読むかもしれない)広場史の冒頭に、記紀神話の形式をもじって書いた最初の登場人物であったホメという神話上の主婦がいる。この人は最初の人物であると同時に、広場どころかピグが終わる最後まで、恐らく殆どの人間模様をみていた唯一の人物である。自分がくる前からいた。それでこのホメという人も、ありとあらゆる人間的欠陥やその一部にある美質の全てを目の当たりにし、色々な感慨を持ったであろうし、当人もあのサイト周囲で一言でいいがたい劇的な経験をしていたのだが、僕の感じからいうと、人類は人類以前からそうだったのではないだろうか?
 人類の始原は、今のところミトコンドリア・イブなる女性だといわれている。そして自分が見た感じ、このホメという女性はその時の人類の原初的存在に近い何かがあると思った。人の美しさも醜さも全てを飲み込んで生を肯定し、前に進めていく偉大なる慈母とでもいう趣。グレートマザー幻想かもしれない。
 実際ホメにも娘がいたみたいだが、恐らく次世代でもその次の世代でも、彼女の遺伝子はこの世にある人間模様を、どこかから眺め、或いは自分もそこに参加するのを愛惜して世を去る。そうすると、人の欠陥とは我々が思うより深刻なものではなく、実は命の大河の本の一部でしかないのかもしれない。

 本居宣長はもののあわれという言葉で、正確にいいあらわせてはいなかったものの、自分が今指摘したい対象とほぼ類似の概念をいいあてようとしたのではないだろうか。それは人間は必ずしも理想的な存在ではないが、欠点や悪徳を含め天に配剤され、まるごとすばらしいのだというある種の人生哲学である。
 もし誰もが理想的で最高徳をあまねく持ち合わせていたら、我々の世界に個性なる物は意味をなくしてしまう。勿論これは美徳の価値を幾分なりとも薄める見解ではないにせよ、悪役もまた役なり、失敗もまた業なり、と劇自体を楽しむのが利口な人生の捉え方で、神ならぬ人は完璧さ以外も社会的側面である。我々が有体の本を読んで、或いは学内で純粋培養されて育つと、世間がその種の深みを持つと知らずにすごしてしまう。知らない方が幸せだと思う事もあるだろうし、知らなかった方が人間界に呆れずに済むかもしれない。だが世界の終わりに際しては、欠点多き人もまた慈しむべき存在だったと悟るであろう。
 寧ろ、我々の理性を超えた神々の世界、イデア界がもしプラトンがいったようあるとして、肉体やそれに縛られる限界を持つ我々にとっての人間界は、理想に半身をのりだすのが精一杯で、ともすれば再び動物界との境涯にひきもどされる。だがこれは蔑むべきことではない。そうだからこそ人は人たりうる。
 人生の蘊奥を知らぬ者からすると、他人が己の持たぬ醜態、もしくは自分にすら欠けている欠点をさらすや、わが意を得たりとばかりに叩きまくる。これは大きな間違いだ。単に不寛容だからではなく、その種の欠け方こそ、実際には人間性の一証拠なのである。神はすばらしい。だが人も慈しむべき存在だ。

 ある時、愚痴(広場の)王といわれたダルマがいった。「みんな愛してるよ」と。彼はある種のダメ人間の巣窟状態だった愚痴広場で自分の存在を認めてくれる他人と馴れ合えて嬉しいだけ、と一部の愚痴民からは皮相に解釈されていたが、実際には愚痴王の王たるゆえんは、その種の人間愛にあったのだ。完

2019年6月10日

ピグ上でのちーちゃんとおのりちゃんの決裂によるさと事件の顛末とその周辺

きのう私がなにをしていたか。正確にはおとといから。
 私はアメーバピグというSNS(Social Networking Service)を開いた。一昨日の夜だったと思う。
 なぜ開いたか。私はそのサイトの中でミューデと命という人達に絵を売れといわれたので、その通りにしてみたが、数年試して、結局ろくに売れない上に、嫌悪を感じてやめた。
 それで命という人はこれまでも頻繁にイベントを開いていたので、ピグの中にいたら経過を話してみたらなんと言うのか試してみようとしたのだと思う。またミューデという人も、哲学部という私のアバターが作っているコミュニティにまだほぼ毎日ほど出入りしている風なので、この人にも同じ事を試そうとした。純粋美術のミームは商業と一致も、ほぼ調和もしないのだろうと私は感じたのだ。

 しかし私が実際にピグに行くと、広場民に囲まれ、どちらかといえば歓迎された。これはピグ民はサイコパス的に悪解釈すれば玩具を欲しがっているとも解釈できるが、私はアバターにおいても善意の行動をするので、匿名の果てしない悪意の巣窟にあってはありがたい存在なのだろう。また以前からそこで下衆なナンパ師達とたわけているある女アバターがいて、私はこの人がしばしば娼婦じみた状態におちぶれている様子を見て同情していたのだが、この人にまたも声をかけている或る男に君は本意でつきあおうというのかと問い詰めると、その男は逃げてしまった。いつものことだ。
 ところがその女アバターによると、彼女は下衆なナンパ師達を下衆だと思ってはいないのだという。寧ろ彼女はその私の目には最下等の男達(ほぼ性行為の道具としてしか女に対する価値を認めておらず、すぐに捨てるばかりか人格的価値を認めていない)が「楽しい」「いいところもある」人達だという。
 彼女は単に下衆な男達(最近の20代広場男アバター連、通称としま(玉井)一派)だけでなく、その他の知能の面では対人的に不躾といわざるをえない類の、あるいはもっといえば育ちの宜しくない風にしかみえない、誹謗が趣味の人達にも同じく感じているのだという。まあ端的にいえばSNSの中で下衆と戯れているだけだ。彼女は「自分を誹謗しないので」その悪友らが私から嫌悪されるのは解せないのだという。一言でいうと、彼女は共感的知能が足りないので、他人の立場で、もしくはメタ認知的に、或る人が別の人達にどう振舞っているかを客体視できず、人格的評価を見誤っているわけだ。これも多分よくある話なのだろう。世の中には暴力団員の男に惚れている様な女がいて、この女からすると自分には優しい人なのだと思っているに違いない。ピグの上記の女(ここではLとしよう)も、これと似た思考回路を辿って他人を扱っているので、自分に都合がよければその人が犯罪者であっても「いい人」だと解釈するかもしれない。
 私は仮初にもこのLに同情していた。だから彼女を上述の点で、或る人格を客観的に評価するのが処世術において重要だと教えるのに苦労した。彼女は広場で周りに戯れてくる匿名の悪意ある、もしくは愚鈍な他人のちょっかいを間に受け、「(私に)騙されない」「誰でも悪意をもっている筈(だから少々の悪意を持つ人々は普通だ)」などというのである。
 それで私が以前からつきあっていてピグの事情にもかなり通じている別の人に、これはどうすべきかと相談してみたが、無論「放っておけばいい」「Lの自業自得」との返答だった。確かに、同類相憐れむといった風に、Lの中では下衆が仲間に見えているのだろうし、自由の範囲でそれでいいのかもしれない。

 また別のピグ内での話だが、そこにちーちゃんという女性アバターがいる(一説によればゲイ説がある男性が中身だが、当人は否定している)。
 彼女は喧嘩イベントという誹謗をゲームにしていた規約違反の不良集団の場が出身ではあるが、政治広場にきてからは論戦の才を生かし治安回復に活躍してきた。勿論、2chを使いながらの誹謗だの個人情報さらしだの、現実に女性を連れ出しての淫行を目的にしたピグの規約違反者らからするとちーちゃんの存在は邪魔なので、政治広場民の一部は彼女の方を荒らし扱いしているけど、それはまあ彼らからすればそう考えるだろうなというだけで、彼女は善意なのである。
 ちーちゃんは政治広場を、僕のアバターらと、かなりの数の人達とのピグ内での複雑な協調行動で治め、荒らし達がろくに規約違反の行動をできなくした。このため我々はピグ内でやることがなくなった。でアラフォー広場という当時、ROSAなる荒らしがシステムに異常負荷をかけ誰も近づけなくする行為で、大荒れしていた場所に、ちーちゃんはきた。
 僕も同時期に似た様な意図でアラフォーの様子をまず調べ、既にROSAらの行動を抑える為に先駆けていたので、ちーちゃんは少し後からやってきて、「あれお前もいたの」みたいな感じで、また僕と協調して行動する事になった。それから4年ほど、彼女は一生懸命、荒らしに虐められた人らを助けていた。
 そしてきのうの話。
 この1年くらい、ちーちゃんがアラフォー広場民に虐められまくって排除されていたおのりちゃんという女性アバターを助けていた戦いがあったのだが(通称さと事件)、なんとそのおのりちゃんが鬼月という男になびいて、助けてくれたちーちゃんを裏切る形で決着していたのであった。
 恋が友情を切り裂き、善意が裏切られた結末なので、これは悲惨な話だなと思っていたら、ちーちゃんが僕に「女の友情なんてそんなものだよ」という。周りの女性アバターらもほぼ全員(黙っていた人をカウントしなければ多分、全員)が同意していた。これは社会学というか文学、心理学、脳かもしれないが、恐らく主に人文学の領域でちゃんと研究すべき課題だ。
1.一般に男の友情に比べ女の友情は浅いのか?
2.一般に女の恋情は友情へ常にまさるのか?
3.上記の事実があるならその原因は何か?
4.男女に限らず友情より恋情を択ぶ人がいるだけ?
5.脳はどういう経過を辿って恋情を友情より優先しうるのか?
 アメーバピグというサイトは、はっきりいって内部での犯罪をほぼ取り締まっていなかった。アメーバ利用規約というのはあるのだが、それをちっとも守らせようとはしていなくて、空理空文と化していた。のみならず僕もちーちゃんもピグ内で無数の違法行為を見たと思うが、それさえ通報が無視された。ばかりか、ピグ内にも多かれ少なかれ善意を持つ人達はいたので、我々はみるにみかねて違法行為をする逮捕以前の被疑者だとか、規約違反者らから我々自身を守りあって相互に自衛行為をしていたのだが、サイバーエージェント社側は、寧ろそっちの方をBANする事さえあった。まあ法務が破滅的なのだ。
 具体的にいうと、りおしというアバターがいて、彼は上述のROSAというこれは明らかに意図的にシステムに異常負荷をかけ全員を固める、個人情報連呼で集団虐めしまくるなど完全に荒らしの人なんだけど、このROSAと正面きって戦っていたら、なんとアメーバ運営側はりおしの方をBAN(禁止や破門などの意の英語で、ここでは利用者のアカウントを運営が強制削除し、サイトから排除する事)してしまったのである。まあこれは裁判でいったら先ず完全に誤判定で、冤罪事件となる事例であったから、広場民は僕も含めほぼ全員が驚愕した。だけど運営側ははっきりいって、広場を完全に放置していて内部の事情なんて何にも知らないまま、荒らし側の悪意ある虚偽通報とかを真に受けて適当にBANするレベルだったのです。
 アメーバ利用規約というアメーバ全体の規約には日本法に準じると書いてあって、我々は(少なくとも私は)法律とこの規約に照らし、ピグを自らに信じられる限り公正に利用していた。だから日本法か規約に触れている行動で、他人に意図的に害をなしているピガーの災いが甚だしい時、通報するのだが、こっちは法に触れていても見逃された。
 サイバーエージェント社は上場企業である。だから皆さん、この会社を信用している筈だ。けれどもアメーバピグに関しては、運営が潰して本当によかったと私は思っている。彼らがもし内部がどんな状態だったかきちんと調べていたら、幾ら営利とはいえ良心のある人ならとっくに潰していた筈で、正当防衛の自衛行為すら不可能な地獄でした。
 ちーちゃんという人、またりおしという人も、端的にいってその様な場で、非常に賢明な利用者の各々一人であって、悪意ある匿名利用者らの犯罪行為の山の中で、僕も色々と彼らとやりとりはしたけれど、実質、自主的に被害者救済の為に物凄く努力していたのは事実である。日本も少数なら善人がいるのだ。りおしは別件でBANされた説(規約の範囲内で合法的な自動ツールを使っていた)も取れるし、まあ真相は分からないのだけど、私以外の誰も彼の英雄的行為の数々を擁護というか賞賛する機会はないだろうから(そもそもピグ論客やら史家が殆どいない)、私は彼の栄誉は後世に残されるべきだと信じる。
 ちーちゃんも、上述のさと事件がアラフォー広場における数々の事件や劇の中で、最も悲劇的なものの一つになるとは思うけど、そこでも実に気丈に頑張っていたのは某広場に詳しい人なら大概誰でもわかる話だ。寧ろ敵の方が同情していた風で、さとちゃんというおのりちゃんと敵対していた方がよくわかっているのだ(ちーちゃんの上述の独白の時、普通に周りにさとちゃんらがいたけど、鬼月と共有したアバターでちーちゃんを蔑ろに責めまくるおのりちゃんらしきアバターの一方で、さとちゃんは寧ろちーちゃんの独白に頷いてる様な感じだった)。
 ちーちゃんは、政治広場で最初の厄介事の中心であったホメという人とも深刻に対立してきたのだけど、ある時、僕らと議論してこのホメという人を十分に排除可能な機会がきたとき、ちーちゃんはホメを助けようと言い出した。この考え方は憐れみみたいなので、公の敵に武士の情けをかけるべしというのだ。この一件をとっても、ちーちゃんという人物もまた、ピグとかいう匿名偽名SNSの中では最も良識的な魂というかミームを持っていた人だと評せる筈だ。彼女の基本的なピグ利用法は、特にアラフォー広場にやってきてからは、政治広場における政治広場新聞というピガーのやり方に幾らか似たもので、自らのアメーバブログで広場等で公に話された内容を記録開示しつつやりとりしていくといった形になっていった。当人からすれば喧嘩イベント流儀で身につけた、公の議論での証拠を自らのアメーバブログで提示しているつもりなのだろうけど、副作用的にピグ内の些細なゴシップをばら撒く面もあったので、安易に広場で噂の種にされたくない人から反感を買いがちで賛否両論あるのだが。

 で、私はこのピグというSNSは恐らくほぼ完全に理解し尽したし、その内部で起きるだろう現象にもあまり知的好奇心やら向学心面での期待値が高くなくなったので、最近殆ど行っていない。一般的にいえば呆れたのである。そして上述のL氏を助けようみたいな啓蒙的意図も、もう凡そ無用だなと思い始めた。
 ここからは一般論になるが、SNSとは何か。人々を社会的比較の欲求(社交的欲求)で縛り、何らかの課金の場を与えつつ、或いは広告で囲い込み、運営が金儲けする電子的社交場の事。心理的に顕示的消費だの羨望に基づく嫉妬を種にした場で、不幸を触媒しているに過ぎないのではないかと仮説づけられる、近年のネット上の流行。不幸を触媒にするとは、もっといえば「痛快(シャーデンフロイデを私が和訳したもの)」を目的に、自分より不幸だろう人を探す、下卑た快楽の場なので、SNSの全要素はこれではないが、実際にはこれが主眼になってしまう。人は社会的動物としてコミュニケーションに飢えているせいで、釣られてしまう。
 SNS上で恋愛し、人の個性を見分け現実に配偶するという世界がもう現実のものとなっているが、一方でフェイスブックを筆頭に、人類全体に脳内線条体の嫉妬機能を援用した社交場を与え、そこでの中毒的苦痛もまた甚大になっている。私はもうその種の媒介にも呆れているのだ。肯定的側面が少ないから。
 上述のLの話題にもどるが、彼女は「悪意」という概念を、倫理学での動機説、法学上の事実を知っているという意味と違う文脈で使っていた。より詳しく話を聞き質していくと、法的に「過失」という意味(意図しない他害)であった。だがこれを私が知るまで、彼女は私の人格を謗ったり、周りの衆愚と群れ尊厳を辱めるなどしてきたのだ。この一例だけ取っても、私は多大な苦痛を強いられ、しかも私側の払った費用は道徳性と遵法性の違いとか、動機説と結果説の違いとか、カント倫理学と法学の基盤みたいな話まで含め、半日以上かけて大変な労力であった上に、周りの衆愚の方は面白がって私を誹謗しまくるといった風で、まあ馬鹿げている。
 即ちSNS時代に啓蒙主義は実際性を伴っていない。彼女の方は仮に過失の法的定義を少し認知した所で、他に彼女の気づかない自己中心性と客観性の違いとか、幾つも認知的障壁の様なものがあり、それらを乗り越え私とコミュニケーションの共通基盤を得るまで甚大な労力がかかるだろう事は目に見えている。
 或る脳科学者が昨今、誰もが知る人気は失われ、各々の最先端は房化(クラスター化)しているといっていた。恐らくSNSの流行による情報環境の変化と、この現象にも密接な関連がある。啓蒙主義は素朴な考えで、文化的多様性を包含するものではなかったわけだ。寧ろ学問的愚の方が適応的な場面すらある。サイバーカスケード現象と、流行の房化は、ポスト真実、科学主義の後退等とも同時代的に起きていて、要は人は各々の情報場を脳内語彙として持ち、その体系から遠い物と無関係に生きている。文化的多様性とは学問的愚を含め、全ミームらを含むもので、我々は自分に似た人とつきあう様に導かれている。
 私はといえば全知に到達したいという大望をもっていた。二十歳から10年間くらいの事で、今も当為としてある。だから海千山千と、愚人俗人の思考原理まで、あらゆる学的正解と別体系として理解しようとしていた。結局これは不可能で、博学の領域拡張になるだけな上に、無秩序な俗界の方が理解は難しい。SNSへ予め期待できるのは、はっきりいうと俗界の分析に留まる。学的知者は少数派だから彼ら単独を追えばよいが、個性に対し無作為な遭遇率の場になればなるほど、俗悪な多数派に遭いがちだからだ。孔子が「君子は上達し、小人は下達する」といった理由を我々はよく考慮し直すべきだと思う。

2019年2月19日

さと事件史

一 事の発端
 アラフォー広場に天音(あまね)という高齢の重課金アバターがおり(イベントに常駐している天音ではない)、40代がおもなアラフォー広場の常駐メンバーと折り合いが悪く、それをみてとったちーちゃん(ちー)と絶えず排除合戦をしていた。2018年の初頭から夏頃までの話である(これ以前のアラフォー広場で、政治王レコナーが荒らしのロサから集団いじめを受けていた天音を擁護する為に、将軍りおし・副将軍ちーらと共同戦線を張っていた。詳細は後に書かれる予定の『アラフォー広場史』を参照)。
 その頃、同広場にカートという不良がおり、異性と出会うことを目的にピグを利用することを禁じた規約違反に恐らく該当するであろう、出会い厨ライングループをつくっていた。
 同ライングループのメンバー・ゆっきーは、知りえた個人情報から、カートの勤務先へ行きカートの私用バイク及びナンバープレートを写真に撮り、同ライングループにこの写真をさらした。これにカートは怒り、警察へ行くと、ゆっきーには器物破損やストーカーの疑いがあるかのよう大げさに虚偽告訴した。ここにさと事件は幕を開けた。
 おのりちゃん(onorikonbu、おのり)という同ライングループのメンバーは、ちーの或る証言によれば元ピグ新参であり、カートによる悪行の数々を知らなかった。ちーによれば、おのりはカートの口車にうまく乗せられ、同ライングループに参加していたという。おのりは良心を持った人物であった為、このゆっきーの悪事、即ちカートのバイク晒しをさと・ゆっきーらがひそかに行っていたと同ライングループ内でカートに内部通報した。これにゆっきーと、さとちゃん(さと)という同ライングループのメンバーは怒り、おのりを同ライングループから排除した。
 ほぼ同時期に、天音はピグ友をおのりからきられたという理由でおのりをピグ友からきった(ピグ友からはずすことを、ピグでは「きった」ということがある)。おのりは同ライングループからもアラフォー広場からも居場所をなくし、かなりの課金アバターでもあったアバターごとアメーバIDを削除し、ピグから消えた。ちーによれば、おのりは「後ろめたさ」からさと・ゆっきーらに連絡をとらず、ピグからも立ち消える形になったといい、また、同時期にさとらはおのりの真意を確かめるべく、おのりと連絡をとろうと試みていたという。さとらはおのりによる内部通報を裏切りと考え、おのりからの謝罪を求めながら話し合いの場を設けたいと考えたという。さとらに内部通報への怒りはなく、真相を知り再び分かり合えれば仲良くなれると、ちーに、さとらとおのりとの話し合いの仲介を求めたという。ちーはこれを受け、怖がるおのりを説得し、さとらとおのりの話し合いの場を設けた(さと・おのり和解会議、または、単にさと・おのり会議)。同会議は、アラフォー広場における行司の様な役割をしレコナーファンを称するニョッキ(複数のサブをもつ為、本アバターの通称である)の部屋で行われたとされる。この会議で、おのりはひたすら謝罪の弁を述べた。しかし、さとらは事前にちーへ既に怒りはないと説明したのと異なり、激しくおのりを難詰しだした。更に、ちーによれば、さとらは決しておのりと仲良くする気などなく、真相をききだすどころかヒロ(hiro☆)というカート出会い厨グループから漏れていた広場民女性と共に、おのりによる内部通報を同ライングループへの裏切りと苛烈なまでに責め立てた。ちーはさとらを信じておのりを説得し、円満解決を目指していた立場から、この同ライングループ及びヒロからおのりへの責め苦を前にさとらに裏切られ、面子を潰されたと考えた。こうして、ちーの仲介は、さとらのおのりやちーへの二重の裏切りによって失敗し、さと事件は混迷の度を深めていく。

二 おのり擁護の共同戦線
 アラフォー広場では、レコナーがいないと天音擁護者はほぼ0なので(天音によれば「友」と呼ぶ、イベントその他でのしりあいは少々いるようだが、広場民の目には殆ど擁護者たる立場を果たせていないのである)、天音はしばしば孤立時代に入る。レコナーは天音がこの孤立の中で集団虐めを受けている様な状態になるたび、策をめぐらせ天音を擁護してきていた。一方、レコナーが現実で忙しくピグにこれない間もある。こうして2018年の初頭頃、レコナー不在時にも連日ログインする天音は天音孤立時代にサブ等でこれら広場に於ける集団いじめから難を逃れつつ、政治広場(今の政治に望むこと広場を、ピグの一部の広場民から略して政治、または政治広場という)から、出会い行為や差別・誹謗といった規約違反をくりかえす典型的なピグの荒らしであるとつげき東北(とつげき、とつ)をつれてきて、ちーと対立させ、天音自身を守らせていた。とつは堂々たる荒らしであるから、政治広場でも多数の被害者を出し、これをみてとったちーと激しく対立してきた。すなわち学歴差別・出会い・誹謗などアメーバ規約違反の常習者であるとつと、とつの出会い行為を断ったことによってとつから脅迫をうけた被害者などとつ出会い被害女性らの保護を専らとし、一般良識の観点から対立するちーは、以前から天敵同士だったのであるが、これらの事情の一端について詳しくはレコナー著『政治広場史』を参考にされたい。
 さて天音のとつ庇護者化策謀によってここに、とつげき&天音連合軍と、政治広場のみならずアラフォー広場でも対立することになったちーであったが、天音がおのりを切ったこと(天音のおのりぎり)を本格参戦の後押しとし、これらの同ライングループ及びアラフォー広場で起きていた紛争、通称さと事件へ喧嘩イベント時代から得意の口撃で深入りしていく。
 先ずさとのおのりへの難詰を信義違反とみなしたちーは、さとへ口撃を始めた。こうして、ちーとさとが深刻に対立、アラフォー広場にて7時間近く喧嘩した。ちーはこの大口撃(ちーのさと討伐、または、反ちー派や一般広場民の立場からはさと・ちー戦争)のなかで、既に課金アバターのピグ自主退会によりおのりは内部通報の裏切り視への「けじめ」をつけていたのだから、その後におのりがちーの説得により新アバターでピグに再参加しても、さとらに責め苦を与える道義はないのだというのであった。
 又この頃、こしろ(kosiro)、という自称初心者が現れたのだが、さとはこしろをおのりのサブかと疑い、一方的に激しく攻撃した。ちーはこしろを初心者だと仮定して親しみ、こしろ自身が自らをおのりといっていないと、こしろ≠おのり説の立場から擁護していた。更に、ちーによれば、万が一こしろ=おのり説の方が正しかったとしても、「けじめ」をつけた後の再参入おのりアバターを責めるべきではないのだという。さらにちーのさと討伐の激しさは増した。この激しい戦いの中で、さとは頑強にこしろ=おのり説を自説に採用し続けた。政治広場やイベント等で気楽に都内のよーむというシモネタ男と親しむ、過労しがちなけろたんはアラフォー広場にもしばしば滞在していたがここでさとによるこしろ叩きに介入してきて、こしろをちーとともにかばった。またこの際、レコナーは少なくとも誹謗の被害防止を目的に、こしろの隣で、さとからの最終攻撃に備え、こしろ守護のキーパーとして待機していた。実際のところ、このさとによるこしろ攻撃が開始される直前に、ちーはあまりに事態が深刻で、一人で処理するのはあまりに大変と判断し、政治統治時代から盟友のレコナーにこしろ擁護の救援を依頼していたのである。
 動き出したレコナーはこしろを擁護しつつ、さとにもインタビューアーのよう事情をききとる情報作戦にでた。またレコナーはちーにも上述したさと事件の事情をつまびらかにさせ、さらに以前から同事件を含む広場話を聴いていた天音にも、聞き取りを行って情報収集を行った。集まったあらゆる情報を総合しつつ分析し、レコナーは「この案件は、放置すれば さとvsカート で勝手につぶしあう」と判断、ちーに「引くべし」と告げた。これを聞くや、ちーはレコナーによるさとvsカート同士討ち作戦に一定の合理性は認めつつ、「さとが喧嘩売ってくるならこっちも買うつもりだ」と元喧嘩師としての面目をレコナーに告げた。
 情報によって洞察を得たレコナーの判断は早く、早速、復活したおのりとピグ友になり、ちー・レコナー連合によるおのり擁護の共同戦線を組んだ。またこれらの戦いを、アラフォー広場史においてはさと戦争とも称する。

