2021年5月23日

なぜ皇室といううぬぼれ大量殺人鬼一味が東京の中枢に居座ってしまったか

関西人は余りに愚かで余りに自己中心的だったので、中国から輸入した中華思想にかぶれ、そのなかに天皇と称する中華皇帝もどきを擁立し、かれらを大量殺人鬼信仰の的にしてきた。結果、政教分離できない劣った狂信政体を維持するしかなくなってしまった。悪しき天皇から政権交代を望む正直者、あるいは逆に天皇に絶対忠誠を誓っている英君へも、かれら馬を指して鹿と為す性根の曲がった関西人らはつねづね嫉妬のあまり「朝敵」と名づけ、汚名を着せて歴史的に抹殺してしまうのである。
 こうして祖先崇拝教で発狂状態の神道信者にころされたり、天皇一味の女性官僚強姦が一夫多妻面で公然とはびこったり、普段からただの世襲やくざ(自称皇族・公卿・公家)に見下され差別されながらむさぼられたりする最悪政治しか結局、関西地方ではなしえなかった。そこで作られていた文物も大半が、それら根源的腐敗や頽廃をあらわすものばかりだった。
 いま国歌にされている『君が代』は原型が『古今和歌集』に初出だが、その本質が、当時の天皇への声の上ずった純然たるお世辞の歌である。民衆の為など何も考えられていないのは、天皇へのごますりで金権政治(受領政治)上の地位が決まっていた当時の公家衆の価値観が反映されている。

 だが関西人達はその愚かさを、かれらが中国や朝鮮から弥生人や渡来人として移民してきた嘗ても、今も誇っている。単に開き直っているのではない。余りに愚かだと自分たちが未開人だという風には決して自覚できず、逆に自文化中心主義に耽りがちであり、むしろかれらが自分達の地域を中華の意味である「近畿」といまだに称しているのはこの為だ。いまの関西人が弥生時代以後に入ってくるずっと前から日本の人口中心は関東にあったのに、かれらはいまの首都圏や東日本一帯を、移民当初からなんの理由もなく、或いは適当な偏見を捏造して、無理に華夷秩序の枠組みにあてはめ絶えず差別してきた。すべて関西人一般の根っからの無知と悪性、そしてうぬぼれの結果で、かれらの最終結晶体としての末路が、今も国税に寄生し手練手管を駆使して民衆を洗脳しながら、借金を踏み倒し法律を改竄し、君主無答責をいいことにやりたい放題の皇室である。

 関東人達は現実主義で冷静だったので、もともとだれひとり、この天皇と称する関西の自称皇帝兼祈祷師一味からの洗脳を信じていなかった。かれらは端から、中華皇帝もどきぶって東日本全体をあたまごなしに差別しながら搾取したり、一方的な収奪目的で征東(のち征夷)大将軍と名づけた朝鮮系やくざとともに侵略してくる、厄介な関西地方の移民間の邪教であった。そしてこの現実感を見失っていなかったがゆえ、関東圏は関西人や天皇一味の謀略をおおかれすくなかれ見抜きながら自分達の自治権を維持復権し、日本最大の政治都市となることができた。
 東京へ天皇を呼んだ者はだれもいない。かれらは薩長土肥(鹿児島・山口・高知・佐賀)と京都の岩倉具視という、関西・九州・山口・四国からきた侵略蛮族が、東日本を関西地方同様に洗脳する目的で、政権簒奪の悪意で連れてきた、根っから暴虐が本性の邪教祖なのである。