生まれながらのIQが低い傾向がある人々は他人の立場を多角的に慮る能力も低い可能性が高いので、利己性に耽り易く、それを巨視化した愛国・保守思想を信条にし易い。愛国心に耽る人々は国や利害を超えた広域にわたるやりとりを苦手とし、思想そのものも単純化・矮小化し易いので、生活の諸局面において差別的な考えを複数もち、また同種の観念に洗脳され易く、おおよそ利己的かつ他害的にしか生きられない。
犯罪率の面で学歴による偏差が生じるのは、個々人の生まれながらのIQと進学可能性に一定の正相関があるからと思われるが、勿論、多数の例外を含んでいる。またIQ自体とEQその他の感情知能や、法の理解度、道徳知能などは異なっているから、これらにも厳密な相関性はない。この為、サイコパスやダークトライアドといった仮にIQ自体が高い状態でも道徳知能その他に例外がみいだせる状態があり、また理科系の教育(理系教育。自然科学を主とするもの)を受けた人々によくみられるよう、IQと無関係に感情的または倫理的思考そのものを苦手としている人々もいる。ほかサヴァン症候群の一部のようIQが極めて高い状態でも、他の知能と関係ない人々もいる。しかも典型的進学実績は典型的教育課程を経た一部の人にしかあてはまらないのであり、学歴あるいは教育歴で犯罪率が決まるとするのは完全な拙速で誤りである。
要するに低IQに生まれついた人々の一部は、他人の気持ちを慮り、孔子「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」イエス「己のしてもらいたいようにせよ」といった利他的な行動をとることが、脳の遺伝的に難しい。そして他人からはそれがしばしば悪意に見える。第三者から愚かさが時に悪意と混同されるので、低IQの人々の一部は自分は悪人だ、性悪だと考える様になり、また他人もそうに違いないと思い込む様になっていく。この世界中の人々を性悪説で見なすある種の厭世観という悪徳の部分は、明らかに愚かさと悪意が混同されることから生じているのだ。ハンロンの剃刀と類似の意味で、「愚かさで説明できることを悪意の一部とすべきではない」
この世になぜ利己主義者が生まれてくるかといえば、上述の経過を辿ってなのである。また裏を返せば利他主義者が生じてくるのは寧ろ高IQの人々の一部が、大いに他人を慮れる共感知能をもちあわせているので、利他的功利主義風に世界中の人々をより幸福に導けるとの信念をいだき易く、ある種の楽観が拡大したからだ。だが現実には上述の理由で公害をもたらす利己主義者が常に、比べて居るので性善説の世界観通りに人々が暮らしはしない。「賢さで説明できることを善意の一部とすべきではない」とは、知識に基づいて利己的に生きているに過ぎない人々が、生まれながら善人だと思い込むことがいかに有害かを示す警句だろう。高学歴の極悪人に搾取されるのが日常の一部の金融界(例えば市場平均に成果が劣るのが通常の投信の世界)では顧客は往々にして合法的詐欺の対象でしかない。同じ様に高IQを悪用している人達を善意と混同している限り、なぜ資本主義が本質的に貧民の為の仕組みでないのか分からないであろう。