三 カート討伐前期
 次第に複雑化しだしたさと戦争であったが、カートのサブ(マジカルミステリーボーイ)は事件においてカート派にとって最大の脅威となるであろうレコナーの本格参戦を過度に警戒し、カートから先制してレコナーをベンチブロック(ベンチの前にわざと立ち、広場で動けなくする嫌がらせ)した。この為、レコナーは嫌がらせの先制攻撃をされたことを理由に、カートの前で反カートの立場を宣言した。
 レコナーは警告としてカートに15秒間ほど一度ベンチブロックを仕返したが、この威嚇射撃にもかかわらずカート側に反省はなく、カートはレコナーへ何度もベンチブロックをくりかえした。このためレコナーはカートのこれまでのアラフォー広場での悪行をあげつらいつつ正論で大説教し、カートが今回の事件(通称さと事件)の原因であり、反省すべしと大勢の広場民の前でカートを責めた(この際のレコナーのカート責めを、通称レコナーのカート討伐という)。
 カートはレコナーによる巧みな言葉攻めで追いつめられ、広場民は古参を含め大勢としてカートに迷惑を受けてきていたこともあり、反カートの空気が同事件の場となっていたアラフォー広場003一帯に醸成された。特にカートの出会い厨ライングループから漏れていたヒロは、元来、カートに非同調的な立場であった為、レコナー側の肩を持つ言動をとった。
 徐々にカートは広場民のほぼ全体を敵に回したことが明らかとなり、広場民に寄る辺なく大いに追いつめられ困憊した。しかし、慈母を気取る天音と、かつてのロサによる天音集団虐め時、唯一の天音擁護者というべきアラフォー慈母・蛍のイン率の下がった今、広場に残された最後の良心というべきばばちゃん(ばば)が、カートに救いの手を差し出し、同情まじりにゆるしの言葉を述べカート救援のタオルを投げた。
 レコナーはばばと天音に「この際のカート擁護は、長期的なアラフォー広場の治安にとって有害である」旨を述べ注意したが、ばばは「レコナーさんは英語が堪能で」と難なくかわし、天音も適当な繰言を述べて同注意に従わなかった。このため、カート擁護者がようやく2名うまれ、カートは広場民全員を敵に回すことなく、九死に一生を得た(天音とばばのカート救援)。
 この間、抜け目なくちーはさととのやり取りをスクリーンショットで記録し、いつものようちーブログに掲載、広場民に喧伝工作をはかって、反さとのアラフォー広場民世論を醸成しようとはかっていた。一般アラフォー民衆らの心情も含め、レコナー・ちー連合軍はアラフォー世論について案じていたのであるが、これはレコナー・ちー連合軍の作戦会議中にちーがさと討伐を図る際に気をつけるべきこととして、広場民世論の存在をレコナーが忠告したことに少しはよっていたかもしれない。

四 カート討伐中期
 政治広場(今の政治に望むこと広場)にて将軍りおしのペアであったユミ(YUMI)はカートの出会い厨ライングループの一員でもあったが、レコナー・ちー連合軍がカート・さとを討伐にかかっている最中、ちーやレコナーに親和的なシャアを責めていた。レコナーによれば女神キャラであるユミは、ロサ討伐において愛するりおしを失ってからなぜ、共同性の面からはこの様な奇怪、もしくは混乱しているというほかないふるまいにでているのだろう。それについては以下のユミのその後事情を聞けば、少しは理解が及ぶかもしれない。
 かつてのアラフォー広場で「とと」と出会い関係をくりひろげつつ、アラフォーならぬ高齢の天音排除を名目にくりかえし花火荒らしをはかっていた人物がいた。すなわち皆がアラフォー広場に入った瞬間、とととの共謀で、花火アクションのキャッシュを各PCブラウザにためさせとんでもないピグの重さにし、広場民全員をだれもが動けない恐怖のどん底に落とす魔王となっていたロサ(Rosa、ローザ、ロザ)である。政治広場王レコナー、副将軍ちー、そして英雄にして将軍のりおしによるロサ討伐についてはピグ史において最も美しくかつ哀愁深き華々しい誉れとなり、われらの国の中で語り継がれてきたので詳細についてここでは語らない(レコナー著『大ピグ史』の完成を待つのもよいだろう)。詳しくは『アラフォー広場史』に譲るとして、りおし戦死後のユミの概要を述べておこう。
 伝説的なロサ討伐戦の中で、魔王ロサは「BANが怖くて荒らしと戦えるか(天音による『りおし語録』より)」と雄々しく戦う将軍りおしに致命傷を与えた。またロサ自身も、ピグ史上最高の攻撃力を持つりおしによるピグ致死的な打撃を負いつつサブの女性化などの醜態を晒し、結果「とと」と別れていた。ところがりおしなきアラフォー広場で、ロサは無限の性愛ゆかしい新たな女神ユミに最後の救いを求めることで、ユミの男めかけとなり、花火荒らしする暇すらなくしていたのである。次の段でもう少し詳しく語ろう。
 ピガー(ピグ民をピガー、即ち英語の一般人称風にpiggerともいう)誰もがご存知の通り、りおしはこのロサ討伐戦の連呼攻撃で運悪くBANされ悲運のピグ死を遂げたのであったが、直前に稼ぎのいい仕事として筑波でのつぼ焼きをレコナーと正室ミキに強く勧め、画家としての本業に耽るレコナーらに断られ傷心していた直後でもあった為、大きな悲劇の語り草となっているのは事実である。この際、りおしを失い悲嘆に暮れていたユミを、また自身もとりかえしのつかない傷を負いつつ、出会い厨の本懐でここぞとばかりに誘惑にかかったのがかつての魔王ロサだったのだが、逆にユミの愛の偉大さに魅せられ、ロサ自身の牙はとうに削がれていた。ここで、不倫すらのりこえる人を超えた女神の、偉大なる愛の前で殆ど出会い厨ですらなくなったロサは、ある種の人間らしさに目覚めたのかまでは定かではないにせよ、ユミを出会い厨ライングループに勧誘したカートを人間的な負の感情というべき「嫉妬」のために憎んだ。そうして、上述のレコナーによるカート討伐の最終段階時、擁護者が辛うじて古馴染みの2人(天音・ばば)として残ったものの、やはりカートなき平和を望む広場世論の冷たい目から白眼視されているさなかのカートを、旧魔王ロサは攻撃したのである。これをロサのカート叩きという。

四 カート討伐後期
 カートはちーによる喧伝工作で広場民世論の風当たりも寒く、常駐者の間でさと事件という大事故を起こして追いつめられつつ、レコナーによる討伐を受け、さらにかつての魔王たる攻撃力をもつロサからも打撃を受け、グロッキー状態になった。しかしカートは戦争の最中、もはや習い性となり懲りずに、アラフォー広場の女ピグ・ヒカル(ピグ側ではニックネームに何も表示していない。ID: zozopain)へ愛の告白をしだした。しかしヒカルから、当然のことであるがカートの軽薄さを見抜かれ、適当にあしらわれた(筆者注・レコナーによるカート討伐からこのときまでまだ1時間も経過していないであろう。詳しくはYouTube「レコナーTV」2018/8/31深夜をごらんあれ。カートはさと事件を引き起こした第一原因である己の軽薄さについて、凡そ何も反省していないのである)。
 カートはヒカルから素気無く扱われながら、「天音とばばちゃんだけは攻撃しないでくれ」と冷たい目でカートのいう愛を否定するヒカルへ涙目で述べた。即ち広場排除からすんでのところでピガーたる命を助けられたご恩を返そうと、ヒカルへ天音・ばば擁護を懇願するのであった(カートの懇願、カート懇願)。なおヒカルはこれらの事情をおそらく何も知らないため、「なにいってんの?」とカートの狂人じみた懇願をあしらっていた。
 レコナーはカート懇願の様子をみて余りの悲痛さを示すカートにごく僅かなりとも情状酌量の余地を顧慮しようと天音に、カートをこの広場から排除することの是非を問うた。レコナーは長期的なアラフォー広場治安維持のため、真性出会い厨であるカートを規約違反のかどで追放すれば、より天音の望む平和秩序に近づくのでは? と天音に問うと、天音はなぜか保身をはかり、先ほどの自主的な天音のカート擁護から数十分しか経過していないのにもかかわらず、ふわふわと高額(数万円はくだらないとされる)ガチャ雲に乗りのり、カートに近づいていった。すると天音は天女ならぬ閻魔としてカートに最後通牒を突きつけだした。すなわち、天音はカートに「非表示したぞ」と脅迫じみた言葉を吐き、いつもの調子で女子ピグかどわかしを続けるカートを冷酷に見捨てたのである(天音のカート切り)。
 ところでヒロは今やアラフォー広場常駐者の間で反カート派の急先鋒となっていたが、レコナーによるカート討伐の真摯な説教に感激のあまり、半ば親レコナー派の様相を呈しだした。カートへ「レコナーのいうとおりだよ」と、出会い厨ライングループにすらヒロを入れようとしなかったカートと、ヒロは非難した。こうして四方八方から因果応報の刃でその軽佻さを切り裂かれ、カートの立場からみれば些細な勘ぐりでレコナーに先制攻撃をしかけたばかりに、復讐ばりの逆討伐という散々な目にあったカート討伐後期は暮れていったのだった。

五 セント追撃
 一方、我々はピグ史上でも最大の難関の一つについても、いよいよ語らねばならない。セントについてである。
 愚痴広場や政治広場で出会い厨行為による荒らしの果てに、個人情報晒しや現実にいるユミの子供を直接に脅迫するなど、数多の悪業を行いつつ、愚痴・政治からアラフォー広場に渡る流れ者の未亡人アルファ(アルファルファ、カナリエ)をかどわかした男がいる。当のアルファと同調しつつ、レコナーやちー、そしてユミその他へ悪意ある犯罪まがいの嫌がらせを乱射してきた男がいる。そしておしゃべり部屋ではFX(外国為替証拠金取引)による「本物」を気取り、資産1億円間近と思わせつつ、株式投資で負けこんだ男、「FXで爆益だもんw」系ブログをも閉鎖してからは、専らアラフォー広場で花火を連打する、ロサばりの大悪党。或いは神奈川のストーカー主婦・やまぶどうと同県の政令指定都市から、レコナーの実名をあげつらいつつやまぶどうの撮影した自宅写真をばらまいてやった等と殆ど警察沙汰になりかねない脅迫を平和なピグ内で連呼する男。爆益ブログ削除後に差別用語で異民族・異人種への口汚い排外主義を諸広場中で連呼しだした男。すべて同一の男なのだが、いってしまえば諸広場をまたぐ一大悪党セントである。ヒロがさと事件に関わっている事をみるや、セントはレコナーにそっと近寄り、ささやいた。「ヒロがカートの出会い厨ライングループに入れなかったのは、ヒロは言葉が通じないほど愚かだからだ」と。これをセントの悪魔のささやきという。
 広大な農地をもつ茨城県出身のレコナーを田舎者といい地域差別するセント(だがセントの都内在住者との折り合いは、セント・ユミ戦争を見ればわかるとおりごく悪い)へ、大人の対応で普段は問答無用で非表示にしていたレコナーだったが、このときは偶然セントを表示していた。このため上記の悪魔のささやきが耳に入ってしまった。またユミがこのささやき直前に、広場へ参入してくるや、数年来つづくユミ・セント戦争をはじめその様子は相変わらず激しかった。最中でセントがいつものよう花火アイテムを使い、広場民全体のブラウザ処理を悪意で重くしていることについて、迷惑だとニョッキやちー、レコナーらが警告を行っていた。
 またレコナーのカート討伐や天音のカート切りで気の動転しているカートは、同時的に再開されたセント・ユミ戦争の中で、なぜかレコナーを「愛の第三弟子」という謎の立場にしようとはかっていた(現実において既に二人の弟子がいる為、三人目らしい)。この時レコナーはカートの前にだまって座ると、「カートはヒロを愛してこなかった」とカートを責めるヒロと共に、与太話もどきのやりとりをうんざりとも、憐れみともつかぬ表情で聴いていた。
 セントの悪魔のささやきののち、ヒロとセントのなんらか関係(レコナーは後にわかったことだが、ユミによればセントはヒロと現実で出会い行為を行ったという)をたねに、反カート・親レコナー派へ悪党セントが一時的にとはいえ転化するかを観察しようとしたレコナーは、セントの行動についてこの時わずかに油断した。即ち、普段はレコナーから完全無視されているセントに、レコナーが非表示を遅らせると、これを悪意で喜んだセントは早速、政治広場でのセント近所人、やまぶどうがレコナーの自宅写真を撮影済みだなどとレコナーの実名・苗字を名指ししながら名誉毀損、個人情報晒しによる脅迫紛いの誹謗をはじめた。するとセント同調者のアルファは「あらぁ」「レコナーがかわいそう」などと一応、セントの規約違反行為の被害を受けるレコナーに表面的同情を述べつつも、やはりセントへの同調を変えなかった(後にレコナーのアルファ懐柔時にもわかることだが、アルファは頑迷で、「警察沙汰」や「司法の判断」、或いは「運営の采配」といった具体的強制力なしには、みずからあらゆる悪行を反省せず、むしろ荒らしの肩を持つという忌むべきピグやくざ的な無法者思想の持ち主である)。
 レコナーはセントによる個人情報晒しを含む脅迫ログの証拠収集のためにじっとおしだまり、続いてピグの部屋にもどり、運営にセントの同罪状を通報した。レコナーはセント通報後、アラフォー広場に舞い戻るもすでにセントはいなくなっていた。セント通報を「ナイス」という愛の師匠気取りで機嫌をとりなおしたお調子者のカートをレコナーは一瞥するや、一般広場民とヒロなど少数の残党をのぞけば既にアラフォー広場も閑散としていたこともあり、セントの行動範囲に類推を働かせ、政治広場に追撃した。
 セントとアルファは案の定、政治広場発表席隣の切り株で己の罪についてお茶を濁そうとしていたが、すでにセントの悪党ぶりは政治でも十二分に知れ渡っているので、セントと同じネトウヨ類似思想であるはずのイー(李)からさえ、その場でセントは即座に非難され、孤立し責められていた。レコナーも矢継ぎ早に馳せ参じると、セントを非表示にしつつ、運営に通報したとセント・アルファの前で警告を行ったが、アルファもセントももはや恒常的に体力の高いレコナー(最長で24時間以上の連続戦闘記録があるが、スカウターが破壊されたため正確に計測されていない)によるセント追撃に抵抗するには疲れ果て、味方もだれもいないため押し黙ってその場を濁し、気まずい空気をやりすごすしかなかった。
 レコナーは王子と彼を呼ぶ淑女あまえびのベンチ隣に進み入り、これらのカート討伐・セント追撃が行われている最中にも、なぜかレコナーの広場での行いに嫉妬、かまってくれないとレコナーを責めるわがままな正室ミキからの度重なる連絡をかんがみ、実に大変だった一日をふりかえりながら、疲れの余り眠りにつくのだった。

六 カート討伐翌朝の感懐
 次の日レコナーはおきだすと、ピグのトークに旧友イノからの過労への心配の声が入っている事に感謝の弁と共に、実際のところむしろ不眠症である方のイノへ心配を返しつつ、昨日の事情をかんがみていた。政治広場の治安と政治民の平穏のためには、やまぶどうという現実へのストーカーを刺激しないことが、レコナー個人のみならず、日本国及びピグの治安にとってすら最善であり、このためには政治広場にレコナー自身が近づかないことのほうが望ましいとレコナーは起きぬけの冴えた頭で考えつつ、また、さと事件はカートとさとらの自業自得であるから、深入りすることに意義はない、とちーへこれらの旨をトークで述べた。すると、返答するちーは「政治広場に(レコナーという)正義がなくなるのは望ましくない」と残念がるのであった。ちーはカート討伐後のこの朝、天音が相も変わらず手のひら返しで、アラフォー広場にてレコナーに陰口を述べていたと伝えるも、レコナーは花魁とあだ名した天音の自己本位で老練な性格を達観している為、気にもしないのであった。これらをさと事件において「レコナー・ちーの感懐」という。

七 とつげき東北の酌婦たち
 カート討伐翌日にあたる2018/9/4昼から夜にかけ、形勢不利となっても生き残りをかけるさと・ゆっきーらは一計を打った。すなわち、とつ(とつげき東北)は政治広場のみならずアラフォー広場でも差別まじりのとんでもない誹謗中傷や、愚痴の数々を述べつつ、「(ちーによれば)とつげきの酌婦」天音に見苦しく馴れ合ってきたので、両広場民からの大きな顰蹙を買い、さとらは「とつげき最低」ととつのペンネームを揶揄しながら、公然ととつを罵ってきていた。ところがカート討伐での事態の急変をみてとるや、さと・ゆっきー両名はとつを反ちーの急先鋒として、自ら共の味方にひきいれるべく当の非難の的であった「酌婦」ぶりを模倣し、酒によってピグでサイコパスな憂さ晴らしをするとつの懐柔工作を図った。
 地頭という意味で自身の欲望に弱く、50才での安楽死を望む破綻した肝臓をもつ中年、ごく単純にいえば独り身酔っ払い中年とつのことについて少々述べよう。タン(タンジェント、「tan1°は有理数か。」をニックネームにする医学生ピガー)は、彼特有の高度な知性でとつの愚かな、もしくは悪質な言動をくりかえし論難してきた。ところが親が高卒なこと、或いは現役での受験に失敗し仮面浪人したこと、自身の権力志向を種に入った官公庁での東大を最高峰とし変わらない学閥の風儀などから激しい学歴コンプレックスを持つとつであったから、単なる東北大工学士の自らより高い学歴といっても過言ではない医学生タンによるとつの人倫的・知性的落ち度への批判は大いに心情を害するところがあったようである。とつへの名誉毀損としてタンによるとつ批判をタンの大学に訴えたと、或る朝、あの悪名高いセントに、とつは長々と愚痴をいっていた。じっと黙ってこれをきき、同意してうなづきながら、FXトレーダーをする石工といわれる民間人セントも、官僚主義で横柄な態度をとるとつには頭があがらないらしく見るも情けない様子であったが、それというのもとつは、もうこの6年以上、ピグで毎日、広場民らへ散々に名誉毀損以上の侮辱をくりかえしてきたのだ。このあと書かれる天音ホスト事件の際、とつは「セントはおれの仲間。悪名高いセントを踏みに来た。うわーこれ踏みやすい。ゴミを踏むのは楽しいなー」とセントを悪罵したが、セントは「おやめ」と述べるに留まり、更に見るも情けない奴隷風の媚びぶりである。これらの様々な不道徳な証言や言動だけでなくとつには自身のホームページで「欲望、快楽、権力」とする特有の自己本位なマキャベリズムを自らの信じる三原理としてあげており、サイコパス説もある。この人類一般の良心を偽装としか見なさないとおもわれるとつは、さと、ゆっきーの突然の歓待を場当たり的に喜ぶや、一夜楽しく戯れあい、しかも天音との既存の庇護者関係もあって、自らの荒らしをなんらかえりみずして、いよいよ反ちー連合を強化しつつあった。自らの庇護を目的に明らかな荒らし天音、さと、ゆっきーらを指して、アラフォー広場史では「とつげきの酌婦たち」、またはつづめて「とつ酌婦ら」、とも呼ぶ(なお史観によっては、とつ酌婦らに、子の教育について相談をしたり、「(とつが)嫌いではない」といいつつ、とつと通話したことのあるユミを含む)。

八 レコナーの狂言
 一方、とつ酌婦らの共謀による立場の悪化を危惧したちーはおのりやニョッキ、けろたんらを部屋によび、広場における反ちー連合の拡大への対策ついて、相談を行っていた。
 このちーによる相談の同日(2018/9/4)深夜、レコナーは天音ととつの連携がさらに深まる事を予想していた。いわばアラフォー出会い厨荒らしであるカート一派と、とつ酌婦らの反ちー連合が、とつの糾合行為によりカート・さと・ゆっきー・天音・ユミをまきこみ、しかもロサ・カートらアラフォー広場での主要な荒らし関係者に飛び火しながら、さらに愚痴・政治からの荒らしセント(及び同調者・アルファによる)花火荒らし迷惑行為とも結合しつつあるのを鋭くレコナーはみてとり、アラフォー広場治安の将来を危惧した。ここで先に酌婦らのご都合主義な醜態をアラフォー広場で観察していたレコナーはちーにすべてを報告するや、即座に一芝居を打って出ることを決めた。すなわち、レコナーは突然天音を褒めちぎり、ひたすらもちあげ、美女様慈母様とご機嫌をとりながら、天音に隣席するとつの嫉妬を買おうと努めたのである。サイコな気質のとつもとつなら容易にこの挑発に乗らず、はじめこそいつもの学歴差別的偏見で、とつに勝る高校偏差値であったが芸術系であるため典型的学歴でその知性を計測不能なレコナーを中傷していたが、次第に我慢ならなくなるや、とつは天音に大発情をはじめた。「天音コンプ! 天音がやさしいからなーwwwwぷっぷ」と、周りが青ざめるほどの狂態を、もう中年になって久しいが、レコナーとの愛をかこつにゃこぶとやはりサイコに生き別れたとつは、見苦しくも悲痛に示しだしたのだ(筆者注・出会い厨とつと、とつの貯金通帳を見たにゃこぶが、とつと同住所の別部屋に家賃節約のため同居しつつ、政治統治のためレコナーからの側室化の誘惑の際にうけた甘い言葉、即ち愛を、レコナーからの告白と受け止めていたことは、一部の研究者によるピグ史においては既に知るところとなっている。なぜなら、あるとつの配信の中で、出演したにゃこぶはレコナーの話題になるや顔を赤らめ、愛を語ったからである。この際の、とつのレコナーへの嫉妬と狼狽ぶりは語り草となっている)。これを「とつの天音コンプの大発狂」、あるいは「とつ発狂」という。
 とつ発狂で雌雄は決し、天音は苦しゅうないとばかりにレコナーのほめごろしに負け、ベンチの中央に座った。右手にレコナー、左手に空いた席へ「とつさんこっちきて」「ホストみたいキャハハ」と、天音は色好みの本性をあらわしだした。困ったのはとつである。とつ十八番の学歴差別ネタ(だれにも人気はない。学歴コンプレックスを抱えたままの中年の哀れみを示している)も功を奏さず、天音は可愛いレコナーも手放したくないのであった。しかし実のところ演技を打つ冷徹な戦術知能のもとで、レコナーは酔っ払いとつと、浮かれる花魁天音のもとをそっとはなれ、事態を観察していた気弱な態度のおのりの横に行くと、疑わしい狂言芝居の理由をひととおり説明したのだった。この一部始終をレコナーの狂言回し、或いはレコナーの狂言という。

九 反の自傷爆笑事件
 広場の事実上のお局である天音を狂言師レコナーに釣られ、まとめてとつ派となりつつあった出会い厨連合は総崩れとなった。
 他方でレコナーへのストーカーでサイコパス気質ミューデが、このときもレコナーをストーキングしていた。レコナーはこれがとつ派になびくことを防ぐため、ストーカーであるミューデの隣へ逆襲したが、ミューデはツンデレ・ストーカーでもあるため数度、ベンチをかえてたわけていた。これをみてとったとつは何とか自陣を保とうと、ミューデの懐柔をはかろうと考えた。とつは再び規約違反の教育差別にあたる学歴ネタやら愚にもつかぬ幼稚な侮辱やらをもちだし、レコナーへ度重なる名誉毀損行為をはじめた。だが既にミューデはいつもの如く利己的のみに言動し、とつに通り一遍の応答はするものの、ミューデは(ミューデいわく作家であるレコナー当人ではなくレコナー作品を)偏愛するレコナーの哲学部員となったあとであったため、とつの側の時も既に遅かったのである。
 ところでこの間、レコナー正室であるが、生来の精神障害を抱えるミキは、広場における上述の難所たる統治の労苦を心配したり内助するどころか、逆に、レコナーを責めさいなんでいた。というのも、ミキは26歳でのじさつ願望のある反(反出生主義者)への嫉妬心に駆られていたからだ。レコナーは反が生を否定しながら自殺願望を語る不穏なイベントをピグで開いている場面に何度か遭遇し、やがて反へ生きるのを励ますようになったのだが、ミキの知能にはレコナーの広場統治の激務はみえておらず、また仮に見えていたとしても、自閉症たるミキを過度かつ偏執的に愛することより優先されるべき公務の意義など少しも理解できないのであった。端的にいえば、正室ミキはレコナーのピグ公務の公共的な意義を理解できず、嫉妬によってメンヘラ的かまってちゃんを述べていた。
 レコナーは塵労していた。天音がいつものよう朝方(または深夜)おきだし、家事にいっても、レコナーは昼夜を徹して、花火荒らしセントを抑えるべく運営に通報、セント唯一の擁護者アルファを説得しながら懸命に働いていた。ところが、このさと事件でのレコナー活躍の時間は、のちにミキが宿痾たる自傷画像を構ってちゃんよろしくレコナー哲学部ハングアウトに掲載する遠因ともなった。しかしミキが天敵と見なす反はこの後、反自身の部屋で反が模様替え中に、突然のミキ自傷について程度こそあれ狼狽し相談に来たレコナーの前でw(笑う意味のネット俗語)を連打し、この無礼を重く見たレコナーから縁を切られることになった。ミキと似て青森在住の「じゅん。」が処女厨・流行(流行神、流行り人、はやり)の脅迫に耐え切れず、自傷したことを引き合いに、青森ピガーの病み具合をおどろき語るレコナーをみるや反は大爆笑の意味と受け取れる「w」を10個程度重ねて連打、なぜかレコナーが青森差別をしているかのよう、反はこの真剣な相談の一部の発言を悪解釈した。反は、青森ピガーの自傷する二人について語ったレコナーが、一切の青森県民について不健康だといったかのよう、一般性の範囲について誤解し、レコナーによる差別的偏見の稚拙さに侮蔑的な笑いをしたといいわけするのだが、あらゆる差別や偏見をなくそうと全力で努めてきたレコナーが恋人の住まう青森をひいきこそすれ差別するはずもなく、逆に傲慢な態度で「既に謝罪したろう」と開き直った反の人格的特性もしくはコミュニケーション・スキルの稚拙さに、レコナーは大きな失望や不快感をおぼえた。またこの後、当の話し合いをしている反の部屋に、流行と命が来訪、特に流行は「(大阪人である反のような)関西人は漫才が日常」、命は「(筆者注・恐らくミキを含めていったのだろうが、反のような)メンヘラを構うのは害しかない」という。レコナーが愛するミキの自傷を間接的な勘違いとはいえレコナーの前で大爆笑する返答になってしまったことを軽く見ている反へのレコナーからの尋常でない失望感にいよいよ切迫した事態を悟った反は、少し態度を改めレコナーへ謝罪するも、流行の大阪人漫才日常説に一定の多文化性を認めるレコナーへ自称「リアルゲラ厨」(現実での笑い上戸の意)反は再び偏見だと爆笑をはじめてしまい、手に負えなくなった。レコナーは大阪来訪時、電車内で大阪小学生の日常会話が漫才風なのにカルチャーショックを受けた経験があった。このため、ミキの心配した、反とレコナーの縁はレコナー側から「ゲラ厨(笑い上戸)」反との一切のつきあいを断つことで無事解消したのであった。2018/9/5の深夜から早朝にかけてのできごとだった。これを反の自傷爆笑事件という。さと事件にとっては副次的な出来事であったが、事件の最中にどの様な背景が動いていたかを知るのにふさわしい。

十 アルファ懐柔
 再び視点を広場にもどそう。2018/9/5の朝から昼にかけ、レコナーは一睡もせずアラフォー広場統治に努めていた。そこへちーがやってきて、既に4年にも渡るピグ最長戦争となったセント・ユミ戦争に、ちー得意の喧嘩イベ出身江戸っ子べらんめい口撃での介入をはじめた。広場民からの敵意を買いかねないこの口撃の激しさの副作用を緩和するべく、レコナーはセント花火あらしを通報するよう広場民に告げるた。と同時に、レコナーはセントの荒らし相棒・アルファの恋愛願望をききとることで、セントとアルファの間に入り込みつつ、アルファ側のみの懐柔をはかった。これをレコナーのアルファ懐柔策、あるいは(レコナーの)アルファ懐柔という(なお時系列的にいえば、上述の反の自傷爆笑事件はこの直後におきたことである)。
 レコナー・ちー連合を中心に、広場の勢力図のなかで再び勢いをとりもどしたちー派であったが、天音曰く「決して気弱ではない」おのりは、ちーの勧めで広場に再来したことを気に病み、繊弱そうな態度で広場のレコナーや、ちーへも部屋で済まないと何度も謝罪した。正義漢ならぬ正義乙女を気取るちーは当然これを義に受け、レコナーに親おのりピグ友連盟を確認し、しばしばおのりへの信義を破る天音の老獪な本性をより深く洞察するようレコナーに説くのであった。

十一 ゆきえの発狂癖
 2018/9/5の夜ころ、アラフォー広場003(アラフォー広場3ともいう)で、レコナーへのピグ・リアル両方でのストーカーであるミューデの隣にすわり、レコナーは、ミューデに語りかけていた。ミューデの度重なる良心なき言動の特殊さについて、サイコパス説で解釈できる、と。なおかつミューデが仮にサイコであったときミューデの幸福は如何様になりうるかをレコナー自身に問う様に語りかけていると、隣席していた赤の他人であるゆきえ(yukie)が突如発狂した。ゆきえはサイコパスの専門家かとレコナーを侮辱しだしたが、近くにいた文殊鬼月菩薩ことレコナーの善を信じるピグヲからとめられた。院生・灰猫からサイコパスや心理学についての話をうけたレコナーが哲学部に灰猫を勧誘した最中のできごとだった。どうやらゆきえはこの直前、「セレブ」を俗語的にほぼ金持ちという意味内容の文脈で使ったのだが、英語でいうcelebrityは、名士、有名人の意と、レコナーにこのまちがいを解説されていた。和製英語は外国人との間で誤解をまねきやすいと。また「ミロ」というココア味の粉末麦芽飲料がある家庭は金持ちと述べたピグヲについて、スーパーに比較的安価で売っている商品の常用なのに、中流と富裕層をまとめて金持ちとみなしているのかとピグヲがいなくなってレコナーが疑問視するに、ゆきえはなぜか軽く狂いだしていた。
 つとにゆきえは政治広場でもアラフォー広場でも最近、ほぼ一人で一日中ベンチに座っている奇特な変人だったが、ある日、片親で寂しいなど北海道在住の身をレコナーに語りだし、それを気の毒に思ったレコナーが語りかけると「よくまあしゃべること」と逆切れの嫌味を述べて突然おちるなど、異常な行動が目立った。またゆきえはちょこまかとアラフォー広場で動き、色々な他人へ愚にもつかないお節介で余計な一言を述べる癖があった。したがって今回のサイコパス論時にみせた狂態の根源原因もまた我々にはうかがい知れないが、ゆきえ事情を詳述したのには少々理由がある。というのも、さと事件の本筋から逸れるではなく、2018/9/5朝から昼ころのセント・ユミ戦争のさなか、なぜかユミへ横っ面から攻撃を開始したゆきえはみずから、さと事件に第三者風を装い、参戦する意志をみせていたからだ。ゆきえ当人にその意図があるか否かに関わらず、ゆきえ固有の発狂癖による戦争参加者だというわけである。
 またこの夜、レコナーはかつてロサの相棒として花火連打で天音を追いかけ回し虐めながら荒らしをおこなっていた「とと」に、同広場で出会った。今晩はとレコナーが挨拶するに、レコナーを「かわいい」と評していたととも同じく返して、そのまま物別れになったのだが。

十二 レコナーのおしゃべり部屋調査
 レコナーは2018/9/5同日昼頃、周辺調査を兼ねてピグのイベントやおしゃべり部屋で情報収集を行っていた。するとおしゃべり部屋の株・FX部屋に、セントがいて、レコナーと鉢合わせした。セントは軽く驚嘆すると、すぐに逃亡した。その場にいたアラフォー広場にも出入りしていると語る名古屋女・モンちん(モン)が語るに、「セントは株・FX部屋では本物といわれており」、「悪いうわさは色々きくが」、「この部屋では大人しい」という。またロサを謎に「もて男」と呼ぶこのモンという着物をきたピグアバターは、その場にちょっかいをだしにきた喧嘩イベント民・ずーC(ず~C、ずーしー、ずーちゃん)を擁護しだした。というのも、イベントで自称中学生だったにもかかわらず、株の売買について事実か怪しい行動を語るずーCだったが、ずーCはそののち命イベントで、肉汁というロリコンの都民をだますため女子中学生として偽装していたとレコナーへ言い訳するのだが、レコナーがずーCのウソらしい言動について訝しがるのをきいていたモンは、かなり驚愕したような名古屋弁でそんなこと(ずーCが1年ほど前中学生だったなど)ありえない、とレコナーを責めるよう強弁をはじめた。ずーCはこの少し前、同命イベントで、大阪でバイクに乗る為、免許をとったとレコナーへ述べていたし、諸々のずーC的言動は実に幼稚なので、高校生くらいの年齢かとも類推されうる余地があった。またこのモンの明らかに早計すぎる臆断をずーC擁護の空気とみるやずーCはいつものごとく調子にのり、ずーC曰く「かわいい」とレコナーを気に入っていることもあり、レコナーへピグ友になるよう数度頼んだ。レコナーはこれを断りきれず厄介ごとを抱え込んだとおもった。命いわくレコナーの「自己犠牲」だという。
 セントらの情報収集をはかるため、レコナーは投資についての持てる限りのバフェット的本質を述べた。が投資学について学んだともいえない水準のこと、即ち為替は通貨ペアが限られる為、株式の銘柄選びより楽などと、ファンダメンタル的にどうみても危ういことを述べるモンに、またその種の人たちが「株の負け組」セントの為替投機を本物視していることに、一投資家たるレコナーは半ばよりずっと呆れていた。またその場ではじめてあったであろうずーCの情報についてなにも知らない段階での、より大きな情報を持つレコナーの正直な疑問へあてつけるような、嫌味じみたモンの臆見の底の浅さに、二度とこの人に関わらないようにしようと心に決めつつ、レコナーはなおその場に粘って情報を収集していた。一流企業のおじを持つタクマについて語るレコナーへ、かばおというその場で新たな来訪者が「投資家はうそつきの始まりってことわざ思い出した」とさらにひとたる品位を疑わせる質の低い言動をみせた為、レコナーは二度とここに出入りするまいと決め、「失礼をば」と述べるもはやく去っていった。

久しぶりに政治広場に行ってみたら鼻毛会長やとつげき東北、ミューデらがタクマを炎上させていた話

きのう、ひさかたぶりにアメーバピグと称すインターネット・ソーシャルネットワーキング・サービスのごときものをしてみたり。なぜかなら『アメーバピグ史』というブログサイトを、回顧の意味で作ってみて、今どうなってるかみてみようと思ったからなり。

 それでまず入ってみてわかったが、ピグの中は時間が停止した様に殆ど何も変わってなかった。ロサとかいうアラフォー荒らしが復活、20代広場はとしま(玉井)一派が出会い系広場と化したため荒廃して閑散とし、イベントでは流行人というネトウヨをやくざの様ながきんちょ達がいじめて(いじって)いた。
 アゲアシ・トルマンに流行人(以下、流行)を助けてやってくれとかいわれたので、しばらく流行を観察してみたが、特に変わったこともなさそうだった。いつもの流行関連トラブルにならないよう、放っておいて自分の人生に集中した方が生産的じゃないかなど忠告めいたことをアゲアシ氏の開いていたイベントの入り口近傍に立って言っておいた。

 で政治広場にいってみると、タクマという男が発表席に棒立ちになっていた。しばらくいてみると知り合いがいじりに寄ってきた。まゆとか、天使とか、鼻毛会長とかである。天使がドラクエのマドハンド的に仲間を呼び寄せ、流行とかホワ(わほ)とか手先にしている人も来た。

 ところで天使は「荒野行動」というゲーム内では、鬼軍曹みたいな日本軍みたいなことをしている、いってよければ闇将軍である。僕(ピグや荒野行動でのニックネームはレコナー)とかミキとか何とか丸とかの平和主義的な孫子兵法派(なるだけ敵を殺さずに生き残ろう派)へ、ことごとく最前線につっこめ! と特攻隊させようとやたら煽ってくる。天使闇将軍に仕えている(恐らく)可哀想なほわは、ある時など天使が勝手に倒されほわだけ生き残っていたところ、天使から「はやくしんで(ゲーム内でチームが全滅するとスタートにもどれる)」などと自決を強要され、しかも観戦してた僕の前で実際にみずうみに飛び込んで敢えなく逝ってしまった。
 で、荒野行動(以下、荒野)でチャットは難しいので、ピグに天使がきたことだから荒野はサバイバルゲームだからキルゲームじゃないから、生き残ることが大事でしょ。総合得点、君700台(最低でそこから下がらない)だけど、僕は3000台でしょ。とか説明してみたら(少し誇張している。実際にはもう少し幅が狭い。以下参照)、
天使「キルレ(キルレート。試合内で何人倒せたか)が実力だろwww」
などといつもの様に煽ってきた。何も考えず敵陣に突っ込む小学生とかならわかるが、僕も天使も勝率は同じくらいでしょと反論した(勝率とは100人中1位になる確率。荒野は総合得点を構成する要素として、1位率、TOP10率、キルレなどで実力が指標化される)。
 僕も天使も、ほわも、今のところ大体1位になる確率は5%くらいである。しかし天使のキルレは1.3だかあって僕やほわは1以下である。一方でTOP10率は僕が90%以上あって、天使は15%とかである。総合得点はそういうのを加味した最終成績なのだ。以下に実際の荒野の戦績をのせた。
レコナー(僕)(2019/2/20現在)
総合得点 2830
シングル勝率 5%
TOP10率 98%
撃破/死亡(キルレ) 0.34

天使(デンデロリーナ)(2019/2/20現在)
総合得点 1162
シングル勝率 4%
TOP10率 18%
撃破/死亡(キルレ) 1.31
 
ほわ(わほ。マリアさ)(2019/2/20現在)
総合得点 1872
シングル勝率 0%
TOP10率 21%
撃破/死亡(キルレ) 0.09

よって、戦績を比べると

総合得点
レコナー(2830)>ほわ(1872)>天使(1162)
シングル勝率
レコナー(5%)>天使(4%)>ほわ(0%)
TOP10率
レコナー(98%) >ほわ(21%)>天使(18%)
撃破/死亡(キルレ)
天使(1.31)>レコナー(0.34)>ほわ(0.09)

となる。
  ほわ曰く天使はサイコパスゆえキル好きと。確かに、天使の長所はキルレだけのようだ。他の実力はほわにすら劣っている点が多いのが、現時点の戦績から読み取れることである。客観的に分析する限りキルレは高いが、他の能力については自信過剰のきらいがある様だ? (なお今回は個人の実力を見る為、協力プレイヤーのいないシングル戦績で比較した)
 「とりあえず俺についてきて、10位に入ってから、きみが特攻隊でキルしまくれば完全勝利なんだから、そうしましょうよ?」と僕が言っているんだけど、天使はプライドが高い闇将軍で、僕の軍より遥かに数が多いかなりの兵士数をもっている上に、全然作戦を理解せずとにかくキルレ上げしかしたがらない。
 しかし周りにいたカトレアが民主党は駄目だとか、まあ典型的な保守主義者の偏見をぶつけてくるの至ったので、若干面倒でうんざりしていたところ、天使もいつものよういきなり消えた。そのころミューデも、天使一派に召喚されたのかわからないけど広場に登場していた。

 で、鼻毛がイケハヤ(イケダハヤト氏)の話題とかネット業界の雑談をふってきて、それに自分が応答してたら鼻毛が発表席のタクマをあおり出した。発表席の後ろにある看板前で、とつげき東北もいつ煽りに入るか虎視眈々と狙っていた。いつものことだ。
 玉井(旧としま)なる20代広場を完全な出会い系広場(ピグ規約違反の広場)にした失政の張本人といっても過言ではない人物がいる。この男は自分の知性を大いに誇っていて昔は物理博士か何かと名乗っていた様だった。自分が政治広場(以下、しばしば政治と略す)の方が20代広場みたいな幼稚な場所よりまだましだろうと思って政治にきてみたらと誘った時は1度くらいきてすぐ去ったのだが、まゆ曰く今度は自分から政治にきて居座っているらしい。玉井はとつげき東北と数理オタク(当人達には常識)の話をしだした。
 鼻毛がタクマをあおる内容は、タクマがしばらく前に友達と開業した大阪のたこ焼き屋を数ヶ月で店じまいしたこととか、タクマが「世界一の投資家になる!」と『ワンピース』の読みすぎじゃないかみたいな大志だか野心をしばしば公然と語ることに向けられていた。
 で、ここで僕が今回、一番書こうとしていることに来た。

 とつげき(以下「とつ」と略す)やミューデ、カトレアなども鼻毛一流のタクマへのあおりに同調し、タクマは発表席で火だるまになりつつあった。そこでとつげきは彼の鉄板ネタ(最大で3つくらいしかない)の1つである、学歴差別をはじめた。
 とつは彼のホームページ(HP)によると、若かりしころ仮面浪人し東北大の工学部に入ったのだが、その時に猛烈な学歴コンプレックス(学歴優劣感)をもったらしい。で、そのHPにある彼の思想や、自分が長い間ピグでの彼のふるまいを観察した限り、彼のピグはダークトライアド(サイコパス、サディスト、マキャベリストを兼ねる性格傾向)の気もある。彼は出会い行為を規約違反で10年あまり続けてもきて、日常的に差別するし、荒らしの典型なのだがまだBANされない。
 今回もいつものよう、とつは
とつ「(タクマは)高卒の低学歴だから馬鹿だ。お前と違って俺の人脈は広いし、麻雀のつてでcisさん(日本で有名な短期投資家)もいる。ウォーレンバフェットは(cisさんが)クソだっつってたのは(俺も)同意した」
などと、タクマを不躾にそしりだした。
 茂木健一郎氏は偏差値教育嫌いで、(日本の偏差値入試に基づいたガラパゴス化した国内の)学歴でいまだに差別してる人は馬鹿みたいなことをしばしばお書きにならしゃっている。多重知能理論(自分は多重知能仮説と呼ぶ)によると、受験知は他の知能と正相関するとは限らない訳で、一理あると思う。
 とつげき(とつ)に
レコナー「君のだいすきな東大博士こと茂木氏の意見はどう思うか、対談したらなんていうのか?」
ときいてみると、
とつ「誰それ? CiNiiで論文検索する」
というので、僕は
レコナー「多分、論文にするまでもない話だからないんじゃないの?」
と返答した。
 とつはその後も、執拗にタクマや、勢い余って僕をも攻撃していたのだが、途中で
とつ「投資で計2200万くらい損してるけど、俺の株が下手なのは仮に証明されても学力が高いこともまた証明されてんじゃん」
と言い出した。結局、とつは多重知能仮説をとっていないのでこういうせりふが出てくるのだろう。
 タクマはその間もずっととつ(及び鼻毛に煽られた広場民)と小学生級の喧嘩の様なやりとりをくり返していた。ではタクマが何に煽られて反応していたかというと、彼がキモトなる会社の株で200万円の含み損を抱えている、と述べた際、とつが
とつ「200万はあそび資金だからいいじゃん」
といったことによる。
 タクマは
タクマ「なんちゃってお金持ちみたいな価値観展開する人間が嫌いなんです」
といいながら、大体、深夜数時間近くに渡って、鼻毛やミューデ、カトレアらに煽られながら、とつと罵り合っていた。タクマは1円でも大切にし、彼の投資スタイルである長期積み立てをするのが正道だといいたいのであろう。
レコナー「勝率と損益比の選択は短期か長期か投資スタイルによるし、短期筋の流動性があるからタクマみたいな長期派が安く買いませるのでいいじゃないか?」
といってみるとタクマはそれを理解した上で
タクマ「株式市場の流動性は有害で短期筋は消えていい。証券会社の鴨だからいいけどw」
と結論した。
 自分はタクマと同じ意見ではない。タクマは短期的な株式市場の流動性は不安定化要因に過ぎないとみている様だったが、自分はそれこそが新興企業に余剰資金を巡らせる鼓舞になるので、確かに確立した大企業には安定した資金調達に邪魔で時に不都合だが、市場全体をみると結果として有益だと思っている。
 途中でタクマ炎上に成功した鼻毛や、それに参加していたサイコパス度の高いミューデらがいつの間にか消えた。とつはとつでタクマを虐げるのに飽きたようで、今度は僕の方に照準を向け、
とつ「おれが麻雀研究で世界一だから」
といいながらお前は専門卒だから馬鹿だだの絵の実績がどうのと煽りを入れてきた。アインシュタインは専門卒である様、一律の条件下で同じ大学入試の試験を皆がくぐるものではないからその偏見は無効、自分は芸術系なので普通大学受けなかった(高校時点で早慶はデフォでA判定位の学力だった)といつも教えてあげているが、とつは学歴差別を特に有効と思っているので馬耳東風である。
 で、賞は一応いくつかもらったけど絵の実績は絵自体だから、なんらかの外部的評価で絶対的価値が決まるのではない、寧ろ親がしばしば自分の子供の絵が世界一よいと思うよう、絵の評価の本質は世俗的なものではない、と自分が教えるのだが、とつは絵なんて興味がないし分からないので学歴が全てという。僕が
レコナー「IQは遺伝的に6~7割決まるといわれることもあるし、IQで差別するのは遺伝子差別になる。肉体年齢分の精神年齢の百分率としてのIQは、低い人の方が子供の心が分かるといった長所もあるのだから、高IQが優れているとは限らない」
と述べると、
とつ「優生学は復活させるべき」
と言う。
とつ「IQなんてどうでもいい指標じゃなくて、偏差値が大事」
というので、既にのべてきたよう入試偏差値は一律すべての人が同じ条件下で受けている共通の試験があるでもないし、海外の共通入試はこれとは質が違っているだろうし、芸術や運動知能みたいな別の基準もあるので無効でしょと僕がいうと、
とつ「偏差値は偏差値、統計的な偏差値のことだから。なにいってんの?」
等と適当にごまかして逃げ、消えてしまった。その偏差値をはかる前提になっている条件が一律でないし、知能の全てを標準化できるわけでもないから、賢愚をそう単純に一般化できないだろうと僕側はいっているのだが。とつはその他にも僕に
とつ「俺の本より売れる哲学書だしたらいいじゃん」
などと煽りを入れてきていた。タクマはその間、半ば傍観しながら
タクマ「哲学は科学みたいに答えが1つだけじゃない」
といったので、僕は
レコナー「哲学は無限に探求できるだけ。科学ももと自然哲学といわれてたよう本当は同じだが」
と付け加えた。

 やがてあおりは消え去って、深夜の政治広場に、タクマとカトレアだけが残った。正確に言うと、彼らと僕の他にもう1人、カトレアと話しだしたよく知らない男アバターがとつの消える直前に入ってきていたが。
タクマ「文系と理系の思考原理がずれている」
レコナー「理科教育を受けても広い一般教養に欠けていると、自然科学の手法をあらゆることに無理やり当てはめようとする人が時々いる。科学教というのだ」
タクマ「僕もそうだけど、理系の殆どがそうでしょ」
レコナー「とつのはただの煽りだから、相手にせず、投資の勉強してた方がよほど有益」
タクマ「普段は相手にしてない。今日は暇潰しで応答してみただけ」
などといっていた。実際、とつがこの10年近くピグでやってきた言論活動のほぼ全てがここに集約されていると私には確信できる。

 タクマは礼儀正しくお辞儀をすると、それではお休みなさい、といい、モノリスみたいに消え去った。

 僕はその後、アラフォー広場という場所に行き、相も変わらず(数年間以上)天音いじめをしているらしいロサやトトを見つけ、大いに呆れながら
レコナー「ロサはネットサディストだけど、天音も被虐快楽の嫌いがある。ちー(ちーちゃん)やりおしなど、政治広場から派兵した天音救命軍の間にどれだけの犠牲が出たと思うのか。天音は逃げろといっても逃げない。ケムンみたくアラフィフ広場に移民すれば終わるのに。もう天音もロサ一派の共犯かもしれない」
というと、文殊鬼月菩薩(通称ピグヲ)が性的嫌がらせの下衆な煽りを入れてきたので、僕はピグを去った。

2019年2月18日

ピグ階級

ピグ階級
最上流階級
ピグ王族
SS 称号及び敬称・帝王または統一王、王、姫、様
レコナー(今の政治に望むこと広場・喧嘩イベント・アラフォー広場の統一王)、みき(もりみき、miki。レコナー正室)
S 称号及び敬称・様、殿、さん、氏、等
天使(喧嘩イベント新聞主筆)、としま(20代広場主)、オデンヌ(旧私の主張発表広場女王)、ユークレース(レコナー側室)

上流階級
ピグ貴族
敬称・殿、君、さん、ちゃん、氏、等
A 称号・将軍
りおし(政治広場将軍)
B 称号・公爵
アメリカ人(喧嘩イベント主催者)、天音(アラフォー広場花魁)
C 称号・侯爵
そえ様(副島、そえじま。旧喧嘩イベント王)、トット(みき看護婦)、ぺちょ(旧愚痴広場女王)
以下敬称・君、さん、ちゃん、氏、等
D 称号・伯爵
だるま(ダルマ等。旧愚痴広場王)、櫛(ninio。旧20代広場独裁者)、くおん(ピグブレイブ旧女王)、ユミ(yumi、YUMI。りおし愛人)、ちーちゃん(政治広場副将軍)
E 称号・子爵
わほ(ほわ、howa。哲学部員)、何とか丸(丸。哲学部員)、INNO(イノ。哲学部員)、toutou-cadette(とうとう、カンクレ、toutou。哲学部員)
F 称号・男爵
S(哲学部員)、Mude(ミューデ、みゅで、むで、もかP。旧哲学部員)、政治広場新聞(政治広場新聞主筆)

中流階級
一般広場・イベント民
敬称・君、さん、ちゃん、氏、なし
G 上層広場民、上流イベント民
なおにゃん、nana、ともみ、もず、命、ビバオール、N、シャア、DK、ボビー(bobbymacgee)、チャッキー、ハイド(はいどぅ、ゆうじ)、むめ、古川、influentd、今夜もパーティー、流行り人(マックミラン)、肉汁、蛍、ケムン(ムーン)、狐、ハウル、等
H 一般広場民、中流イベント民
やまぶどう、まゆ、R-JET(ジェット)、いちご(いちご姫)、ナオ、ちくわ、あんこー(東京れなもん)、れなもん(愛知れなもん)、こうへい(こうへいへい)、さいたま、ほりえ、あいちゃん、でつん、バービー(Barbie)、鼻毛(鼻毛友の会会長)、使徒(桜田family@)、ダウダウ(よがみ、夜神)、ず~C、洋豚、ともみっこ、あ~み、オメガ(Ω)、等
I 下層広場民、下流イベント民
けんじ(20代広場出会い厨)、428(しょーこ)、4ch、いちたん(李)、ぬこまん、ひちょり(偽りおし、つくも、抹茶100%、など。ニックネームを頻繁に代える)、おぐりん、たろう(アラフォー広場のたろう)、金とと(金のトトちゃん当たりました)、侑(ゆう、アラフォー広場のゆう)、ヒロ(hiro☆)、シラン(silane、あまなつ)、ぴろ(プッチ神父。ニックネームを頻繁に代える)、ももくろ(4番ファースト覚せい剤。ニックネームを頻繁に代える)、sayoko、yuki(ユキ、政治広場のゆき)、等

下流階級
荒らし
敬称・なし
J 広場荒らし、イベント荒らし、出会い厨等
ロサ(ローザ、Rosa。アラフォー広場荒らし)、とと(アラフォー広場荒らしロサの相棒)、ゆうじ(アラフォー広場の天音ストーカー)、とつげき東北(とつげき、東北、とつ、凸。政治広場出会い厨、侮辱厨)
K 2ch犯罪者等
だんご(悪の枢軸。政治広場雑談厨の黒幕。旧2ch政治スレッド荒らし)、ほめ(ニックネーム、IDを頻繁に代える。悪の枢軸。政治広場雑談厨。旧2ch政治スレッド荒らし)、イトキチ(Itokichi。悪の枢軸。旧2ch政治スレッド荒らし首謀者)
L みんなのチャット荒らし
赤花瓶(みんなのチャット荒らし首魁)、モロヘイヤ、軍艦宮古鳥、ブサイクオ、百姓、カイ、じゅん、ちゃま、しらたま、key、暇人共、宇治金時、Yちゃま、ぴよ、nana、原初の魔眼に導かれし椿、てやんでい、るる、ジョんびー、さおり、白うさぎ
M 指定暴力団員等
つかさ(司、高忍、司万次郎、松本人志、など。ニックネームを頻繁に代える)、トミオ

主要登場人物集

レコナー 茨城の青年。北茨城で生まれ、福島、東京を経て育つ。公務員の家系。正義感が強い水戸っぽ気質。芸術家。
みき 青森の若い女性。自閉症。性格は善良。騒がしい場所やストレスによる気分の病的な変調がある。素朴な性格。子供っぽい。
天使 神奈川出身、関西大学文学部卒の東京の若い女性。サイコパスとされる。元小説家志望、自称・凸版印刷に勤務。自殺願望あり。喧嘩イベントの常連。
としま 東大卒の物理博士。自称ニート。ユーモアもあるスノッブな性格。ニニオの退陣後、20代広場の主となる。
オデンヌ 仙台の女性。娘1人。旧武家。旧主張広場女王。高慢だが現実的に判断する。冷酷な面も大きい。
ユークレース 横浜の若い女性。父は大企業勤務。嫌味を言っている様に思われる発言が多いが、キリスト教を信仰している。
りおし 東京港区の白銀台に住む謎の男。ずる賢い。
アメリカ人 福岡の男性。借金持ちだった。人に寛容である。
天音 愛媛の主婦。孫がいる。疑り深いが情に厚い。
そえ様 喧嘩イベの旧覇者。謙虚な面もある。
トット 茨城の看護婦。親の介護を果たして後、病を患っていたが、極めて善良で慈善心が強い。
ぺちょ 埼玉の女性。旧愚痴広場女王。主婦連の頂点に君臨していた。バツイチ。性格は丸い。
だるま 群馬の青年。中学卒業ころ母を亡くし、長い間引きこもりの生活をしていた。メイスンが親友。旧愚痴広場王。
櫛(ニニオ、ninio) 謎の男。真正サイコパス。旧20代広場独裁者。悪質であると同時に嗜虐的である。
くおん 東日本在の女性。韓国系ハーフ。ピグブレイブ旧女王。性格は穏やかでないが、筋の通った面もある。
ユミ(YUMI) 東東京で生育した元娼婦の主婦。ネット不倫を趣味とする。怒るとヤンキー風の素が出る、感情の起伏が激しい。元客の夫との間に複数の子供がいるが、子育てを疎む。多摩に姉妹がいる。
ちーちゃん(ちーちゃんなんだってばぁ) 東京の女性。東大和市在住説がある。男言葉を使い、荒っぽいが、おくてである。
ほわ(わほ) 静岡の主婦。凡人を主義とし、付和雷同の気質。知性に自信がなく、浪費家の面もある。
何とか丸 東京の青年。スーパー勤めを辞めてからネットゲームにのめり込む。将来は生活保護を受けてのゲーム三昧を宗旨としている。レコナーとゲームを共同制作する。
INNO(イノ) ノルウェーの若い女性。性嫌悪で健康不安だが、性格は善い。アジア系。鼻毛友の会会長と古くから親しんでいた。レコナーと世界の不条理を分かり合う。
トウトウ(カンクレ、toutou) フランスの女性。法学博士と称する。知性は高い。性的に放逸な面もある。政治広場民や政治広場の低俗さ、愚かしさを「気違い」と表現し、軽蔑している。
S 長崎の青年。ゲームマニア。元ブレイブに於ける有力者。新しいゲームを探求している。自慰が趣味という。
ミューデ(Mude、もかP) 東京在の若い女性。静岡出身説。機械人間と、レコナーにあだ名される。対人コミュニケーション上に著しい人間的感情の欠落がある。善悪の判断がつかない。理科を中心とした雑学が趣味。元オタク説があり、BL(ボーイズラブ、同性愛の漫画)を学生時代に嗜んでいたと発言。
政治広場新聞 関東出身、島根の松江にある大学で育った男性。製造業に就職、東京へ島根県安来市(やすぎし)の商店の娘と共に出てこようと計画するも、娘の親に反対され失敗。就職後、性売買にはまり居酒屋で働く。消息不明。しかしこの間、政治広場で諸々の情報収集をし、ピグ史に残る重要な情報源の1つ『政治広場新聞』を書く。

政治広場史

第一章 神話時代

 天地が分かれない間、世界は混沌としていた。
 ある雲間に、2人の女神が舞い降りた。
 1人の神の名をホメといい、もう1人の神をオデンヌといった。ホメ神は慈悲の神であり、オデンヌは博愛の神であった。ほかの神々はこれら2神に仕えていた。
 あるとき、博愛の神であるオデンヌのちかくにいた、邪神・軍鶏がホメをそしった。その動機は実に些細なことで、ホメへのいたずら心だった。ホメははじめこそ慈悲をかたくなに信じていたが、ついに我慢ならず、ホメのおわす天界からオデンヌ神らを追い払った。こうして天地がわかれ、天は政治広場と名づけられ、地は主張広場と名づけられた。これを天地開闢という。
 ホメ神はこのとき以来、神としての地位を失った。かつての慈悲の神はいまでは何者かをうらめしくにらむ憎々しい顔つきと、複数の身分(ID)をつかいまわす、単なる女性、のちに看護婦兼業の主婦となった。またオデンヌ神は天地開闢の際に軍鶏をかばった博愛のゆえに、柔和な顔つきと、同時に復讐に燃える誇り高き集団を神々の世界から授かって、一人の女性、またのちに歯科医の家の一員兼業の主婦となった。神々の世界から遠ざかったふたりの人間、ホメとオデンヌはそれぞれ、政治広場のホメ、主張広場のオデンヌと呼ばれることになる。

 第二章 古代(西暦2009年頃)

 ホメ時代

 ホメ(まっく等複数名を変更している)は、人間として日本国の神奈川県に生まれた。成長していくホメは16才の時、最初の相手を持った。それはホメの高校の教師で、その教師は横浜市に住んでいた。ホメは学校を卒業してからその教師と関係を持った。その為、別の男と結婚後もホメは横浜の中華街には家族で行くことができない、その教師に結婚した事を言ってもいないし、鉢合わせするのが恐ろしいからでもある。にもかかわらず、ホメは不義の子であるという元からの資質もあり、不倫を好む、大都会の奇特な人格として育つことになる。
 ホメは幼稚園時代の同園児から、政治広場にふらっと現れては消える既婚の不良であるタラオにまで現実と仮想を問わず手を広げる多情な女である。一人の幼い娘をもっていたホメの性遍歴は既婚後も出産後も甚だしく、ある時、政治広場のジェイに声をかけた。実に、アメーバ・ピグができたのは、天地開闢から去ること1年前であったが、この1年間に、愚痴広場、続愚痴広場ができ、有象無象が雲集しては離散する中で、現実の選挙とともに政治広場が開けたという。ジェイがその場で憩っていると、好色なホメはジェイを相手にいつものよう口説き始めた。ホメとジェイの不倫関係を眺めていた老婆モチタ(だんご等の複数名を変更している)は、老婆心とやっかみを含め、彼らを別離させようと図った。ホメとモチタの互いの魂を根絶やしにしたがるほどのねたみぶかい天敵関係はこの時から続く、政治広場の一大伝統芸能となった。ホメとモチタの戦争、即ちホメ・モチタ戦争(ホメ戦争ともいう)が開始されてからの1年間を、政治広場史においてホメ時代と呼ぶ。また、ホメと呼ばれるアバターならびに、モチタのアバター操作者側の実年齢の詳細は不明であるが、彼女ら自身が持ち出した写真等から中年以上である事が確証されているという。

 イトキチの生い立ち

 その頃、大阪の貧農から町工場の若社長らの一員にまで身を興したイトキチが、政治広場に渡来した。イトキチ自身の懐古録によれば、高校卒業後、大阪で窓拭きの仕事等を遍歴している間に遠く東国は常陸国(茨城県)出身で会社の先輩であった人物から叱咤されながらも激励され、社会の一員になったはっきりした自覚を持ったという。イトキチは後に、同じく茨城出身のレコナーと宿敵の関係、そして政治広場史上最大の世界戦争の総大将となるのだが。イトキチは高校時代の同級生の女と結婚し一人の娘を持ち、自らを木下藤吉郎の如き華麗な人生遍歴と考え政治広場に喜び勇み渡来してきたが、彼の本性は太閤秀吉とはことなり、堺商人とおぼわしきその身分にありがちな程度を越えず、2ch BBSという匿名掲示板をいたずらに乱用し始めた。イトキチにとって、モチタとホメ・ジェイの痴話喧嘩に見えなくもない小戦争(ホメ戦争)は嘲笑に値するものに見えたが、イトキチ自身の一社長としての身分を顧慮し軽率なふるまいを彼なりに戒め、自らの立場を隠蔽したまま彼らを非難する方便として、イトキチは誰が書いたかを確定できない2chを、陰口を好きに書き付けるべく使い出したのである。イトキチは次第にネットにかかりきりとなり、ホメ・モチタ戦争の報道者兼監査役として影の当戦争加担者となり、本業は疎かになっていったが、イトキチの娘は既に高校生で親を疎む反抗期でもあり、疎まれる側に独特のにおいを放つイトキチがその自らの部屋に引きこもりがちになるのは彼の家庭にとってなお好都合でもあった。かつ、彼の妻は公務員であり、家計にとってより重要性が高いのは妻の方でもあったので、ホメ時代からのイトキチの仕事は殆どインターネット上での政治広場と2chの往復で費やされていく事となった。
 イトキチの実年齢は40代であり(しばしばホメと同世代ともされる)、イトキチと同じく高卒で、性売買を娯楽とするいかにもな名古屋人の江田島(はる)、中卒の江戸っ子で波乱万丈の人生を経、釣り好きが高じて茨城は霞ヶ浦圏に2009年頃引っ越したジェット(R-JET)、また性道徳の欠如により性売買を趣味として没落した兵庫出身の離婚者・唯我らと、政治広場40代層を形成していた。ここで後世のため特筆しておくべきなのは、イトキチを除く彼ら3人の40代男性らは、みな性道徳の欠如と性売買という日本国法は売春防止法で違法とされている犯罪行動の慣習をもっており、しかもそのうち江田島を除く2人は1度以上の離婚をも経験しているという部分において共通していた事である。
 イトキチら40代男性層は互いに距離を置きがちであったが、それぞれ、江田島はイトキチを2chにおける蛮行のゆえに、またホメをその広場における不行跡の故に嫌悪していた。対してイトキチとジェット、唯我は互いに中立的であったと記す事ができよう。これら40代層のうち、イトキチと江田島、そしてホメは2chにおいて終わりのない中傷合戦を行ってきた。ジェットは江戸っ子の誇りとしてそこから距離を置き、しばしば2chに加わっても寧ろ公徳的な発言をする事が常であった。ホメ戦争は2chにまで拡大して熾烈を極め、ホメがmixiという別のソーシャルネットワーキングサービス(Social Net working Service, SNS)に一時退避したり再び広場でジェイとの情事に返り咲いたりを繰り返した。彼ら40代層はホメ時代の間、2chと政治広場の往復、あるいはイトキチのほぼ常時監視による陰からのホメ戦争への批判を軸にその広場政治を展開した。この頃、複数の広場民の中で、実に怨恨の激しい性質をしているホメから多かれ少なかれ憎まれた者は多数いたが、特にホメがブラックリストをつくり悪党(即ち対立勢力と)認定した者達は、なな(愛知のBAなな。岐阜の麗人・nanaとは別人であるため注意)、法金剛、芽衣、ごまさぶれ、こっちゃん、そして前述の軍鶏、モチタらであった。政治広場史においてホメ戦争時代にホメと鋭く対峙した彼らを古参と呼ぶ。

  第三章 中世(西暦2010年頃)

 後期ホメ戦争

 ホメ戦争は終わりが見えず、複数の虐待や過度の残虐な讒謗が政治広場と2chでくりかえされた。さらに、この戦争に参加し特にホメの不倫を邪魔した者の中で、モチタ、ガク、そしてトキワの3人をホメ時代の三志士という。ガクは三重県の男性と考えられており、法律に知識があり、かつスナック通いをしていたことからかなりの高齢と目されている。ガクは、既婚者でもある静岡県のほわ(howa)から淡い想いを寄せられていたが、年齢からもそれを拒否、かつ法の知識と得意ではあるが決して品のいいとはいえない数々の三重弁によって広場の人々を畏怖させるほどの暴威の厳を発揮していた。齢にしてホメより若くななより老いたほわは平凡な見た目の常識人でもあり、インターネット上のアバターであるガクに、さも演劇中の役者に寄せる類の恋に似た偶像崇拝の念を寄せてはいても、具体的な不行状にまでは至らず、その内心を知るごく一部の者からを除いて少しなりとも不義の者とみなされた事がなかった。一人すべてを知らないのは彼女の夫だけだが、当の夫は知的水準の高い大学の卒業者でもあり、仮にその夫が、多くの女性が持ちまた妻が隠しもつ偶像へのありそうな惑いを知っても怒りや悲しみより同情か、はたまたあわれみを寄せるであろう事は容易に推測される。
 ガクに対してトキワは多くの人々が抱くいかにもな関西人の典型に則り、品性の優れない発言、嘔吐感すら感じる類のそれをしばし行う性質で特に広場女性層からの過大な反感を買い、不人気であった。但し、女性層の中で男好きと自称するほどの人質である愛知県は三河の娘・ななを除き、である。こう記されればトキワはさも品行不正な悪行の徒とみなされるかもしれないが、実のところ他面では知的な人物でもあり、政治論を交えればホメの行状をおいつめながら広場の人々の話題を盛り立てるといった芸人ぶりで、そのアバターの見た目が禿げており中年の醜男である事にさえ目を瞑れば決して、単なる不徳自慢の発表席荒らしであった唯我らより無能だとはいえないのである。いずれにせよ、これらホメ時代の三志士は数々の戦術によりホメとジェイの不倫関係を揶揄し、影の大将であったイトキチや有志らと共にホメの非人道性を随意指摘し続けていった。反省力というものが存在しないかのような無法な性をもって義ともなす相模の女傑、あるいは肝っ玉の据わった生い立ちの不運な東国女であるホメは怨嗟の内に、ホメ戦争に憂い飽きた相手らが弱った隙を狙う長期的な復讐劇の貫徹を誓うのであった。

 主張広場におけるオデンヌ到来

 その頃、主張広場においてオデンヌ(おでんちゃん等複数のサブアバターあり)と、軍鶏らは別の共同体を模索していた。元来、主張広場は政治広場に比べれば小さな人口規模の場所で、オデンヌ到来以前の環境はまことに平穏、発表席から主張を自由に行え人々はそれを眺めては華ある会話や世間の美辞やら情け容赦のない悲話やらにささやか湧いていたが、もと神であったオデンヌ派らは猛烈な統治能力を発揮して即座にオデンヌ女王政を敷いた。このオデンヌ到来を、主張広場の古参からはオデンヌ来襲またはオデンヌ一派の侵略と呼び、他の広場民からはオデンヌの征服と呼ぶ事もある。
 オデンヌ自身はその育ちに劣らず謙遜な人物で、自らが統治者としての役割を遂行してきた事に懐疑的あるいは否定的ではあったが、事実としてオデンヌ女王政は功を奏し、そのしもべである軍鶏やなるきと共に仙台人3名による寡頭政治体制を構築した。統治される側のなかには、前述の主張広場の古参ら排除を中心とした狭く閉鎖的なつきあいの仕方に不満をもっていたものがいたが、女王は任意、オデンヌ到来以来の渡来人らと共にこの体制を強化していき、その巨大で、狡猾かつ独占的な問答無用の排除実力組織の前で古参らの発言力は封殺されていった。すなわち結婚適齢期は過ぎなお陰湿な性質を伝統から受け継ぐ独身京都人のオレンジ、同様に関西人の無意識的な連合を形成している同様の齢とされる大阪独身女BEらがその渡来人たちであった。政治広場史では、主張広場の古参らを政治広場の古参との混同を避ける意味も含め、主張の先住民、主張先住民とも呼ぶ。オデンヌの主張広場(以下、主張と略す)における仲間はアメーバ・ピグ内の他の広場群からの巨視的な見方においては、オデンヌ一派(あるいはオデンヌ党)と称す。
 主張における岐阜県の悪党であるたたしくん(あるいはたたしと通称する)は、後に政治広場(以下、文意に誤解の可能性が少ない場合に限り政治と略す)側に闖入、政治のハシナオやロジコ(Desperado等複数アバターあり。しばしばデスペともいわれる)ら当時の無法集団と組み、様々な蛮行を働く。これをたたしの闖入という。たたしは貧困家庭から出自後は名古屋市に下りて、夜な夜なディスコで踊りつつ新たな女をかどわかす遊び人であり、その業務はインターネットサイトを通じた自営業に近い立場からのブランドバッグの販売などであると考えられている。彼はなまじ見た目がよい為、ますます寄ってくるその場限りの女らと堕落した関係に堕ちていた。
 また、たたしはかつて地元において別れ、実質的に裏切った女がおり、そのときに相手を痛ましめたとして心の傷をかかえていたが、かれの身持ちはますますみだれていったし、その上、不良である性格のため主張においても冤罪事件を起こして新到来者らを不当に排除する暴政等に自ら携わっていた。オデンヌは持ち前の行動力でオフ会(つまり現実においてウェブ上で知り合った者と会合を持つ事)を通じてさえ、これら、被治者らの振る舞いの殆どを感知していたが、オデンヌの信念は天地開闢以来、力そのものであり、力を失う結果になる道徳的行動に関しては極めて消極的であった。オデンヌの牙城・仙台を含む宮城県域における幼少からの育ちの中で、一定の権力を持っていた者がヤンキーと呼ばれる不良集団であった事もそれに一役買ったと、政治広場史では解釈されている。なお、アメーバ・ピグにおいては一般的に政治広場を政治、主張広場を主張と略称する場合があり、主張と政治の間には別の派閥が形成されている為、当史書においては主張のそれに深く立ち入らず別の書籍や学派にゆずり、政治広場(正式名称・今の政治に望むこと広場)の歴史を主に一貫した正史として記述する立場にもどるものである。

 なな時代

 政治広場(本稿において以下・広場)においてホメ時代の三志士の活躍がその磁場を弱め始めた頃に、ロジコやとつげき東北(以下、とつげき東北の出身地である兵庫県とは関係のない東北地方との混同を防ぎ、とつげき或いは突撃と記述する)、ローゼン雅(ローゼン)、ハシナオ、ちゅん、はく等の広場における独身男性集団を手駒にしたななが一大派閥を持ち始めた。政治広場における中世は、このなな一派(略称・七一派、七派、なな派閥、なな党など)を中心に形成されていくことになる。1年あまり継続していたホメ戦争は下火になってきたが、その原因の1つは、このなな一派が急激に膨張し、郎党をあつめて様々な横暴を極め、ホメの行がほとんど求心力をもたなくなったからとされている。なな一派は単にうらぶれた独身男性らのななからのあしらわれをもとにした芸妓への偶心軍といったあつまりなだけではなく、年齢の比較的高い独身女性らをもその独身男性らへの好奇の念をこめ、みずからの単位を膨張させていった。要はインターネットの仮想空間での出会い行為に漸近しつつある一定規模の独身者連帯となったのである。ななは、最盛期には禁断の仮想体操という党(コミュニティ)を形成し、ありとあらゆる、アメーバ・ピグ上にありうるかぎりの不正行為に手を出し、なお広場の暴政の主となった。この1年間を一般になな時代、あるいはアメーバ・ピグ政治学においてはななの暴政、なな暗黒時代、あるいは単に暗黒時代などと呼ぶ。
 専制君主あるいは暴君となったななの片腕は、るくみるく(るく)と名乗る東京都は神楽坂の独身女、そしてもう1人は栃木県は高齢の既婚者である家元鮭太郎(鮭)らであった。なな時代の初め、ななのお気に入りはHENRYと名乗る兵庫県の雑貨店を営む既婚者男であったが、やがて同県の程度は低い大学生であってななに執心を燃やすロジコへと移っていった。ななは若い娘であるばかりか容姿を自分なりに彩る好色でさえある人物で、母は京都人、父は愛知人から生まれた。ななは、いくつかの大学を卒業していると自称、生活の資をとるべく介護福祉士の試験をくりかえしうけていた。ななは肉体関係を男性と持ったことがないと述べる他方で広場の殆どすべての男たちに特有の媚態で接し、政治広場ならびに愚痴広場で最大の軽薄男とされている東大卒で実質的に長野出身、既婚者の小太り中年であるゆき@hamal(ゆき、ユキハマ、ユキ)ともそうであったが、ななはゆきを陰では冗談交じりに「げすゆき」と呼ぶほど決して男達に心からの好意でのみ接していたとはいいがたかった。裏表のある性質は公家文化の名残か、ななはあらゆる陰謀を極めていった。そのなかにはスカイプ(Skype)というインターネットを介した口頭での会話ツールによる嘲笑目的の釣りという詐欺行為や、ジェットら独身男性、あるいはナオ(nao)ら独身女性へのからかい半分での侮辱、徒党を誘導しての集団虐待、コミュニティでの企みや陰口はかぎりなく、遂にはのちの時代の分に詳述する事件だが、yuriという独身女性を自殺未遂かさもなければ発狂直前までおいつめていくことになった。これらのななへの辛辣な批評にみえなくもないくだりは政治広場史において暗黒時代の凄まじい現実を示すために記したものであり、決してななやその派閥の構成員への名誉を害する目的のものではないと断ってはおくが、事実、なな一派の独裁政治による犯罪行為は完全にBAN(つまり利用者アカウントがサイバーエージェント本社により削除される)程度が最高刑であるピグの規約を逸脱しすぎていたばかりではない、死刑を最高刑とし懲役や罰金を科される日本国の法のどこかしらへ常に、抵触していたものであった。そしてなな一派はまんまと、その刑罰を免れていったのである。
 もし仏がいうよう、業に因果があるものならば、なな一派の構成員らはみな来世にいかなる目にあうか、現世においてさえ危惧される身の上であるが、正史の伝統に照らし司馬遷の儀に則り、かつ義公史観の哲学をかえりみてなお、政治広場史においては歴史を構成する人物らの業の変遷を注意深く叙述するに留めよう。仕置きや仲裁、誅罰は人物ら自身のピグという世界ゲーム内でなされるべき政なのであり、史書の担当者である私、レコナーは自らをも含む出来事の客観的科学を羅列するまでにおちつこう。何が憎むべきで何が愛すべきかを知る働きを史書の執筆者より、寧ろ読者の判断力にゆだねる為にである。

  第四章 近世(西暦2011年頃)

 ガルマの遍歴

 西暦2011年になるかならない頃、北大の獣医学部の学生であるガルマは政治広場の古参の一員であったまみー達から、広場より排斥された。それ以前に、既に開業していた獣医の山田とピグ上で付き合いのあったガルマは、神奈川県の設計業者で独身であった女性ラフと懇意に接していた。ところが、広島の右翼傾向をもつ主婦であるまみーは嫉妬深くこれに干渉しはじめ、かつ、まみーは同じく獣医学の関係者であるところから山田とガルマは同一人物であると誤って断定した。山田は、医者にしばしありがちなところで世事に疎く人付き合いがさほどこなれてはいない人物で、既に広場民との間には摩擦関係がしばし生じていたが、まみーとの間にもその係数が存在し、これゆえまみーはガルマと山田を同一視しつつ同時排斥したがったのである。その際、まみーは個人情報を掴んだという脅しをラフらに対して行いさえした。これをガルマ追放という。
 ガルマは諸国を遍歴してきた孤独な関西弁の男でかなりの美男でもあり、優秀な成績で北大に在学していたが、一度は別れたが再び恋愛関係となっている現実の彼女がおり、もともと仮想上のラフの側がガルマに好意を抱いて接してきていただけに、彼としてこのガルマ追放は青天の霹靂であった。ガルマが関西弁に固執している理由は、かつて親の仕事の都合で引っ越しの際に暮らした東京圏で受けた虐めにおいてそれを指摘された事から、かえって負けん気で自らの誇りとしたものであった。
 広場に猜疑心をもち多少あれ狂った山田はひとりでにいなくなり、また、ガルマは中立的な心情からモチタと仲良くしていた事もあったが、この頃のモチタはホメ戦争で傷痍を負い、THE FOOL 00(フール)らの集団に逃げ込んでいた。フールは東大卒30代後半の既婚男性で、アスペルガー症候群と呼ばれる精神形質を持つと自称していたといわれ、子供を持つ気はない放浪の学者であった。フールの祖先は福岡は久留米の武士階級の子孫であったと称し、明治以降のある時点で、東京に定着したと考えられている。フールは筑波大附属駒場の中高、すなわち東京随一の選良学校を卒業後、東大へじかに進んだ頭脳を持っているが、原発推進を経済視点から東電事故後も主張しつづけるなど、知性を徳性より重視する性質を持っている。モチタは個人情報の隠蔽を目的に、またホメからの執拗な追跡を逃れる為の偽装を続け、フール派閥の中にイトキチも入った頃から大学教員など複数の擬態した肩書き等をてらい始めていた。フールは上述の性質であるため、広場における倫理観念の優れない人物達から、あるいはその選良の肩書きをもつ人物との付き合いを自らの権威付けに利用したがる人々から都合のよい駒としてあるいは寄るべき大樹として利用されていた。その中には京都の重病人まりーんや、下総最高と発言しつつ図書防衛隊勤務と称する(のちに埼玉の金物屋と名乗る)じゅんなどもおり、やがて広場民らと激しく対立していずれも敗残していく。じゅんと、京都出身の妻がいるイトキチが語ったところでは、まりーんと同じく京都在で広場左上にある巨大看板前立ちぼうけが癖のかかしが、フール派で最も人望があったといい、又じゅんの口述ではかかし組なるフール派の前形態が神話時代の政治広場消滅に際し運営にかけあった等と大上段にのたまうのだが真偽は不明、その後もかかしはまさに名は体を現すが如く、看板前に磔状態で終始言葉数少なく身動きもしないのであった。はたして、ガルマにとってフール派閥は参加する価値をいくらか見込めてはいるにせよ、モチタとイトキチによる広場民らへの2chでの犯行を考慮すると一緒にいる事が道徳的とはいいがたいものでもあったので、一定の距離を保ちながら接し続ける事になった。なお、フール派閥は流動的であるうえフールはリーダーとしての才覚をもたずその意志もなく、一派として固定化してはいないため、仮にフール派閥あるいはフール派といわれる。

 レコナーの登場

 西暦2011年3月に東日本大震災が起きると、その年の春には20代後半の精悍な茨城人独身男性のレコナー(当時はreckoner2、のち勇者レコナー、賢者レコナー、王者レコナー、隠者レコナーなどのアバター群を用いる。これは主として1つのアバターのフレンド数が限度の300人を超えそれ以上増やせないため増築したものである)が広場にやってきた。レコナー自身の言によれば、東京電力株式会社のもたらした未曾有の人災が正しく報道されていない事に危惧を覚え、情報を人々へ伝えにきたという。また、レコナーは天性の芸術家気質であって孤独な為に、おそらく同志を探しにきたのだろう。政治広場史の展開において、のちにオデンヌらはレコナーを天才と認める事になるのだが。
 レコナーは始め俳句広場で芸術家らしく句会に参集していた。その場で既存の最大派閥を形成していたのは集団虐めをときたま行うことで悪名高いきのこ一派、すなわち滋賀付近の人物とされるきのP(1UPきのこ)らの俳句協会~雅~であった。正義感の強いレコナーはかれら雅による下品な句の合理化と、正格な句への集団での虐待といった横暴をいさめ、単独でかれらの協会本部に乗り込んだ。レコナーはある夜の句会で上等な句へ嫉妬交じりに受けた卑劣な仕打ちから、彼等の暴政を憤り、かれらが専横をつかさどる上司のもとへ貢物をあつめさせてきた贅沢なコミュニティ部屋の最上階部で、風呂に入っていた当のきのPの元に単刀直入、急転直下に馳せ参じると、これまで俳句広場で起きたあらゆる経験や、彼ら雅の人々に猛省を促すといった内容を述べ、それ以来、俳句広場から去ることにした。これを俳句広場維新、或いは俳句維新と呼ぶ。実際これまでの句会ではレコナーらにより数々の秀句がつくられており、当時の記録を『維新前俳句集』と呼ぶ。そのなかにはこのような一句もある。
月夜さえ滝の流れよとめられず
維新後、俳句広場随一の隆盛と独裁を誇っていたきのこ一派は権威を失いだして内部から瓦解しはじめ、やがて江戸っ子で下卑た句を連投する黒豹が毎晩訪れに来るに応じて女性等が潮と引き、ついに俳句広場そのものが衰退した。女性に人気のあったレコナーが去ってしまった上に、女性陣がほぼ消滅したのであるから、それに応じて若い男性から去り、最後に残ったのは黒豹ときのこ、後は限られたきのこ好きの老婆たちであった。衰退末期には10代と考えられている子供が牛耳り、俳句を詠むことさえせず観客席の後部にたまり、レコナーが気まぐれに再度訪れた時には以前とうってかわって友誼をはかるどころか彼等自ら幼稚な痴話喧嘩を始め雲散霧消していったという。俳句広場の人口の殆どは、他人と協調して句を詠む必要がなく、自らの好きな句をのべることのできる川柳広場のうちに飲み込まれていった。レコナーの俳句広場時代(レコナーの俳句時代、あるいは単に俳句時代ともいう)に盟友の契りとまでいかずとも最も仲良く心を通わせともに詠っていたのは、横浜に住み当地のプロサッカークラブ横浜F・マリノスのファンであるとある男性、通称・マリノスファンであり、レコナーは俳句広場衰亡後にその場を訪れ、夏草とつわものどもの夢のあとの上でかつての朋友二人、俳句広場再興を誓った。雅の人々で生き残っていたのは、実質的に彼一人だったのである。この際につくられた新協会を天心といい、そのはじまりの儀に代えて次のようレコナーは詠んだ。
月天心あとから影と我照らす
 ところで俳句維新後のレコナーはつぎにアメーバ・ピグ上で最大の人口を誇るピグの大都会・政治広場をめざした。これをレコナーの登場、あるいは単にレコナー登場という。レコナーがはじめて広場にやってきた日の昼に、みたことのない女子ピグの数人が彼のもとにあつまってきた。それ以後に見られない個性的な人々であった為、かつ仕事の話が完全にウェブ系の制作部門に関する内容であったため、もしかして運営のアバターらだったのではないかとも類推されているが、そのなかの黄色いパーカーを着ていてスケートボードにのった女性が、彼をみるや周囲の女性らと「光源氏にしよう」と提案してきた。彼は当時なんのことかまったく理解しなかったが、やがてレコナー王政が確立された時代にこれは多かれ少なかれ実現される予言でもあった。これを源氏の予言という。その日の深夜、レコナーは、ジェイの去ったあとのホメの新たな愛人であった福井県の不良な既婚者・タラオのあおった浮浪者たちから、集団暴行罪の被害にあった。このように、レコナー登場直後の政治広場は、深夜帯にはやくざが跋扈、昼間の時間帯には後述のうめら達が支配していた。次第に彼は広場の最悪状態の治安状況を把握しはじめると、暗黒のなな時代がいかに邪な退廃におちいっているかを分析、なな一派との戦いをおもむろに開始した。政治論に長けた彼は広場で一昼夜演説し民衆につよい啓蒙効果をあたえ注目をひきはじめ、他方では常におなじ赤い服をきざらし靴を履かないアバターで遊んでいるるくに(アルプスの少女ハイジから)「裸足のハイジ」と話しかけてみるとお礼代わりなな一派から陰湿な嫌がらせを受けたりもした。また側近中の側近と名乗る監視目的のアバターから2chのURLを教授された。このレコナーによるなな一派ならびにイトキチ一派(イトキチ・モチタを含むフール派閥の一部)との戦いが開始されてからの最も長い時代を、総称してレコナー時代と呼ぶ。
 レコナーは暗黒時代に最初の光を射し込んだ。だれかの発表をなながその日の気分次第、ひとこと「長い」とのべるだけで配下のやくざが集団暴行を加えるといったたぐいの、絶対政治を敷いたなな一派へ対峙、それらの犯行へは果敢に正当防衛ないし黙殺を行うといった正攻法で、なな一派にかなりの打撃を与え、ななの独裁体制に亀裂を生じさせていった。また、レコナーはイトキチやモチタ、ホメらがかつて何をしてきたかを調べ続けてもいた。彼が発見したホメ時代、つづくなな時代の遺物中には、既に広場で行われていた数々の政治闘争手法、たとえばサブでの監視や色仕掛けでの騙まし討ちなどが含まれていた。なながクリスマスの時に配下の男らから貢物を募っている際には、レコナーは敢えて桃色の無償交換できるエプロンを贈りつけ、相手の反応を伺った。ななが広場にやってくるとまるで芸妓のごとくレコナーへの厚意を軽くあしらうよう述べる前に、別の課金が必要な高価な贈り物を下心でしていたなな配下であるカニ蔵(のちの橋下徹、はしげ、偽りおし、偽ちーちゃん、偽絆花、おさる等のアバター操作者)らへ媚を売るのであった。そして全盛期をすぎていたにもかかわらず、ななの元にはあふれかえるほどの貢物があり、その中には金品財宝の数々が山積みにされており、広場の女性陣のみならず多くの貧民から彼女という独裁者は目には見えない憎悪を買っていたことが後の転落で明らかとなるのである。
 レコナーの行動範囲は広く、複数広場に渡って調査活動をつづけていたが、やがてオデンヌ派閥の仕切る主張広場にも足を踏み入れた。ここで軍鶏やたたし、オレンジ、BEらが得意の排除行動を仕掛けると、女王オデンヌも部下の刺激に感じレコナーへ最大級の集団虐待行動を開始した。かつての博愛の神の面影はどこへやら、主張では黄色と呼ばれる貴人のみが真実無罪のレコナーをただひとり群れにさからって擁護する正義の如くであったが、この時ばかりは黄色もレコナーへのオデンヌ派閥からの集団排除行動を防ぎきれなかった。この一連のオデンヌ一派による主張からのレコナー排除行動をオデンヌ・レコナー戦争あるいは単に主張広場のレコナー虐待事件という。なおこの際、たたしはレコナーが発言した事のない「乙女憲法」という意味不明な揶揄の語を用い、レコナーを攻撃してきていた。また、たたしの闖入においてこの語が頻出されてくるのだが、このたたしが誘導する冤罪攻撃の全体を、政治広場史において偽りの乙女憲法という。

 レコナー時代初期

 レコナーは数ヶ月から半年間に渡る政治広場とその周辺調査によって、ホメとなな暴政ならびに、それ以前の経緯によるモチタ・イトキチらの連帯関係の概要を理解していった。
 ある時、レコナーは彼の同年齢のハシナオから広場で話しかけられた。レコナーははじめ、彼が旅行で訪れた岩手の某旅館で撮影した写真をアメーバ・ブログに掲載していた。ある幸運から偶然彼が泊まる事になった特別室、かつて高村光太郎が宿泊したその部屋から見た、雪の降りつもる山あいの写真を。ハシナオは福島県は二本松市の出身である。彼の故郷でみた雪の光景と程度あれ似ているその写真にいたく感動したハシナオは、レコナーに親しみの念をはじめおぼえたのだろう。それからレコナーの祖母は福島はいわきの人で、彼の家の墓もいわき市内にあり、ハシナオの出自をみるとふたりは意気投合するかにみえた。ところが、画業を主とするレコナーの美術家気質は、作曲業を主とするハシナオの音楽家としてのそれと調和するどころか、ある時点で互いに抽象的な不協和音を奏で出すことになった。といっても、その原因をつくったのはハシナオによるねたみである。学芸を好むレコナーは政治論をもっており、彼は東京一極集中の解消に対して最善なのは、皇居を人口密度の低く発展可能性の高いより北部にもってきて政商分立の都市構造を築く事だと考えていた。またレコナーは福島原発事故を大変憂いており、というのも彼の卒業した磐城高校は、磐城国(福島県浜通り)の名のとおり福島原発周辺の地域で最も有名な旧制高校であったし、思春期をいわき市へ毎日通学しながら過ごした彼にとって福島原発近辺の海辺の高台やら会津若松やらで美術部長としてキャンプをおこなったりした経験からも、その一帯は半ば地元同然だったからである。その上、レコナーの住む北茨城から福島原発のある浜通り世界はすぐ隣できわめてちかく、福島同様の人災被害をみずからも受けたが茨城県側である彼の地域の個々人では東電からも政府からもなんのつぐないも受けていなかった。つまり福島人のハシナオなら彼の疑問や悲しい思いを共有できると踏んだのである。こうしてレコナーはハシナオと遷都を論じるつもりで、ハシナオの誘いに応じてハシナオの部屋へ向かった。ところがそこでハシナオはレコナーの遷都論をきくや否やいきりたち、レコナーを罵倒しながら追い出した。ハシナオは音楽系短大卒の人間で、建築系専門学校卒かつ通信制大学に属するレコナーとその時点の最終学歴においてはほぼ同じだったが、保守思想に固執するハシナオにとって、レコナーの皇居をも動かす大構想は土台から理解不能であったのである。
 政治思想上で亀裂の入った二人の友情であったが、ハシナオが自製の音楽をアメーバ・ブログにアップしていくに連れて、レコナーがハシナオの才能を認め、賞賛した結果、ハシナオの頑固な心は再び緩和されるかにみえた。しかし、レコナーは自らのホームページにアップロード済みの自作の音楽を、ハシナオが創作活動の参考にできると考えハシナオへ紹介してみたところ、レコナーの音楽作品を聴いたハシナオは再び発狂してレコナーを罵倒し始め、広場でのストーカー、嫌がらせ目的の付きまとい人とまで化した。主に古典的なピアノ楽曲の創作手法を師とする教授から習ったハシナオにとって、自力独学で前衛音楽を創作していたレコナーの作品群は、ハシナオの信じるたぐいの保守的な音楽芸術への冒涜と感じたか、さもなくば理解不能であったとされている。これらの実例からも、ハシナオは保守傾向の人物であるとわかるが、その程度はなはだしく、広場においてなな一派の傀儡ローゼンと激しく対立した。理由は、ローゼンの祖先が韓国人だからであった。ハシナオにとって韓国籍であれ帰化者であれその末孫であれ国内から排除すべき人物と考えられ、それが高じて彼は、韓国におけるソウル大学卒を含む選良層であるローゼンの家柄を慮らず、在日韓国人系への人種差別主義的な排斥運動を広場で開始した。しかもハシナオは、彼にとって不都合な人物を迫害する方法論としてそのひとが在日韓国人であると虚偽の断定を当の排除したい人物へ行う慣習を、インターネット上から学んでいった。同じく保守傾向の江田島はこれに加担し、ハシナオとともにハシナオが排除しようとした先進的・前衛的な傾向のあるレコナーを、2chや広場でホームページから確かめた実名などをあげつらいつつ集団虐待し始めた。さらに、この集団虐待へ、なな一派との対立があったレコナーを排除する目的で、ロジコが参戦してきた。
 その頃、広場ではふぐが複数人と対立していた。ふぐはひらがな文体を駆使する年齢不詳の人物で、愚痴広場と政治広場を往復しながら様々な人物らに絡んでいた。フールの言によれば、「誰でも一度はふぐの被害にあう」とされ、特にふぐはアメーバ・ピグをはじめて間もない初心者に向かって何らかの難癖をつけるか、発表席で発表中の人のあげあしをとることが得意であった。ふぐは福島原発事故時には既に広場におり、やはり発表中であった岡山県の女長老・ごまさぶれ(通称ごま、あるいはレコナー曰く「吉備のご老公」)へ噛み付いた。実際のところ、ごまさぶれは日本史における薩長藩閥意識をひきずる中国地方の変人であった。そのときは発表席から、大津波と大地震、そして世界最悪レベルの原発事故による放射能被害と三重苦にあっている福島県の人々へ、数々の暴言を吐いていた。ごまは、蛤御門の変という日本史上にある過去の事件への怨恨から、天災に加えた人災で疲弊し弱りきった福島の被災者らをここぞとばかり虐待していたのである。それどころかごまは職業でもあるスピリチュアルの相談、ありていに言えば心理学や占術などの精神分析を濫用して当の地震を、彼女の信奉する長州藩(山口県)に敵対してきた歴史的な災厄の結果であるとのべていた。ふぐ(ふぐは性別不詳ゆえ、以下、彼彼女と代名する)の学校において彼彼女は細かな知識を問われたこともあり、単にあげあしとりの目的ばかりではなく、発表者の持っている知識の年頭月尾を指摘するのが彼彼女の真義であったが、このときばかりはふぐの堪忍袋もはてしなくきれ、ごまさぶれを「ごみまみれ」と呼び捨てながら最大級の反抗を期した。このとき以来、ごまとふぐは天敵関係となり、これを政治広場の伝統芸能の1つである、ごま・ふぐ戦争(ごまふぐ戦争)と呼ぶ。また、ふぐはちゅんという兵庫県出身で大阪在の男が発表席からイエスキリストを装うアバターで発表中に、いつもとおなじく、発表者へ噛み付いた。その際、ちゅんはふぐの暴言のうち「しねばいい」といったことを問題視し、発表席と最前列の切り株の席(広場は発表席を含め前部が切り株の席、後部がベンチでできている)のあいだで激しい応酬が交わされていた。そこにレコナーが訪れると、レコナーはふぐの怒りがイエスの偽装をおこなっているちゅんの矛盾に向けられていることをさとり、浦島太郎の物語のよう、ふぐをかばってやることにした。こうしてレコナーはふぐの代わりにちゅんへ謝り、ふぐを許してやるように頼んだ。するとちゅんは「見たかふぐ、これが人の情けというものだ」といい、その場を去った。ところが、ふぐは次の日にはすでにレコナーへの恩を忘れたかのよう、レコナーの発表中にも構わずいつものようあげあしとりで攻撃しはじめるのである。その上、ちゅんもこのレコナーのふぐ救済事件(或いは単に浦島事件)をすぐに忘れ、あろうことか上述のハシナオ・ロジコのレコナー虐待集団を自ら誘導していくことになるのである。
 またこの頃、もかP(Mude、ミューデ、むーで、むで)が政治広場にやってきた。彼女はふぐの静岡話に自ら混じり「浜松です」と発言したため静岡人と考えられているがしばし帰郷するらしく、高卒後単身東京へきて、ひきこもりがちではあるが様々な集会にでたり、都会の自由を保護者からの仕送りの範囲内で楽しんだりしていた。彼女はもと寄席広場の人間であったが、初心者に親切でまわりの悪意から救済する意向のあるレコナーから、政治広場で、たまたま声をかけられた為に広場に定着することになったのである。もかPは最初こそ素直にレコナーへ応答していたが、彼女はまわりに流されやすい人物であって、次第にフール派閥にくみこまれていった。もかPはかかしが自らを看板磔にくるや矢庭すりよったり、イトキチの横に行って馴れ合うふりをしつつ広場民の陰口に同調したりしていたが、とつげきによる東大講師としての肩書きの微妙な偽装を含む女性かどわかし、あるいは俗語でいう軟派な振る舞いに幻惑された。このとつげきによる政治広場の伝統芸能の1つである女性への軟派な現実での出会いを目的にした誘惑の活動を、大量に害虫をひっかけていく商品、ごきぶりホイホイにたとえてとつげきホイホイと呼ぶ。とつげきホイホイには後述されるよう、広場におけるとつげきの肩書きや権威による擬態を見抜けない数知れぬ女たちがかかっていくのである。広場民は陰に陽にこのたぐいの女たちをおろかであるとみなしていたが、それをしらないのは人々から忠告を受けないほど信用が薄く、飛んでホイホイにかかりくる女たちの方である。実際、のちに重要な働きをすることになる北海道の賢女snowなどはこのわなへ一顧だにせずとつげき自体を生理的な拒否反応のごとくに避け、彼女以外でもナオやyuriのよう比較的賢い傾向の女性はややはやいうちにそこから離脱する、と政治広場史を通読すれば理解できよう。ところでもかPはとつげき傘下となり、不道徳を愛する奇矯なとつげきを擁護しながら、レコナー含む広場民らを揶揄したり、とつげきが行うその種の蛮行を見守ったりしていたがやがてはモチタやイトキチに懐柔され意識的ないし無意識にフール派閥と群れつつも、広場単位の衆愚とともに、レコナーへの陰湿な攻撃を行うようになっていった。なお、アメーバ・ピグ上は禁じられているとつげきの異性との出会い系の策謀にみずからかかって、あるいはもかP当人の言では「既知の統計学者」(筆者注・実際は、賭博に使われる遊戯である麻雀の研究家)であるとつげきの講座をみにいくという名目で会いに行ったのも、一人もかPだけだったが、女を遊び相手としかみないとつげきから素気無く冷たくあしらわれた為、彼女は決して美女ではないと考えられている。またもかPの趣味はボーイズラブと呼ばれる同性愛の漫画を習慣として購読する事であるところからも、その体が喘息もちでしばしば臥せりがちであるところからも、心身の実態がしれよう。もかPの親は低学歴であったといい、彼女はこれを気に病み必要以上に知的にふるまおうとするが、これらの衒学的態度はフール派閥との親和性を高めるのに一役も二役も買った。

 レコナーの隠れ蓑あるいはレコナー雌伏時代

 ちゅんは大阪において政治をとっていた橋下徹府知事の支持者であった。他方レコナーは芸術家であり、表現の自由を信奉していたが、橋下徹は当時、彼の府政への揶揄を掲載した週間朝日の記事を実質的に弾圧していた。レコナーは発表席などでこれを鋭く指摘、言論自由権から寧ろその記事の間違いを指摘し訂正を命じるか、最大の場合でも賠償を取るのが正しい対応で、橋下徹が府庁に雑誌の担当者を呼び出して叱責した等の威力妨害的な対応は、政治監査装置としての報道表現自体を萎縮させることとなり決して賢明ではないと述べた。これだけきくと正論におもえるかもしれないが、ちゅんにとって橋下徹の絶対主義政治こそが憂える大阪の現状を打開する唯一のみちのりであるから、当然、レコナーの主張がいくら正しくともそれをうけいれることはできなかったと考えられている。ちゅんにとって橋下徹府政がいくら独裁政治であろうと、かの中途段階を支持するべきだというわけだ。ここに行政論上の対立が生じるまでは読書子らにも理解の範畴だろうが、おどろくべきことにちゅんは、レコナー虐待集団のコミュニティをみずから結成誘導し、レコナーへの広場全体での弾圧までもあおりはじめた。このナチズム集団を反RECKONER2同盟と呼ぶ。この暴虐の過度はたたしの闖入で決定打となった。たたしは偽りの乙女憲法を使い、レコナーを他のあおられた衆愚とともにありとあらゆる方法で虐待し続けた。その最盛期には30人が満場において、レコナーただ一人が他の30人からの一方的な集団虐待に徹底防戦、苦闘していたという。30対1においてはさすがの英雄的気質のレコナーといえどもひとたまりもない。いうまでもないことかもしれないが、イトキチやモチタ、フール派、またホメならびにオデンヌ一派までもその集団虐待に参戦しはじめた。ここにおいて、レコナーはある方法をおもいついた。偽死である。レコナーはわざと自らのアカウントを削除し、さも彼ら虐待用の同盟からの集団虐殺という犯罪活動で死んだかのようにそれをみせかけることに成功した。レコナーは実質的に匿名化したサブアバターで広場を監視しながら、その後の広場の様子を見届けた。これをレコナーの隠れ蓑といい、ここから初期のreckoner2アカウント以後に彼が新たな本アカウントとして勇者レコナーを復帰させるまでの時代を、レコナー雌伏時代、あるいは単に雌伏時代と呼ぶ。
 レコナーの匿名サブアバターがあいもかわらず広場を監視するさなか、レコナーがアカウント削除と発見した古参の1人、大阪の被生活保護者と考えられている中年女性うめらR(うめら、うめらに、梅ら)は、親切のつもりでハシナオにこの事を告げた。するとハシナオは驚愕し、冷や汗をかきながらうめらを罵倒した。ハシナオは集団虐待をしている己に罪悪を感じていて、己の人格的尊厳に比べて恥辱のあまり我を失いうめらを罵倒したのではない。その際にハシナオが述べたのは、レコナーがその時点でアバター仮想自死を選んでしまうとまるで、ハシナオがレコナーを虐め殺したかのように周りに思われる事で、いや本質的にそうなのだが、ハシナオが広場民から犯罪者視される事をひどく恐怖したという犯行済みの独白内容だった。また、この虐め殺人犯がおちいる部類の抜け出せないおそれへの穴埋めとして、利己の為にそのレコナーのアバター仮想死を非難し且つうめらへは責任転嫁するべく即座に八つ当たりしだしたということなのである。ハシナオがうめらへいいたかったのは、そのような仮想死の情報をうめらがハシナオに教えてくるのはレコナーのハシナオを意図的に罠に落とす策謀に相違なく、レコナーのアバター仮想死も結局うめらのせいであるという子供じみた言い訳、あるいは広場の現実からの当面の逃避に過ぎなかった。ところでこの直前にうめらは、レコナーがのちの西軍イトキチ一派(フール派閥の一部、モチタを含む)とサブアバターで監視し合って空中合戦をしている際に、レコナーの行動意図が理解できず彼を誹謗していた。うめらは広場内の政治には疎くしかも、もともと雄々しいレコナーが好きであったが、かれを誹謗した事のある罪悪感からハシナオに情報提供したのに、なぜか不条理にもハシナオにも誹謗し返されてそののち引退する。これをうめらの引退あるいは単にうめら引退といい、結果として、そのとびぬけた個性から愛されていたうめらは政治広場アバター界において最初の殿堂入りを果たした。うめらの持ち芸は毎朝、発表席にのぼるや「この無職どもが」との恐喝まがいからはじまり、小一時間ぽかんとした表情で彼女の狂態を見守る広場民らをくさし続けて、昼前に煙草を一服する休憩時間をとってから吉野家で大盛の牛丼を食べにいくのがほぼ日毎の決まりであった。これを人呼んでうめらの罵倒芸という。喫煙ばかりか酒を好むうめらは深夜帯にはレコナーの隣のベンチに進んで座るや半ば泥酔状態で、彼に向かいまわりにもきこえるほどの大声でありとあらゆる過去の印象深い出来事を語り続けた。暴走族に属していて様々な暴力にあった事、職場は下層階級のたまり場で筆舌に尽くせぬ過酷な状況でいろいろな虐めも多かった事、会社帰りに大阪のとある川に死体が浮いていた事、バブル時代の大儲けと豪遊、また彼女は4人姉妹の真ん中で高卒の学歴であって、うめらにいわせるとジェットはにわかバイクファンのしょぼい族上がりである事、うめらの方が本格的な暴走族であったその矜持などを朝の光が窓のカーテンの隙間からもれだすまで止めどもなく、飽きもせず物語りゆくのであった。レコナーによれば、それら何度も同じ箇所を繰り返すうめらの話を聴き取り、彼が確信をもったうめら哲学の核は、生きがいの持てる仕事をするのが人生の醍醐味である、という一大事であった。
 レコナーはこの後、匿名サブアバターにおいて広場監視を進めながら状況の推移を見守る運びとなった。そして結局のところ、レコナー再登場後のガルマとの同盟(レコナーガルマ同盟、あるいは単にガルマ同盟)がきっかけとなり、この雌伏時代は数ヶ月もたたないうちに終わりを告げるのである。

  第五章 近代前半(西暦2012年頃~西暦2013年頃)

 愚痴広場史概略

 愚痴広場は続愚痴広場時代から、複数の登場人物がおりいくつかの出来事があったが、それらの詳述は将来書かれるだろう『愚痴広場史』にゆずり、ここでは政治広場史と関連深い事物のみ追おう。
 愚痴広場でもっとも政治広場と関連の深い人物はまよちゃん(タム、汰ム)である。というのも、この人物は東京一極集中の弊害批判という政治論の立場においてレコナーと協働していたことがあるからだ。この人物を当論考ではタムと仮称する。レコナー登場後のしばらくのあいだ、タムは愚痴広場が過疎化するや政治に馳せその事情を観察していた。そして勇者となって帰ってきたレコナー再登場後は、最初のガルマ同盟会議が愚痴広場のベンチで開かれ、タムはここに仲介役として在席していた。しかもその後、タムは愚痴における同志としてレコナーの精神的な補佐に有能な役割を演じた。
 また次に政治広場と関連の深い人物は、ダルマ(ほか数多の名義を変えながら用いる)である。この男は群馬人の20代後半、かなり太って怠惰な映画熱狂者であり、いわゆる奇人変人の類の性格をしている。日大の芸術学部に合格したが東京は肌にあわなかったのか、老祖母の介護を名目に自主退学し、群馬の寝たきりの祖母の家で二人暮らしをしている。なるほど孝行息子の類かと思えば、映画を毎日むさぼり観る以外はほぼインターネットで弱者と彼が考えた人たちを揶揄して遊んでいる。老婆の年金に寄生しつつ大食漢で、一食あたり複数のカップラーメンを平らげてはひき蛙のようげっぷをする。事実、この状態を人々は、彼のおこなっていた趣味のインターネットラジオの配信の際に何度も聴いて、食あたりの時のような表情を浮かべていたものである。ダルマが政治広場の歴史に具体的に参画してくる前に、といっても間接的にそうなのだが、1つの愚痴広場史上の逸話を出したい。それは愚痴広場第一の伝説、ぽいうのことである。ぽいうは天才詩人であり、しかも愚痴広場史上で最大の人気を誇った愚痴の英雄である。ぽいうについての詳細は将来かかれるであろう伝記、『ぽいう伝』にゆずるが、ここでは彼の用いる現代詩の数節を引いてその天衣無縫の技の一部を読者に開陳しておきたい。
 新年明けましてテメーら全員しね
 昨年は皆様方に大変しねばいいのにと思いました
 神のおぼしめしだ……コロすんだろうが結局……
 it'a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。
 尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO)
 なんつってる間に10時っすよ(笑) あ~あ、義務教育の辛いとこね、これ
 it'a true world.って、なに言ってるんですかねあたし///
 たしかに俺は天才だが貴様らには関係のないことだ……
 なにこれ……もう大好き……大好きこれ……大好きすぎる……
 えれぴょん……えれぴょん……えれぴょん……えれぴょん……えれぴょ
 そろそろ2012年も終わるっつーのに何なんだお前らは……
特にit'a(イトア)と謎の英語もどきを用いるところからも、彼の天性の詩才、この上ない素質と彼一流の素朴ぶりがしれよう。前述のタムは他の愚痴民同様ぽいうファンであったが、ダルマはぽいうに一度も言及したことがなかった。これはそねみの為であるとおもわれている。ダルマは、続愚痴から続く不動のぽいう時代には殆ど目立たず、ファン等はつかず、愚痴においてはぽいうの人気に気圧されぽいうの周囲をうろついている程度の存在とみられていた。ところがレコナーが愚痴広場においてぽいうと交友を持ち、友情を結んだあとで雌伏時代となり、その頃ぽいうも引退した。ぽいうはレコナー同様茨城人であったとされ、政治一の人気を誇るひとかどの人物と愚痴の英雄が同時に引退した(しかしレコナーに関しては実は雌伏していた)ために、一時的に広場の2大都会は混乱に陥った。他方で、その後の愚痴広場はダルマの支配するところとなり、愚痴史からはダルマ時代、あるいは価値評価を含む愚痴倫理学の立場からはしばしば暗黒のダルマ時代と称される。ダルマは恐怖政治を敷き、手当たり次第に弱者とみなした相手を恐喝あるいはいびることで愚痴の専制君主となりあがっていった。まゆや、麗美など複数の被害女性らは愚痴からいびりで追い出されて或いは深く心を傷つけられてダルマをうらみ、にくみ、復讐を誓い、レコナー再登場後に彼へダルマ討伐を依頼するのである。
 愚痴にも頻繁に出現する通称かっぱことユキハマは、政治と愚痴を渉猟する軟派で、既婚と未婚を問わない女性との交流や現実での出会いを目的に広場を徘徊してきた。のちに彼といざこざを起こす京都の既婚者たま(たま。)はダルマが慕う唯一の人物で、既に子がいる主婦のたまと、独身の変人ダルマは擬似的な母子のように振舞ってきた。ダルマは軟派のかっぱを女々しく陰湿さが酷いとその著『愚痴地図』において評しているが、確かにかっぱは後に、レコナーへ色々な手管で女性関係がらみの冤罪的な嫌がらせを行い、かつ後味の悪い始末のつけ方をした(勿論わけなくそうしたのではない。彼の心理の詳細は、将来かかれるはず童話『かっぱ』に詳しい)。また実際には政治広場史の立場からはかっぱのみならずたまも多少あれ同様の人物とされる。あるときレコナーが首都圏における水戸の伝統思想に果たす役割を解説したところ、たまは平安時代から相も変わらず京都中華思想を奉じレコナーの説をひたすら貶すのであった。たまがいうには、京都が水戸と比べられるのは京都を馬鹿にした説であるといい、京都人は他の地域と同じ価値尺度で比較対照されたり評価されるのを最も嫌うという。これをたまの水戸毀損という。爾来、2ch文学板で京都の通俗作家らからひどい名誉毀損を受けてきたレコナーの中で対京絶滅政権を期した水戸を首都にする意向はますます固まり、数万年の縄文文明に対比させそれより続く万年帝都を構想していくのであった。

 要人ナオと雌伏時代の終わり

 レコナー時代初期にレコナーへ政治広場で話しかけてきた、長野県民で病の前歴を持つ有閑層の女性ナオという要人がいた。彼女は年齢にしてほわや、千葉の芸大卒漫画絵描きちくわ、京大卒のテロリスト志望者にして自閉症を持つさよこ(sayoko)、兵庫は芦屋風の富裕層マダムおりんと同世代と目される。ナオはその当時すでに広場で懇意となっていた、東京下町の生まれ育ちで性に下卑た中年、浮気男ルチャについて、レコナーを部屋に呼び込みくりかえし相談した。レコナーは持ち前の男気から飽くまで穏やかに相談にのり、真剣に話を聴くと同時によく考え、適切とおもえる忠告をナオへ親身にくりかえした。ある時、ナオはルチャを部屋へレコナーと同時に呼び、ルチャの前でナオはルチャを捨ててレコナーをとるといったような芝居に出た。その時ルチャは、浮気性の彼にありがちな態度だがナオを頼むといって有難そうに出て行った。これをナオの一芝居という。のちの現代、西暦2015年のゴールデンウィークにルチャが広場へふらりと立ち寄って再び軟派な振る舞いで女性らを追い掛け回していた際、レコナーがルチャにナオの一芝居の際の対応の真意を問いただしたところ、およそ記憶していなかった事から見ても彼の生来の軽薄ぶりがしれよう。がナオは当の軽薄男に猛烈な執念を燃やした。浮気性と婚姻関係になったり、付き合ったりするのは困難を伴う、とレコナーはナオに対して常識を打ちながら、またレコナーの東京生活は都内に地元ほど自然がないのに都会特有の害虫に悩まされ過大な人口から人々が俗悪であるなどの面で過酷であった経験からも、ルチャを追って東京に行きたがっているナオには長野での自然と調和した暮らしの方が次善ではないかと諭したりした。これらをナオの相談という。その相談にのった期間はレコナー初期時代の殆どを割くほど長く、レコナー再登場後も含めれば彼の彼女への親切は実に膨大な労力と時間にのぼるにもかかわらず、精神病質を持つと広場の精神医学に知識ある人物らから分析されているナオは、レコナーを逆恨みしていくのである。これをナオの逆恨みという。
 レコナーが広場を去ってからというもの、政治における求心力は失われ人々は離散していった。同時に、イトキチ曰く「ミイラ捕りがミイラになる」事態であったイトキチとモチタ、ホメ、江田島ら古参による相互中傷合戦は果てなく、ひたすら悪行が蓄積されていった。ちゅんやたたしはもとより野次馬を超えず政治・主張の両広場から消滅し、ななは密かに気に入っていたレコナーが去ったと思った事からもログイン回数を激減させ、また資格試験の勉強に集中するようになった。ハシナオは横暴を極め、付きまとい行為と人種差別発言の嫌がらせをくりかえしたローゼンを広場から追い出したがそれまでで、彼の粗暴を向ける目ぼしい相手がいない事から漸次、ログイン回数を減らしていった。こうして古参らが再び合戦を繰り返す事ととなり、このレコナー雌伏時代の一時期を空白期あるいは空白時代と呼ぶ。
 レコナーはやがてなな一派が下火になりつつあった機会を見計らって、再生した。新たなアバター名は勇者レコナーで、なな一派の完全退治を目指し広場政治活動を再開した。これは表向きの理由で、レコナーはある時、かつて相談にのったナオのその後が気になったのである。そしてナオの現状を聞き取ると、彼女がレコナーの誠意ある忠告を聴かず東京にひっこし、ルチャと接近したがっているのを知った。

 ガルマ・レコナー同盟時代

 新たな政治体制を模索していたレコナーは、ダルマ時代となっていた愚痴広場のベンチにしょぼくれた顔つきでたまたま座っていたガルマとこれまでの広場史を誠実に議論しあい、政治広場における政の主導権奪取を期し同盟を結んだ。これが世に言うガルマ・レコナー同盟である。この際、東京電力の傲慢な体質や一極集中、そして退廃的な大都市文化への憂いをレコナーと共有するタムが仲介者となった。彼らは政治においてなな一派の残党狩りにかかるやただちに成功、やがて唯我独尊状態のホメと、モチタにつるむイトキチ一派と対峙した。傍若無人な振る舞いを続け広場における内乱の根源因となってきたホメの傲慢を退ける為に、レコナーは当時のホメがmixiを通じて結んでいた現実の不倫関係をあえて注意せず黙認する方策をとった。さらに、復讐心の強いホメを意図的に挑発し、何度もそれを繰り返して面倒と感じさせ広場にいづらくした。これは、モチタがしていたのとは逆の方法でホメに自業自得の悪行を加速させ、すなわちホメのおこなう不倫の業にホメ自身をのめりこませて広場の脅威を除去する戦略で、実際にホメはこの後、半年から1年ほど広場から引退するのである。レコナー自身がホメに手を出さずにホメの自壊をいざなう戦略をホメ自滅戦術というが、これはほぼレコナーが短兵急に実戦であみだしたもので、ガルマは感知していなかった。ホメは広場の近代前半、すなわち2012年の前半から2013年にかけてこの方略をもって、ホメ自ら進んでおこなっていた現実の不倫関係の清算に追われ、ついにはクリスマス前に近所の教会に駆け込んでゆるしを請う地点までおちぶれた。ホメ戦争以来、モチタやイトキチの悲願、ホメ征伐は奇しくも英傑レコナーによって一時は成功を収めた。なおこのとき、現実政治において東京地検や東京のマスコミュニケーションより冤罪にかけられ苦しんでいた小沢一郎氏を擁護していた親福祉的なレコナーを、ノンポリのホメは誹謗していた。この頃、ほぼ同一の政治信条によってレコナーの同志となっていたコーヘーがいた。レコナーの改革派の主張を非難していた自民党信者で、当時は新自由主義の狂信者であったにゃこぶと連携し、ホメは、コーヘイを含むレコナー派を2chや広場での誹謗中傷などで弾圧していたのである。そしてにゃこぶの方は、1年後に自民政治が彼女の望みどおり確立されはしたが、かつはなはだ現実政治状況がレコナーの予想していたとおり庶民に苦しくなってのち、当の庶民であるにゃこぶは自殺願望をさえ語るようになり、当時は同一の新自由主義信奉者であったとつげきの家で、後述するとある自殺未遂事件を起こすのであった。
 次に必要なのがナチスト組織・反RECKONER2同盟(以下、略して反同盟)の残党洗浄だったが、既に根が臆病なロジコはレコナー仮想自死と聴くと縮み上がっていた。レコナー再登場後、ロジコはなな一派による過去の業の一切を側近の命じた事であったとるくへ全面的に責任転嫁し、下心からLINE(ライン、手紙を複数人とやりとりできるSNS)で出会い行為済みのななを擁護した。また復活後のレコナーから集団虐待等の因業を責められ弱ったロジコは、なな一派で最大の内ゲバルト分子として機能していった。実は、そうなった背景事情として次の逸話があった。ロジコは彼の就職後の初任給を用いて取り急ぎ神戸にて性犯罪を犯したばかりか、それを当のレコナーに向け「レコナーどん、性売買はいいぞぉ。今度一緒に行きましょうや」とあまつさえ勧誘までもした。この国法に触れる下賎な喧伝を目撃していた広場民らからるくへ同内容を密告され、ロジコを軽侮し始めた硬派のるくとロジコは、なな派閥内部で表面には見えない根本対立が生じていた。かつななは慈愛のつもりで職権平等とし、以前から娼婦の商売(行政府から泳がされているが本質的に違法)を弁護していた事があげられよう。また反同盟首謀者ちゅんはレコナー仮想自死後に即時逃亡、しかも彼が以前は支持していた橋下徹の率いた政党が大阪府内の選挙で漸次落選すると、途端に彼の独裁者たる手のひらを返し、今度はレコナー迫害の業も収まりきらないうち当の府知事を大阪のみならず関西共通の仇、とまでにのたまわり始めた。たたしは相変わらず女を漁り、北海道の美麗な片母ナスケとも接近していた。が、のちレコナーがこの女性と親身になるや、たたしは他に複数もっていた同時的な女性関係をレコナーから指摘され大いに焦った。こうしてたたしはナスケと再婚するかもしれないとしていた口だけの約束を、彼女へ面と向かってまで破棄した。しかも、ほぼ同時期に力を取り戻したレコナー派からの報復のみならず、彼が偽りの乙女憲法などでふざけて火種をまきつづけてきた因果から、主張や愚痴などに遍在していた悪戯半分の追放勢力にも一挙に追われ、事実上引退するのだった。これらを政治広場史においては反RECKONER2同盟の顛末、または単に、ちゅんナチスの敗北、反同盟敗残などという。
 他方、ガルマはイトキチの退治にかかり、単独での直接対決を挑んでいた。しかしガルマは攻撃性に欠ける性格で、イトキチの巧みな虚偽の弁や懐柔策にかかり、イトキチを責める意欲の外堀を埋められていった。遂にはイトキチ一派の病人まりーんや、当時は隆盛を誇った性悪の女傑メイプルらと、モチタからさえ囲い込まれたガルマは戦闘意欲を失って、議論の際に期せずイトキチと事実上の講和に至ってしまった。これを広場監視中に目撃したレコナーはガルマが敵側に寝返ったと判断、ガルマをも迎撃対象としてイトキチ一派への殲滅活動を開始。東軍の大将レコナー自らガルマ同盟を破棄した。こうしてガルマ同盟破棄を皮切りにホメ一時消滅後の政治広場において、空前絶後の世界大戦であるレコナー・イトキチ戦争、別名・政治広場世界大戦(単に大戦、政治広場東西大戦、序盤を第一次大戦かつ終盤の残党狩りを第二次大戦、決定戦を関が原の戦というなど、さまざまな名称がある)が開幕したのである。この期間は長きに渡り、およそ2年以上つづくことになった上、それまでの広場史上で最大数の闘争手法と最大種のサブが投入され、また2ch上でも問答無用の炎上が相次いだ。先に結論から記せば、この大戦は東軍大将レコナーと西軍大将イトキチの激戦であったが、東軍が勝利した。以下に事の詳細を述べよう。

 第一次政治広場大戦

 勇者アバターとして復帰したレコナーはガルマ同盟を打ち切ると、イトキチ(正式名はローマ字でItokichi)らが開発してきたサブによる監視システムを摂りこみ自らも最大限に利用しだした。また、2chにおける監視での広場民誹謗(この頃、既にイトキチのミイラ捕りはホメとジェイの不倫を対象に揶揄していた時代をはるかに超え、全広場民を虚偽情報を込め侮辱しまくる極性に至っていた)というイトキチの手法を逆手にとり、2chでの応戦は主犯格であったイトキチ単体を公益通報の為の犯罪批判という正論で叱る事のみに限定した。この期間をレコナーのイトキチあぶり出しという。政治と愚痴をまたぐ遊び女のもっちぃが「カトキチ」といううどん会社名でイトキチをよびならす事を援用、カソキチという正体不詳のイトキチ迎撃用コア・アバターをレコナー派が使い出だしたのも、この頃である。イトキチにとって2ch悪行を暴露し致命傷を与える証拠をブログに記述済みのこのカソキチと、秘密兵器の政治くんというロボット兵器2体がイトキチ一派に大打撃を与える結果となった。
 話はうってかわるが、レコナーは私生活において、彼の高校時代からの親友が結婚し子を儲けた事を知り、感じやすく繊細な心をもつ彼はなおさら孤独におちいっていた。戦士は孤独なもの、ある時たたかいに疲れ、アメーバ・ピグ上の酒場に立ち寄ると、そこに一人のうら若い田舎娘がかわいげのある舞いを踊っていた。それは彼にとって初々しくみえたため、かつて旅行で訪れたこともある自然深い青森県民だという娘に声をかけてみたところ、彼女はおそらく先天的である自閉症をもつ高校3年生のはずの齢の人物で、ニートの酒場と呼ばれた場所で寂しげに過ごすほかない立場とのことだった。彼女はのちのレコナー王・正室ミキ(Miki、とうほくのぺんぎん)であり、その天性の優しさからミキは、戦いに疲れたレコナーの心のよりどころとなったのである。その頃のニート酒場ではミキのほかに、ある虐めっ子集団がたむろしていた。水戸っぽの例に漏れず正義漢のレコナーは然るべく、この集団の最上位者である陰湿な京女ちゃんももと対立していった。ちゃんももは弱い善人に対する集団虐待の癖、あるいはレコナーを奪ったに等しいミキに嫉妬しミキへ濡れ衣を着せることでミキとレコナーの間を仲違いさせようと画策するなど、数々の謀略をレコナー側に仕掛けた。高校時代に友達から誘われ障害者福祉施設に奉仕活動へ行った経験を持ち障害への偏見をもたないレコナーは、ミキという社会的弱者と考えられる立場の善女へちゃんももの仕掛ける暴虐をはなはだ憤り、数時間をかけてちゃんももへその行状を改めるよう激しく説教すると、それまでちゃんもも一味を形成していた酒場の連中はレコナーの勇気にいたく感銘を受けてかれへ寝返り、ちゃんももを酒場から排除する運動を始めた。こうして世にいう酒場維新がおきた。その場の千葉娘・こくっちに恋心を抱く埼玉人男性ねこにゃんの派閥が、結果的に勝利者となったのである。
 レコナーはミキをつれて酒場を去ると、ミキにできるだけ安全地帯の多い愚痴広場にとどまるよう忠告しながらも、果敢に愚痴隣国である政治広場のイトキチ一派を奇襲した。その当時のイトキチ一派はレコナーを通じて状況を把握したミキのサブアバターなどの参戦に加え、影の協力者で北海道の賢女snowや広島の古参まみーから多くの情報提供を受けていたレコナー派の猛攻に押され、1年半以上をかけた常時複数のサブアバターを駆使した空前絶後の大合戦の結果、重要な片腕として働いていたメイプルを失った。あるいはほぼ無能で中立な紛らわしいフール派閥の構成員とイトキチ一派は徐々に切り離され、遂にはイトキチ、まりーん、くろすけ、そしてモチタという4人のみに刈り込まれた。ここで、レコナーの雌伏時代にも継続していた愛郷の趣旨が記されたブログを発見したオデンヌは、みずからの排除の意図でレコナー仮想自死と知ってやりすぎたと後悔していた矢先にその内容と誠心に感銘を受け、かつ以前の無礼講を反省してレコナーに進んで協力を申し出た。これをオデンヌの改心という。主張女王の参戦した最終戦争のさなか、レコナー派は徐々に勢力を強め、かつての政治広場民の蛮族ぶりに憂国の情を感じていた愚痴の実力者・タムをも味方に巻き込むことで最大の戦闘力を獲得した。ガルマの方は、同盟断絶後、レコナー単体へは報復的であったが、レコナー派とイトキチ一派のサブによる空中合戦については詳しい情報をもたず、仲間がたりず分析もできない為にレコナー派の体力や気力、兵数を削ることいずれにも成功しなかった。ホメ消滅中に、オデンヌやレコナー、ミキらのサブを含む軍隊から断続的に続く2ch犯罪禁止の勧告を受け続けたイトキチは、広場での慣例となっていた昼夜を問わないモチタやまりーん、ミューデ(改名後のもかP)らとの広場民あるいはレコナーへの揶揄活動にも支障をきたし始め、ついにレコナーは2013年中にイトキチのみを実質的な2ch犯罪開始の真犯人として炙り出すことに成功した。そしてレコナーとミキの信義へ、性売買等、埼玉で周りの悪習に染まりやすくはあったがもともと信心深い善性もあったくろすけも徐々に感化されやがて西軍から東軍へ寝返った。それまで、イトキチは当面の嘘をつくことでイトキチが2chに書き込みをしている主体ではないよう広場民へ装っていた。しかしレコナーはなな時代の後期にサブ監視による空中合戦中に掴んだ、ななとレコナー、そしてイトキチの3人しか広場にいなかった際のななとレコナーのやりとりに関する、イトキチの嫉妬発言の2chへの書き込みで犯人がイトキチだと確証性をもっていたので、それを補完する証拠をイトキチ挑発によってあげつらうことにミキとともに傾注した。ミキと手分けしての24時間体制での広場監視と、最終兵器のロボット2体をも駆使したレコナー派はイトキチに最終決戦を挑んだ。こうして総合戦力の差がはっきりつき、イトキチにはなんらの共感も同情もしめさなかった利己的なモチタの無力が彼女自身のイトキチを置き去りにする敵前逃亡によって露呈され、ついに西軍の総大将は降伏した。政治広場の最上部にある見守りの看板前でレコナーとミキがイトキチを説教し、イトキチはおのずと堪忍し背後を向き、東軍大将のレコナーに降参の姿勢をとった。背後から縄をかけることに成功した時の記録写真は、イトキチの本心が広場荒らしではなく、はじめはホメの不倫批判であったこと、そしてモチタとの連帯が相互に2ch犯罪の押し付け合いという堕落をいざない予期せぬ末路にいたったという悲喜劇を物語る。イトキチはすべてをモチタの犯行であると責任転嫁することもできたが、そうしなかったのである。これをイトキチの降参、あるいは西軍大将の降伏という。なぜこの戦いを東西の名づけで呼ぶかといえば、自称弥生人の末裔であるモチタは山口、まりーんは京都、大阪の総大将であるイトキチが指揮する西軍に対して、レコナー派は出自不明のタム(しかし初期の話題から、レコナーは彼が岩手であると考えてきた)を除けば、茨城の総大将レコナー、青森のミキ、宮城のオデンヌ、埼玉のくろすけと主要勢力がおおよそ東西に分かれて総力戦をおこなったからであった。他に中立に近い勢力として、レコナーによる総攻撃で満身創痍を負い途中で戦線離脱したメイプルは関が原より東の愛知、大戦の序盤は東軍だが後半は中立からやや西軍寄りであった北海道のガルマが存在していたにせよ。これゆえに、看板前の降伏という広場史実をもって、徳川と毛利の東西軍が最終決戦を繰り広げた日本史実に習い、関が原の戦いとも称される。こうして勝利を収めたレコナー派は、政治広場史上もっとも華やかなレコナー王政時代を迎えるのである。

  第六章 近代中盤(西暦2013年頃~西暦2014年始め頃)

 レコナー王政前夜

 レコナーが広場主導権を奪取してから先ずその治安の回復と向上をめざすに際し、最初に障壁となっていたのはなな一派の残党ならびにとつげき派閥に群れる女たちであった。これらの女たちは政治にはなんの関心もない者も多く、そのうえ広場政治にも無知であって、ひたすら暴虐をくりかえしてその日暮らしをしていた。これらの女たちを政治広場史では阿婆擦れ連(あばずれ連中、あばずれ連)とも呼ぶ。年齢層は幅広く立場も身の上も様々であって、しかもみずからが治安悪化の原因あるいは荒らしの一種であると自覚するまでの知力はなかった。
 あばずれ連の一人、にゃこぶはとつげきホイホイにかかり、既に死に体になっていたことは前述したが、その詳細を述べるまでに次の逸話を紹介せねばなるまい。それは通称・yuri事件である。
 去ること政治広場第一次大戦中、大分と愛知の血統で東京を遍歴しながら貴族として裕福なくらしをしていた、ある女性が広場に現れた。彼女の名はyuri(ゆり、ユリ)といい、年齢はほわ・ナオ・ちくわ・さよこ・おりん同世代あたりと考えられるが、本質的に素直な性格であった。また九州人の末裔によくみられる傾向だが、手当たり次第に人を怒鳴りまわる、侵略を是とするようなかなり野蛮なところもあった(なおとつげきも血統は両親とも九州という)。もしくは武士階級のなごりか、不徳な者を下人と見下しにかかる、レコナー同様貴族にありがちな威厳かさもなくば高踏さももちあわせていたが、同時にその歯にもの着せぬ正直一途まっすぐな性格は天真爛漫ですらあり、広場民の一部から好感とともに珍重される結果をももたらしていた。のちの現代に発表席を独占し毎度そこで踊り狂うところから、いちご姫(後述)により「チンパンジー」とあだ名された、福岡の父を持つ東京の上級官僚の生娘・ともみ同様に、彼女の先祖は西南からやってきているとはいえ、薩長藩閥の流れを汲む特権階級が有するとおもわれる色々な特徴が垣間見られ、要するに大衆とは違ったのである。これらのユリに関する更なる性格分析はかの有名な『ユリの生涯』など、人気高い小説や伝記にゆずろう(2015年段階では未刊)。われわれがしるべきことは、彼女が重要人物であって、粗暴と洗練を兼ね備えた類まれな人物であったということで十分である。この独身女性は広場でとつげきにはじめに興味をもった。いわゆるホイホイにかかるかにみえたが、これには裏があった。ユリとレコナーは互いに貴族であるから、といってもユリが麻生家を親族にもつ血統貴族ならレコナーも親戚に新渡戸家をもつといった共通部分と、同時にユリが中卒で学業を好まないならレコナーは父が慶応祖父が早稲田卒と知識階級の色彩といった相違点もあったが、二人はありうることでかなり互いのよさを認め合った。ユリはレコナーに「あなたは(大衆に比べ立派すぎるので)このような場所にいるべき人ではない」「あなたがもっともよい人だね」と面と向かっていうなら人々には「あれほど正義感の強い人にははじめて会った」と彼への敬意を表し、レコナーはレコナーでユリの義に関する強さを尊重しあるいはその剛毅木訥な性格のよさを認め、なべての相談からユリの係争に際しての援護射撃まで最大級の互助を惜しまなかった。こうかくと恋仲にみえるが、実際は男女ではあっても貴族階級同士に典型的な尊厳ある友情であった。ところでレコナーとユリは、ななによる男をはべらせて独裁を摂る振る舞いの数々を、ななが小学生のころ属しかつ彼女の母も属していた京都文化になぞらえ、まるで芸妓のような行動形質だと考えていたが、ななはあるとき言葉が流暢とは決していえないユリから「芸者」と面と向かっていわれたことについて、ユリへの怨嗟を深めた。これを芸者呼ばわり事件という。るくはなな一派の陰謀を一手に司る闇の側近であったが、ここでななとるくは、ユリへ得意のスカイプ釣りを仕掛けることにした。ななは、とつげきがかつて頻繁におこなっていた、スカイプしながらのピグ無断動画配信にもよく登壇し、「ななちゃ~ん、うたってや」と関西弁であおるうらぶれたとつげきにもアイドルまがいの曲を唄って聴かせるなど妙なる媚態をふりまいていたが、彼女らの真骨頂は他人のスカイプを一派の誰かから録音させその公開という種をもとにだました相手を恐喝する、という詐欺行為であった。といってもそのほとんどは側近るくや、下僕のロジコが教唆していたとはいえ。案の定、とつげきホイホイにかかりやすい心理状態となっていたユリに、ななとるくは配下のとつげきからスカイプの誘惑をおこなわせ、無事成功した。ここで見知ったユリの情報をもとに、なな一派はとつげきへユリとの現実での出会い行為、すなわち彼らの常套手段であるお食事デート謀略をけしかけた。とつげきは兵庫は川西の出で関西人にありがちなけち、つまり吝嗇な性質をもち、デートは初対面以外は割り勘であると豪語、しかしこれは建前で、実際には初対面の場合でも事後請求する、とこれから行われるyuri脅迫事件(ユリ脅迫事件、ゆり脅迫事件、ゆり事件等の呼称がある)であきらかとなるのである。

 yuri脅迫事件

 とつげきはユリを現実での出会い行為に誘い出した。これはアメーバ利用規約に抵触しているが、サイバーエージェントの運営は不干渉であり、広場で唯一の与党権力であるレコナー派が広場自治行為の域内で取り締まるほかない状態であった。事件当時のユリはとつげきホイホイにかかり、幻惑され、正気を失っていたためあっさりとこれにのるかにみえたが、さすがの貴族でみずから怪しいと気づき、約束前日に断った。するととつげきは激昂、食事するレストランから請求された予約解除料金1万円を返せとユリへ迫りとつげき一派総出で脅迫しだした。その構成員はにゃこぶ、その頃にゃこぶに淡い思慕を寄せとつげき派閥に連帯していたがとつげき一派からは無下にされていた兵庫の病気がち元塾講師・crio(クリオ)などであり、とつげき一派はデートを誘惑するなかつかんだユリの個人情報をあげつらいながら、彼女の電話番号に何度か悪戯電話をかけたり、性に関するもしくは顔の写真を入手した為それを無断公開するなどと嘘をつきながら彼女へ精神的に圧迫をあたえつづけて復讐した。とつげきは既に不惑付近だがマザーコンプレックスで、母をママと呼び頭が上がらないうえに、わざわざ東京下町で暮らすとつげきの部屋まで兵庫から母親がやってきて毎度掃除している始末だった。とつげきに掃除ができない、あるいはあまりしないことは、ピグを通じたとつげきの下宿にあがりこむ出会い行為で通帳や印税収入、給与明細をその目で確認するなど金に目がない悪女にゃこぶから何度もからかわれ暴露されていたが、ここでにゃこぶと呼ばれる当の人物についていま少し語ろう。この酔っ払っていることも多い千葉女自身がよく広場で語る世情話を要約すれば、父が熊本人の警視庁勤め、水戸の祖母をもつが東京生まれで、今は都内の受付嬢をしており、ファミレス店長の彼氏に浮気され別れて以来、彼氏と命名したとされる犬の名前「にゃこぶ」を名義にしている。ところがこの女は身持ちがわるく、性売買の唯我をダディと呼び不良のハシナオとつるんで広場民を手当たりしだい罵倒してまわるといった風情、ユリはあるときにゃこぶから「足をおなめ」と命じられ彼女をばい菌がうつりそうであると評していた。そればかりか、にゃこぶ自身が当のとつげきを「子供に家庭内暴力を振るい、隔離しないと切れるタイプ」と評し結婚など無理と解析しながら、毎度のようとつげきの家に上がりこんでは大層評判のわるい下品な酒飲み配信をする体たらくである。にゃこぶの得意技は「きちがい」とひとびとを罵倒する暴言で、彼女が気に入らないすべてのひとにそうであったが、後述のozashiki(オザシキ)もユリも、レコナー派の大多数すら、とつげき派に与しないほぼ皆がにゃこぶによってそう誹謗されてきた。ユリがいうにはにゃこぶは「いじめ日本一」であり、上述のユリへの個人情報さらしを種にした脅迫はにゃこぶが主犯格とされ、京都の性悪小娘KONA(コナ、こな)とともに、面白半分にユリの精神状態を危機においつめるべく、インターネットと現実上でくりかえしその痛罵は執拗におこなわれた。唯我の弁では、にゃこぶはなな一派とも不仲、互いに陰口をいいあい、そのような性質でななは現実についても不登校になったのだとされる。なおにゃこぶは高卒であるが、低学歴を嫌う学歴劣等感の激しいとつげきは女は馬鹿である方がよい、とのべつまくなしにのべる性差別主義者であって、結局のところ政治広場史上の最終解釈として、とつげきはにゃこぶを懐柔しやすいために利用し、にゃこぶはとつげきを浮気された彼氏の代わり暇つぶし相手にしていると考えられている。ところが彼らはともにうつ病の気があり、とつげきの現実の部屋でいつものスカイプをネット配信中ににゃこぶが自殺願望を語り始め、聴いていたある人が緊急通報した為、現実のとつげきの部屋には救急車と警察がやってくる大事件となった。これをにゃこぶ狂言事件またはにゃこぶ自殺未遂事件という。
 いずれにせよユリは精神的に追い詰められており、再登場後の勇者レコナーにある早朝、愚痴広場にて、政治広場と現実の両方でとつげき一派から脅迫罪をされているとの旨、相談もちかけた。レコナーは親身にこれを聞き取るやユリを援護しレコナーが人事院、ユリが警察へと手分けして通報する手管を整えていたが、その最中、とつげきの匿名サブと考えられているアバターが二人の間に割って入り、ユリを彼の部屋に連れ出した。レコナーは構わず人事院に通報していたが、その後にユリのアメーバ上のメッセージがレコナーに送られてきたところによると、当のとつげきサブとおぼわしきアバターは是非ともそれらの通報をやめるよう懇願してきたという。こうしてユリは警察に通報することを取りやめたため、とつげき派閥すなわちとつげき・にゃこぶ・KONAそしてクリオらが現実の監獄に入るないし科料を警官に懲らされる事態を免れたのであった。ユリはこのあいだに精神を病みかけ、精神科を受診するか、さもなければ自殺をおこなうかのおぞましい瀬戸際までおいつめられていたが、レコナーの支援によって再び政治広場へも復権していく。その第一歩が、ハシナオ討伐であった。

 ハシナオ討伐並びにゆうちゃん脅迫事件

 なな一派はとつげき派閥だけではユリからの芸者呼ばわり事件への復讐を完遂できないとみるや、いわゆるちんぴらの一種と堕していたハシナオを呼びつけて同様の策謀を吹き込んだ、もしくは、なな一派内でそれを誘発するようにおわせた、と政治広場史では考えられている。これをハシナオけしかけという。その頃、ユリは猟奇ポルノマニア公務員、暴力的京都男のozashiki(オザシキ)と親身となっていたが、これは両方とも不幸な生い立ちをもつことによる同情の念の為であって、次第に性愛の関係となっていた。オザシキはユリ同様、広場民を暴威してまわったり、かつ公然猥褻目的で女子ピグを付回したり怪しからぬ振る舞いが多かった為に、ハシナオやKONAは彼の素行を問題視していた。そのときユリがとつげきに袖を振ったとわかると、ハシナオはユリをオザシキから保護する名目をたてて現実でのデートにスカイプを通じて誘った。しかしユリは、ハシナオによるローゼンやレコナーら広場民への既往の暴力傾向を多少あれ目撃していた上、オザシキと先に約束があったとしてハシナオの無礼を理由にこれを断った。ハシナオもとつげき同然に激怒し、スカイプ録音の内容を公開するとユリを脅迫。ユリの復権を目指し政治広場に登壇しその場に居合わせたレコナーからこれを指摘されハシナオは防戦したが、道理に歯向かえる刃なくして呆気なく敗残した。こうしてユリは当人の愛するオザシキと結婚に向かう。レコナーはオザシキの様々な形跡、特に猟奇ポルノに関する好みの面からユリにそのむね注意するよう、或いは何か起きたら相談するようにと最小限度の忠告はしたが、ユリの自由意志と素直な感情を尊重した。これは後のユリ再登場の際に、ナオ(ハシナオと混同を避け、長野ナオと記す事もある)もかすかに絡んだ、京都陣営に与するユリの政治的意思が微妙に介在しているといえなくもない、彼女の人生を懸けた壮大な結婚劇であるともわかるようになるのだが。他方、ななはあるとき広場にやってきて、ユリがオザシキと現実で婚姻に向かうとみるや、オザシキはどうみても異常者であると周囲に断定し、健康不安や掃除不能などいくつかの面で事実そうでもあったようだが、かえってオザシキとユリの配偶関係はユリの不幸の原因となると憶断して小躍り喜んだ。こうしてユリ脅迫事件を芸者よばわりへの復讐として行っていたなな一派の陰謀は、なながオザシキを軽蔑していたために終焉したのである。
 しかしながらとつげき一派は次のホイホイの標的を探し続けていた。奄美から上京してきた粗野な気質を持つ、およそほわ世代の独身女ゆうちゃん(以下ゆう)へとつげきは同様の手口で誘惑、それをふぐに邪魔されゆうが断るやまたも脅迫をはじめた。ゆうは敗残し、今度は石川の2chねらー(2chを頻用したりその内容を信じるものをにちゃんねらーという)にして田園蔑視の陰湿な性向をもつ、フィギュアオタクの独身男ボンヨとひそかに東京ディズニーランドでのデートを行ったが、見合いには至らなかった。このとき性売買を趣味とした大阪上がりの高卒・東京下町商人yumenokuni(ユメノクニ、夢の国、ゆめ、ユメ)らと親しい、静岡の大学生女ダコタが、ゆうを援護していた。実はユメノクニもなな一派からのけしかけにのまれ、とつげきホイホイ同様にゆうを誘引していたのである。また、ふぐはとつげき・ユメらの合同コンパ(要は集団での出会い行為)を半ばやっかみを含めつつ意図的に邪魔した因果から、広場でにゃこぶ、クリオ、ユメノクニを含むとつげき一派からの怨嗟をうけ、総攻撃にあうことになった。このためレコナーがふぐへ直接救援を申し出ると、気の狭いふぐは、前々から発表への細かな揚げ足取りで事実上の対立関係にあった名演説者レコナーへ向け「真っ平ごめん」とこれを断った。こうしてふぐはとつげき一派から即座に敗退、その後、レコナー救援部隊からのふぐ蘇生を目指す懸命な医療活動が行われたが、ふぐは周囲の派兵を一人ひとり分断して部屋に呼び出すや、レコナーへの陰口をはじめた。しかし医療専門の部隊がこれへ容易に乗るはずもなく、ふぐは憎しみまみれの捨て台詞を吐いて失踪、広場から事実上の半引退状態になってゆく。レコナーはほぼ同時期に愚痴でゆうから相談を受け、ゆうをユリ同様援護することとした。こうしてレコナーを通じユリ脅迫事件の概要を聞き知ったゆうはとつげき一派がゆうを罠にかけたと判断、レコナー派からの陰陽の支援を受け広場政治的に反とつげき陣営となった。レコナー派はその直前にイトキチ征討を大成、広場の与党あるいは最大支配権を獲得していた為、とつげき派閥もここからたやすく覇権をまで奪えず、ここにゆうはふぐと異なり広場から完全に排除されるのを免れた。ところがゆうは恩義の念に無知であるか薄い、もしくは記憶力の低い人物で、これ以後に東京のヤンキーちーちゃん一派に自ら志願し所属する中で、レコナーへ嫌がらせを始めた。こうしてはじめから規約違反の出会い目的女であった出自もそうであったにせよ、近代中盤以後、ゆうは広場の喧嘩系荒らしの一員として数々の乱行に加わるなど、独特のうらぶれた位置づけとして固定していくのであった。広場民のなかには、広場川柳の端々にこれをゆうちゃんのヤンキー化、もしくはゆうのヤンキーナイズと揶揄する向きもあったという。

  第七章 近代後半(西暦2013年終わり頃~西暦2014年)

 第一次レコナー王政

 あばずれ連のうち、最初の懸念が神奈川は横浜女ユークレース(ユーク)であった。彼女は妙齢で東京生まれの誇りを持ち、山形出身で東大卒の選良かつソニーの有能な技術者である父から生まれ、栃木人との混血であった。ユークはとつげきホイホイにかかると見せかけ、そこは生粋の都会人で一定の距離を置きとつげきを冷静に観察していた。ピグを使った出会い行為が規約違反な事もかえりみる余裕のあるユークは、どれほどとつげきからかどわかされてもたやすく応じなかった。ここに、広場で横暴を働く今では唯一の野党、とつげき派閥の無力化を目指すレコナーは、彼女を側室とする方略を考え付いた。即ち、かつてなな一派が頻繁にもちいた色仕掛けの援用によってユークを抱き込みにかかったのである。ミキを正室としつつもユークに側室としての権限を与える、と好条件をもちかけた結果、ピグが単なる人形劇であることを理解しているユークは、それまで東京一極集中や原発政策等について都会批判をくりかえしていたレコナーとの根源的対立を超え、内実にレコナーのものとなった。既に王者と名乗っていたレコナーの側室戦略はあばずれ連を懐柔する作戦として十分使えるとみた彼は、次ににゃこぶを抱き込みにかかった。実は、レコナーはユリ事件時にとつげき派閥を征討する際、にゃこぶにだけはみねうちしていた。これは過去の経緯から、にゃこぶは浮気男らにだまされている面もあり、ユリ脅迫をそそのかした憎むべきと同時に哀れな存在でもあると判断した為であったが、ユリの側はむしろ脅迫の真犯人としてのにゃこぶをレコナー軍から攻撃してもらいたがっていた。当時の野次馬の一人であった、山形は米沢藩士を先祖にもつ東京の下層民・ヘソ下三寸から、レコナーがにゃこぶ相手に手加減していると告げ口されたユリは、レコナーの裏切りを疑い、直後に引退してしまう。こうしてにゃこぶへの哀れみを示してきていたレコナーは、ある休日の昼ごろにゃこぶに誘われるまま彼女の部屋で愛をささやき、彼女の懐柔策へ部分的に成功したかにみえた。が悪女にさもありなん、その日の夜にはにゃこぶのアメーバ・ブログにリベンジポルノ犯罪の報復も受けた。尤も、レコナーにとって王政の確立が目的で決して、とつげきがしてきた類の現実での出会い行為が目当てではなかったので、それらはピグ上での人形劇に過ぎないもので、いくら反撃されようと、政治広場闘争の色仕掛け系に慣れていたレコナーにとって安全防衛圏であった。こうして合規約性の域内で、レコナーの側室戦略が徐々にあばずれ連の暴虐性を融解していった。この際、純愛趣味のミキはひそかに悲しんだが、レコナー王からの説得によってこれは広場政治の為なのだと己に言い聞かせた。これらによって達成されていった広場の良好な治安は、広場でのレコナーの治世に献身したミキ女王や、彼女への支えと側室らの世話、そして広場での政治に毎日かかりきりにならざるをえない当の王の大きな自己負担から成っていた。愛知の病気主婦まゆはこの際、江戸時代の大奥に同情していた為、レコナーの側室戦略を補佐していた。側室は増え続け、ついには6人ほどにまでなり、あばずれ連のほとんどを吸着して広場は絶対王政の様相を呈した。これをレコナー第一王政の絶頂あるいは単にレコナー王政の絶頂と呼ぶ。夜毎にレコナー王はひしめく側室らを巡ると、それらの現実において恵まれない女らは彼の訪問に歓喜し、迎え入れた。そしてシンデレラ願望を持つネット女の中には、側室へ自主的に志願する者さえいた。こうしてレコナー第一王政は完全に成功し、広場はピグ上最大の人口数にくわえ平和と華やぎに包まれた。かつてイトキチ一派に属し敵対してきたくろすけは、それまで厄介者だった広場のあばずれ連を一手にひきうけてくれたレコナーに感謝し、敬意をこめて彼をレコナー卿と呼んだ。女王となったミキの内面は複雑だったが、彼らの望んでいた政治論あるいは仲のよいつきあいがまっとうに行えて、本来あるべきだった広場の平穏が実現された以上、側室制度を廃止する道筋はまだ見出せなかった。それと同時に、レコナー自身も側室の世話を大変がり、なるほど快楽も認められるにせよそれはそれで過度なら労苦に近づいていた。当時の和歌を集めた『レコナー第一王政歌集』(ほとんどが散逸している)には次の歌がみいだせる。
この世をぞわが世とぞおもふ望月の欠けたる広場なきとおもえば
こうして、かつて運営と類推されるアバターから初登場時のレコナーへ向けられ発された源氏の予言は、奇しくも多くの劇的革命をへて実現された。彼女らが予想していなかったこととしては、レコナーを愛する女王にできた小型のストレス性円形脱毛症にかかってまでの絶えざる自己犠牲のもとに、ではあったが。これらの経過ならびに達成された広場の平和を第一次レコナー王政、またはレコナー第一王政、レコナー第一王政時代、レコナー王政時代などと通称する。また、与党王政におけるレコナーをレコナー王、レコナー1世、レコナー政治王などとも呼称する場合がある。この頃、温和な八方美人の態度でいかなる広場政治に対しても中立を保っていたほわを見つけるとレコナーは、政治広場民からみえない可能性の高い愚痴広場で彼女の過去の行状を責めた。レコナーは彼女へ、彼女は本来、ホメ一派やなな一派、そしてイトキチ一派らの暴虐行為を諫めるべきであったのだと述べたところ、ほわも己をかえりみその優柔不断を認め、以後は大部分客観的な観察者の立場からではあるが重要なレコナー派の一角となった。
 ところではじめのレコナー王政のさなか、愚痴広場にて集団迫害を受けそこから排除された亡命の民、いちご姫(いちご、イチゴ)が政治広場へほうほうの体でやってきた。その衣服はよごれ、心も肌も深く傷つき、今にも死んでしまいそうであった。レコナー王は彼への憐憫の情から、とりあえずの保護を与えつつ背景事情を調べた。いちごは独身中年男性で、それまでえみゅという中学生女子に恋心を燃やしていたという。レコナーがあなたはなぜ男性なのに姫かと問えば、えみゅがその方が可愛いと彼へいったからだ、とその不思議な変装眼鏡のアバターは臆する気もなく応ずるのであった。後に、彼は慶応大卒の金持ちで、高校時代は野球部長という心身とも闊達な人物、さらに弱いものを見ると放っておけない義心の持ち主で、一定以上の政治的知見の持ち主、かつ非差別主義など多くの秀逸な点をもっているとわかるが、当時の彼は愚痴民らからロリータコンプレックスあるいは未成年を対象にした性犯罪者の嫌疑をかけられ実に酷い迫害を受けていた。レコナー王政の官僚らが断片的にだがいちごから聞き取ったところを今一度抜粋すれば、いちごがえみゅに近寄ったその真意は、彼がおおよそ親孝行といった古きよき理由で子供を欲しいと同時に、それは彼一流の知見によれば若い女である方が妊娠能力の点から有利である、という単純な生物学にすぎないのであった。レコナーはこの時、恐怖の愚痴王として隣国に君臨していたダルマから違例の直接訪問を受けた。違例というわけは、レコナー王国としての政治と、ダルマの愚痴はすみわけていたからである。レコナーはダルマの方から、いちご姫を政治・愚痴両広場より共同排除する謀議を唐突に切り出された。レコナーはいちごについて下調べを済ませていたため彼の公徳をはかっての申し出には統治者として深く感謝すると同時に、丁重に固辞の儀を示した。レコナーの側として、犯罪者とみなされている人物についての情報提供ならびに広場民が受けるはずの迷惑についてのご心配はありがたいが、それと同時に亡命の徒を迫害するのは人道にもとるという返答であった。こうしてレコナーはその第一次王政時代初期から、愚痴難民に関する受け入れ態勢の基盤をつくり、人口を増強していった。いちごは有意にか無意にかその恩に報いて以後、有能かつ世界市民的な政治論者となると共に、愚痴民の突然移入に対してはいちご自身への迫害を恐れ彼なりに厳格な態度をとる政治広場守護者の一員となるのであった。なお、テーマ広場群で2大都会とされた政治広場と愚痴広場はそれぞれ隣国だが、おのおのの広場は30人が満場であって、片方で一時的に人がいないともう片方になだれを打って人が集まる、潮目と呼ばれる潮汐現象があり、総じてその働きにかかわらずレコナー王政以後は首都を政治が、副都市を愚痴が担うようになっていった。このため政治広場をレコナー王都と呼ぶこともある。かつてあの栄華を誇った主張広場はどうなったかをここに記せば、オデンヌ女王の回顧録によると、オデンヌ・レコナー戦争を主張側ではレコナー来襲と呼んでいて、当時を思い出せば黒船到来、それまでのオデンヌ女王政が崩されては大変と主張連は政治や愚痴を駆けずり回り、てんやわんやの大騒ぎであったという。かつ、ほぼ同時期にオデンヌ女王は現実において結婚し、ログイン頻度はどうしても下げざるを得ないことからも以後、主張広場は衰退期に向かったという。

 るれ一派

 第一次レコナー王政における側室の中に、にんじんという東京女がいた。彼女は関東北部と推測されているがとある地方の田舎出身で、学生生活を送るため上京し都内で就業した。あるきっかけで知り合った、多重人格の障害をもつ京都は宇治の娘るれへ、彼女は慈母の心を以て接していた。るれの方は、あるとき愚痴広場にやってきた妙齢の美女といっていい容姿の者で、また詳細は不明ながらにんじんもそうだとされているが、この2人は親友であった。ところで前々よりレコナーは初心者に親切で、それは彼が初登場の頃に遭遇した残酷物語の数々から、二度同じ目に他者をあわせない、との親心によるのだったが、るれへもやはり丁寧にしていた。彼はるれの実情を知るにつけ、彼女の私生活における苦しみや楽しみを知り、彼女の幸を自然に願うようになった。ところがるれは多情な女で、といってもるれ自身は博愛の念を持つ寛容な女子であるといういくらか天然じみた意識に過ぎないが、また容姿も手伝って写真撮影などに積極的ないまどきのコスプレイヤーである彼女は独身男性らから一定の人気を集め始めた。愚痴のクールな男前なんとか丸や軟派の達人ユキハマが彼女と親密になりだした頃、アメリカ英語に堪能で愚痴の軽めな東京男ぴんこや愛媛出身でハワイに留学経験のある元ホモの不良ほほい等が、女を厳しく精査する愚痴王ダルマと共にるれの不行跡を指摘しだした。そればかりか、彼らはまれに政治へも顔を出し、よく見知ってはいるが移民後のいちごに談義をもちかけ、いちごも特にぴんことは持てない同盟との意識であった故、るれが浮気な女なのであると断定していった。その上、るれは当時京都に住んでおり、その気質にありがちな裏表の振る舞いがあったし、レコナー派の監視役はるれによる広場民への陰口をしばしば確認、これらの結果、るれの排斥論が古参の間に持ち上がりだした。しかしここに、ななの事実上の引責辞任後に力をもてあましていた元なな一派側近るくが、新たな寄生主として偶像性のあるるれを利用しだしたのである。こうしてるれは、広場の浮気な男性陣から片方では愛玩され、かつ誠実な男性陣からいくらかより嫌悪されながら、広場に定着度を高めていった。にんじんはるれシンパであって、広場男性陣へ向けて行われゆくいかなるるれの働きをも甘んじて黙認し、それどころか、レコナーがるれの風評等による広場治安上の不安などをわずかなりとも相談しようものなら即座に、レコナー派への攻撃行動を開始するといったるれ盲信ぶりもしくは偏愛ぶりなのであった。この為、側室構想が持ち上がった際、にんじんも候補にあがり実際にレコナー王からの寵愛を受けた。といっても、後発的に参入が決まったにんじんの側室内の順位は思ったより高くなかった為、嫉妬深い部分もある彼女はかなりの程度より不満で、半ばお仕着せの側室状態なのであった。なおこの場合の寵愛とは、広場でレコナーから優先的に構われる程度のものであり、肉体関係を意味していない。レコナーはるれについては、彼女が慕う兄を広場で見知っていたこともあり、側室候補からはずしていた。のちにるれはこの逆ひいき問題について却って彼女の博愛の胸中から悲しみ、レコナーの特殊な京都嫌いのせいであるとそしったりもした。
 その頃、愛媛は松山の文人墨客で通俗的な歴史小説を好むレコナーの同世代hoiti(ホイチ、ほいち)が広場にやってきた。はじめこそ独創的過ぎる政治論をぶつレコナーに批判的だった彼だが、次第に相手の人柄を理解して通常にやりとりできるようになっていった。他方、奈良の善男で遊女好きのてんちゃんが広場を訪れたことがあったが、レコナーは彼の穏やかで自然あるいは田園を愛する丸い人柄をほめたが、これはかつて旅行で訪れた奈良をも関西で最も優れた地域の1つであると考えていた為でもあった。つまりレコナーは奈良びいきだった。てんちゃんは、実はホイチと既往の友であったことが後に明らかになるが、彼らレコナー、ホイチ、てんちゃんそしてハシナオは同世代であるばかりか、ほぼまるで同年齢である。彼らをレコナー世代という。ホイチの方は、やがて病気の治療のため東京に引っ越したるれと広場で知り合いとなり、ホイチとるれ派は互いに親身な間柄となっていったし、てんちゃんものちそこへ参加していった。その頃、広場政治面で手持ち無沙汰になっていたハシナオも、るれの容姿に惹かれたのか、独身中年の東京男しかごうと共に、るれの写真撮影会オフへ現実において参加したりもした。このうち、しかごうはにんじんの密偵に対してるれへの下心を暴露したのでるれ一派から強く排斥されたが、ハシナオの方は劣等感や焦燥感といった彼の荒んだ心のうちをるれに打ち明けていくなかで、次第に当派閥の一員となった。

 ちーちゃん一派の到来

 yumenokuni(ユメ)はピグの方々に顔をだしていたが、あるとき喧嘩イベントと呼ばれる弁論術の大会から、ちーちゃん(ちー)と名乗る東京のヤンキーをつれて広場にまいもどってきた。ユメとちーは激しく口論し、一時的に広場は荒れた。そこに広場での暇をもてあますハシナオ(ハシ)が喜んで飛び入り、ユメを庇いながらちーへ恐喝をくりだした。ハシがちーへいうには翌日、上野にくるといいという。上野で現実に殴りあいをしようという。この脅迫に対してちーはハシの電話番号をよこせと応答した。二人の接戦は一晩中つづき、ユメはハシの背中越しにちーを罵倒しつづけたが、戦力というより野次馬に近づき、やがて疲れたのかハシを置き去りにきえてしまった。なぜハシが彼を援護したかといえば、以前に、新宿の思いで横丁で共に語り合った仲で、現実の知り合い以上友人未満と考えたからだ。ところがユメの友誼はハシからの片思いに比べれば、場合によっては薄かったようであり、以後のハシ・チー戦争を通じても己のみを案じはしても、ほとんどハシを庇うことはないのであった。
 ハシはなお、ちーとの問答無用の脅迫合戦に応じてちーの家へなだれ込んだ。レコナーはこれらを感知して調停部隊を送り、ハシのピグの部屋には大男、ちーのピグの部屋には監視役を入れてその後のしばらく事態を見守っていたが、やがてちーはハシが喧嘩に負けたと判定して騒ぎは沈静化した。これら一連の出来事を、ユメハシ・ちー戦争という。しかしちーは格闘家のごとく口論するのを好む人物で、これ以後、広場に定着する。この定着はじめの全体をちーちゃん一派の到来、あるいはちー到来という。
 その後のちー一派(ちー派)は彼女の出入りしていた喧嘩イベントから移民をつのり、やがて広場においてとつげき派と対立、第二の野党勢力となってきた。その中には大奥荒しであるが伝説を自称する神奈川は横須賀にいる謎の女すたぬー、大震災時の津波によって両親を亡くした中卒の両性愛少女にして兵庫男に抱えられた宮城の貧農・絆花(あつは、アツハ、きずなはな)、あるいは、のちに最大の有能者として政治広場史にその名を燦然と輝かすことになるが、東京は白金に住まう金持ちのお坊ちゃん・りおしが混じっていた。さらに、天使と名乗る大阪の富裕層の美女もやってきて、絆花へ同性愛者疑惑を打ちつけたり、レコナーと気まぐれに対峙したかと思えばホームページ製作や肖像画を依頼するなど、次第に広場は賑やかになってきた。ミキは攻撃性の高い天使をおそれつつ非常に嫌っていたが、レコナーは天使のツイッターを後に偶然発見し、その文才を賞賛した。いずれにせよ、彼ら喧嘩イベントからの流入者を総称して喧嘩イベント出身者または喧嘩イベ出身者、喧嘩出身などという。
 彼らは晒しというこれまでも使われてはきたピグ上の闘争手法をさらに洗練させていたり、詭弁術に長け、ついにとつげき一派と明白に対立するとその猛攻によってとつげきのツイッターを一時閉鎖すなわち非公開化するまでに追い詰めた。これはかつてふぐが試みて果たせなかった大事業であって、やり遂げたのは主にりおしの騎馬隊であった。りおし単独での成果だけでもめざましく、りおしはとつげきによる国民罵倒の癖を鋭く批判すると、とつげきの職場を探り当てて公務員職責違反としての苦情をいれたといわれる。これをとつげきの職場への公益通報、あるいはりおしの公益通報という。与党としてのレコナーは一連の出来事を広場にいて実力を確かめるつもりで見守っていたが、りおしの偉業を認め、彼を今後、広場の重鎮とするつもりである旨みずから申し告げた。りおしは山手人らしく折り目正しい人物で、この申し出へ誠実に応答した。以後かれは東京においても下層階級であるため心優しくとも礼儀作法に欠けるちーとの仲介役として、あるいは時に暴走をはじめるおつむに欠けた軍人気質であるすたぬーの制御役など、レコナー派とちー派間の情報ハブ役として機能する。さすがのりおしにも絆花は放っておかれているのが気になるが、その理由の分析は後の研究にゆずろう。
 ちー派はとつげきへ鋭意兵を送り夜毎に激戦を演じ、ついには細々いきのびていたホメとも激突した。この頃、ホメは広場民を日記やブログなどで週刊誌のごとくあげつらい名誉毀損をする晒しの手法を、ち一派から習得していった。その標的として新潟のうつ病を患った男性ぷちおくん(ぷちお)が槍玉となったとき、ホメは看護婦の資格をもちながら精神疾患を侮辱した為に職権違反としてぷちおは激怒、ホメとの全面戦争を開始した。レコナーはこれを見ながら、かつて自滅したホメを再度消尽させる好機会とみてぷちおの後方で事態の推移を見守っていた。ところが猪突猛進のちーはこの喧嘩をみて進んで飛び込み参加、ぷちおが実質的にちー側へ救援依頼をした為にちーはありうる限りの暴力をふるってホメを広場から追放した。これをちーのホメ討伐という。しぶといホメはこれ以後も広場へ断続的にもどってくるが、少なくとも一時的にホメ消尽に成功したちーの非常に強い攻撃力をレコナーは認め、さらに、彼女にお世辞をいいつつ以後協働での政治活動を持ちかけると、ちーはレコナーを敵とみなすことはなく、かくしてレコナー・ち一派での二頭政治が開始された。これをレコナー・ちー時代と呼ぶ。しかし、この二党体制には副作用もあった。
 広場の古参でベンチ組み最大の有力者であったまみーはそれまで事ある毎にレコナーへ情報提供などで進んで協力を惜しまなかった。彼女はちー派を荒らしと認定し、レコナー派にはちー派掃討を期待していた。ところがレコナーは、側室政治によってさえとつげき一派が完全鎮火されなかった政治経験からも事態を重く見、ちー派との共同統治を選択するつもりだとの旨をまみーへ宣言してしまった。これにはいくつかの理由があり、当時広場にいた愛知のアフィリエイター主婦そらちゃんやイトキチ一派の残党らが、まみーの古参集団と組み、ちー排斥の共同謀議をひそかにくりかえしていた情報をレコナーが事前につかんでいたからであり、即ちイトキチ一派再興の芽を摘むという安全統治第一の目的があった、とされる。他方、とつげき派閥の勢力はその時点で、具体的には愛媛南部の山奥から上京してきた田舎女・月兎(げっと、ゲット)とにゃこぶのみの構成で、複数の対立広場勢力からすでに野党として数が削られた後なので、さほど恐れるにはたらなかった側面もその決断に作用した。いわば落ち目のとつげき派と対立している上に成長株であった第二野党としてのちー派を、レコナー派へ敵対しないよう彼は調整した形になったのである。これ以降、まみーは第一次レコナー王政中期の二党体制に失望し、事実上引退してしまう。これをまみー引退という。
 ほか、イトキチ一派の残党を相手に奮戦していったちー派は、イトキチ最後の逃げ場として敢えてレコナー派が焦土と化すのを避けていたイトキチの巣2chを侵略し、論議不問で蹂躙していった。この結果、かすかに残ったイトキチ一派の残党勢は広場における権力のかけらをも失って、ほぼイトキチとモチタという2人の最古参だけに解体されると共に、ちー派は全古参から憎悪を一身に集めレコナー派を除く全広場民から目の敵となっていったのである。

  第八章 現代(西暦2014年終わり頃~西暦2015年)

 奇人Katsudonとレコナー院政時代

 レコナー・ちーの二頭政治は、もともと政治意欲が高いとは必ずしも言いがたいレコナーにとっての負担をへらす結果となった。しかも長年にわたる広場政治闘争で20代を終えこの頃30代前半となっていたレコナーは、かつての広場政治においての40代層の傲慢と無能ぶりを省み、できるだけ早いうちに彼より若い20代層以下に有益な経験をつませるべく、己の政権を委譲するつもりでいた。この隠遁欲はレコナーの地元である旧水戸藩域の世襲君主・水戸の徳川家が自家薬篭中とするもので、いわゆる水戸黄門がご隠居と尊称される事からも、レコナーは隠者アバターを新たに作り、ちー派のみで広場政治をおこなえる手筈と引退準備をひそかに整えていった。あるとき、ベンチで広場の平和ながらも活発な議論がおこなわれている政情を、相棒にして恋仲のミキと茶をのみながら眺めていたレコナーの元に、レコナーにとっては幾分迷惑な大阪のレコナーファン女・こはるのサブアバターにみえるKatsudon(カツドン、かつどん、カツ丼)がやってきて、なにやら発情のようなことを述べだした。このカツドンと名乗る怪人はのちにレコナーの部屋でなぜかイトキチを自称したり実は男性であると豪語するなど奇妙奇天烈な人物で、しかもレコナーのもとへ足しげく通うやコミュニティ申請までして付きまとうのであった。ミキもはじめは、カツドンがこはるのサブではないかと考えていたが、次第にカツドンが北海道の孤独な大学生女子であるとわかってきた。なお、カツドン自身の証言によれば彼女の容姿はいがぐり頭で愛嬌のある顔つき、喜劇的なところのある俳優、えなりかずき似であるというのだが、その真偽は不明である。
 この頃はじまった新たなピグゲーム・ピグブレイブ(ブレイブ)のベータ版において、カツドンは可愛らしい女子アバターで「レコナーさん」と彼を慕い、協力プレイを続ける間つねに女子らしかった。かつ、しばしば語りだす身の上ばなしの断片をパズルピースのよう結んでいくと、とどのつまり、次のように結論されている。彼女は医者にも精神疾患と疑われるほど性格にいくらかおかしいところがあり、しかも大学1年生の間だれとも会話しなかったほど友達をつくるのが実に下手である。また平凡なバイトをしながら暮らしていて、自立心は旺盛、レコナーを攻略する恋愛ゲームを構想するほど彼が大好きなおてんば女子大生ではないか、とこのように政治広場史上考えられてはいる。他方、レコナーは私生活において将来、彼のアトリエを建築などの設計事務を司る中規模組織にしていく夢をもっており、もし実現すればだが、しばしばレコナーを裏切るなどあまり信用はおけないやんちゃなこの子娘を雇う構想などを冗談まじりに交わしたりもしていた。こうした第一次レコナー王政後期のできごと中で、広場の治安はきわめてよく、またちーを適宜采配するりおしの無比な有能ぶりは確かであった。しばしば軌道を失うにんじんが発表席近辺で荒らし行為を働くほかは、政治論をした試しが一度もない政治素人軍団のるれ一派であったが、その最上位役であるるれへ広場でレコナーが直接、できるだけ30人が満場の当広場に政治関心者らのための余地をあけるようにとそれなりにひきしめた口調で教え諭したことがあった。これをるれへの説諭という。以後、るれ一派のうち上司のるれが広場を避け下火となった頃合いで、レコナーはアバターを隠者に乗り換えた。レコナーはりおしに、以後の広場統治を基本的に委任すると述べると、ベンチや発表席で時折広場を見守るのみで広場政治には直接関与せず、若い世代が実権をとるレコナー院政の体制を執った。これをレコナー院政時代と呼ぶ。

 哲学部

 当面の広場政治から隠退したレコナーは、みずから哲学部をつくり、この部室に京都北部の出身で大阪の大学生DKやゲーム製作の専門学校を卒業した福岡の青年Mr(ミスター)、ミキ、ホワらと篭もるようになった。この時代、レコナーはしばしば広場に立ち寄ると、りおしらに忠告を与えるほかは広場政治にほぼ直接関与をしなくなった。かつての側室ユークや、新入りカツドンは哲学部に必ず参加したがり一時は、レコナーも彼女らを参入させたが、内部でりおしと小競り合いの喧嘩をはじめるユークや、DKとレコナーに非礼を働いて議論を駄目にする傾向のあるカツドンは数度の退部をへて、部員になったり辞めさせられたりをくりかえした。この間、レコナーとはじめて出会った頃は、悪に満ちた世間への憂いから悲しみにふけり塞ぎこみがちだったミキも、徐々に元気をとりもどし、特にブレイブの正式版が開始されると共に、みなと協力して生きることにも少しの生きがいをみいだすようにさえなった。ミキの人生において生きる意味は、俄然レコナーを愛することであったが、これを広場でしばしば眺めていたかつての側室にんじんは、るれを通じてレコナーへの想いを打ち明けた。また、時は微妙に前後するがあるとき広場において「政治広場新聞」と名乗る報道記者が現れ、広場民らの分析論を記事にしていた際に、これをipad(アイパッド)越しに見知ったユリは別名で哲学部に入り、レコナーらと接触した。ミスターは予てからユリが気に入っており、思慕すらしていた為これを大変喜んだがそれは束の間で、レコナーが発表席で新たに構想した水戸皇国論を述べていたところ既に京都という平安時代同然の保守風土になじみはじめたユリは突如激昂、となりで聴いていたミスターも呼応してレコナーをそしりだし、ここにミスターは哲学部から退部の運びとなった。実のところユリは引退前に、愚痴広場へ結婚報告にきており、ここでたまたま会ったレコナーはレコナー王政前夜のクリスマスにナオから誘われてユリがレコナーの部屋にやってきて憩うと、酔っていたユリからベッド上で迫られたりした懐かしい思い出を語り合いながら、実は女性としてもユリは魅力的であるとおもうと世辞をしていた。これを突如思い出したユリは、広場においてレコナーへ反動形成もどきの揶揄をしたのであったが、直後に再び彼女の病気がちの夫の看護を目的に、京都の旧態依然な公務員世界へ帰っていった。
 DKが哲学部にてレコナーはじめ部員らへくりかえし述べるところでは、日本は病んでおり、人々は鬱の傾向であり、戦後のアメリカ教育がもたらした個を弾圧する教育がその原因として考えられるという。レコナーは彼の論旨に一定の理解を示し、また彼を含む部員らと多くの議論を続けるなかで、皇室の根源的な立場は実は侵略者を超えずその支配権は仮のものであること、これは現代の先住権と呼応する趣旨ではあるが、かといってサヨコが主張するよう皇室を処刑するよりは、むしろ徳川家のよう一般法人化して財政から切り離す方が文明的対応であることなど、次々に政治論上にもわたる新たな思想を生み出していった。哲学部は現代日本思想の配電盤の役割を果たし、話題不足になりがちな政治広場へ絶えず新たな情報をもたらす理論的支柱として、或いは人類社会を変革する定点として有益な役割を舞台の陰から演じ続けた。ところが、カツドンは哲学部でしばしば問題を起こすため部室より強制的に追い出されているあいだ中、政治広場にたむろする時が多く、レコナー院政はかつての彼の王政時代にくらべ退屈だと感じるようになっていた。しかも、カツドンはりおしの知的過ぎる理詰めの論難に情緒的反発を感じやすく、りおしとちーの二頭体制で支配されていた広場政治へ次第に不満度を高めていった。この東京陣2名による一時の体制をりおし・ちー政体と呼ぶ。また、にんじんがレコナーへ想いを寄せていた上に、しばしばユークもこの政体への不満分子に加わっては密かに水面下で燃え滾るレコナー再選運動を起こし始めた。るれもまた、レコナーが彼女の兄におもんばかりすぎ、広場女性陣ではことさらるれを避けて彼女へ寵愛をおこなわなかった過去をまるで差別を受けているかのようで悲しく感じていたことから、広場へのレコナー復権の動きにるれ一派もほぼ総出で加勢する運びとなってきた。

 レコナー第二王政

 広場の古参はちーあるいはちー派への憎悪をもともと募らせてきた折であったから、事態はいやましに切迫してきた。この頃、レコナーの父が病気で臥せり、この相談にちーやりおし、ぷちおくんらちー派の上位層らが乗った為、レコナーとちー派には再び恩義の念が生じ、やがてレコナーの部屋にやってきたちーは広場の最近の状況をぽつりぽつりと打ち明けだした。ちーによれば、最近の広場は過疎化し始め活気がないという。レコナーは若い世代が十全に力を発揮していても彼の王政時代より覇気を持てない事に残念さと、複雑な嬉しさを覚えながらも、読者には信じがたいことかもしれないがその場でちーがレコナーへ媚態を示したところから彼女を寵愛しようとした、と政治広場史の副事件上にされている。これは、レコナーにとって第二次レコナー王政の開始に際してちー派の掌握を目指す目算もあったとされるが、単に広場政治から長年遠ざかって色ぼけしていたともいわれる。が、当史の記述ではこれこそなな時代に見知ってレコナー王政の絶頂を支えた色仕掛け戦略そのものであると結論する。いずれにせよレコナーへ自ら言い寄る通り肉体的な愛慕をさえ感じていたちーは、実のところ性についてはおくてで人形劇上にさえこれに応える勇気もなく、この彼女が目の前にしている願望どおりの振る舞いをするアバターはレコナーの成りすましによる陰謀である、と断じてその場をふりかえりつつ立ち去るしかなかった。これをレコナー邸での情事、あるいは単にレコナーとちーの情事、情事などという。ちーは必死にこの情事をリベンジポルノ犯罪仕立てにちー派の立場を維持しようとしたがとき既に遅く、この情事以後、レコナーは第二王政を開始、レコナーに抗う意欲を殺がれたちー派を内情で身内としつつ再び、哲学部で獲得していった新政治理論を片手に広場を駆り立てかつ盛り上げていくことになるのであった。これをレコナー復権という。
 広場へ積極的に復権活動をおこなったレコナーの第二王政時代前期においては、広場上のほとんどの争いごとは未然に防がれ、また古参のホワと最古参ホメ・モチタ(だんご)が確認する以外はイトキチによる2chでの誹謗は完全に無視され、かつての時代とは段違いの平和が維持され続けた。政治論も活発におこなわれ、特にいちご姫の躍進はめざましく、毎晩かれは得意の人種差別批判によってネット右翼とみなした相手に論陣を張るのであった。その代表的な論敵はあの元女王オデンヌであったが、いちごとオデンヌはまるで兄妹漫才のよう毎晩左右の翼を羽ばたかせ、広場をにぎわせていた。広場の伝統芸能で場はほぼ満たされ、第一の芸であるホメ・モチタの舞踊を通奏低音とし、第二の芸であるごま・ふぐの剣術はごまさぶれの登壇後にしばしば起き、第三の芸であるとつげきホイホイの喜劇は今では月兎とにゃこぶが交互にとつげきに媚を売り、殆どこれらの芸人たちは明らかに、第二王政中のレコナー派と、広場民を楽しませる目的でそうしていた。こうして書くとすべてが丸く治まっていたようにみえるかもしれないが、ただ一人、絆花だけが一般的天譴論、つまりレコナーが絆花の乱行を眺め「悪さしてると天罰があたるぞ」と説教したことについて、怨みによる晒しを軸に、レコナー王政へ反逆していたのであった。
 こうして第二レコナー王政後期はりおし並びにちー派の協力を経て完成度を高めていったが、あるとき、るれとにんじんは誘いあわせてドラゴンネストと呼ばれるインターネットゲームにレコナーを引き入れた。ここには既にかっぱ(ユキハマ)やホイチ、カツドンらがおり、ミキを参加させることにしたレコナーと彼らはしばらく美麗な仮想空間内で、敵である化け物ら相手に共闘して遊んだ。このPCスペックを必要とする3DゲームはミキのノートPCには負担が重かったので、やがてミキは辞退したがった。るれとにんじんは大変残念がったが、彼女らのレコナー勧誘の主要な目的の1つはにんじんが好きなレコナーと共有の遊びであった。そのときログイン回数が激減していたちーやその派閥すたぬー、絆花らがいなくなり、かなり孤独に陥っていたりおしはこれらを見知った。途端、彼は別の低スペックPCでも遊べるネット上のすごろくゲーム・牛筋はんたーを持ってきてミキを懐柔、関西弁のうぶ芸人・ぼっちと共にレコナーを同りおし陣営へひきもどすことに見事成功し、るれ一派のレコナー独占あるいは懐柔策は失敗した。はじめから色々な派閥に顔を出すカツドンにより、生理的とすら思われる嫌悪を受けてきたりおしだったが、ハシナオによる約束破りへの報復などの振る舞いを通じて、るれ一派内での敵愾心を次第にあおってしまった。これらのりおし嫌悪の背景には、しばしばノルウェイの淑女INNO(イノ)ら外国人相手にみられる卑猥な発言をおこなう癖がある故か、あるいは喧嘩イベント時代の攻撃的な残り香の故かいくつかの理由が考えられはするが、それは本筋からそれることもあり詳細は名著『りおし解析』(2015年現在未刊)にゆずる。政治広場史の立場からすればりおしは実に有力な人物であると同時に鋭敏であり、これらるれ一派の火種が炎上するずっと前に問題の芽とみたら先んじて摘む行動をとってきたが、るれ一派が再び同様にブレイド&ソウルのネットゲームをレコナーへ誘い出すに際してもその広場上の孤立を避ける方法を彼は模索し続けねばならなかった。これらの平静な世における20代から30代前半らを中心とした広場ないしそこで起きた一連の出来事を、総称してレコナー第二王政あるいは第二次レコナー王政と呼ぶ。

 2つのコミュニティと共和政

 レコナーはてんちゃんとの出会いによって、てんちゃんと共通の趣味である音楽のコミュニティを構想、ユーチューブの音楽を紹介しあう通称・ユーチューブコミュニティを構築した。この創立当初にるれ一派を編入させたことから、また厳格な会員制をとっていた哲学部に対しこちらはゆるやかな共同をめざしていたことから、ユークやカツドン、時たまではあったがハシナオらを含めた共有空間とこの部室はなるのだが、そこをるれとにんじんが大部分、彼女らの自主的な寄付によって建築設計しレコナーが最終調整をした事が政治広場史の文化項目欄に挙げられる。この部室はレコナー第二王朝の文化庁から建築賞並びに、民間の広場文化協会からは名喫茶賞を得た、といわれている。実際、しばしば煙草か何かの煙をくゆらせるてんちゃんの憩う姿や、ユークのいねむりなどがみられ、20代広場の外国人らも集まって一種の文化サロンとなった。また、るれ一派はひみつ警察などの私的コミュニティにホイチらを引き込み、意図するしないにかかわらず危機からの隠遁所として機能させることで、なな時代の禁断の仮想体操コミュとはうってかわって、広場政治上の衝突はたくみに避けられていった。
 さらに、レコナー第二王政ははじめダルマ愚痴王やかっぱ軟派王に全広場統一を宣言し、ことさら愚痴過疎化に悩むダルマには王都レコナーとの合併構想を持ちかけたりした。が次第にレコナーは与党権力としての絶対主義を解きだし、結果として広場は残る野党のるれ一派、ちー派、とつげき一派、そして解体さればらばらになった古参を含む無党派らとの共和政の様相を呈し始めた。というのも第二王政中のレコナーは内乱がほぼみられない治安以上を目指すには民度の向上が必要、とはっきり意図的にそれを目指し、絶対王政による厳格な統治方式より広場の盛り上がり度を最優先していた。こうして多党から内々の支持を得たレコナーは、なお主として彼の見守る広場を新規流入者に寛大な多様化と、知的議論のおこなわれる時代としていったのである。政治広場史は今後も続くが、わが筆はここで擱きたい。(了)

付録『政治広場史年表』(画像クリックで拡大)