政治の源に治水があることからも、スーパー堤防の事業計画自体が頓挫しつづけるのは望ましくない。千年の大計の前では当面の赤字財政などなんの問題でもなく、天災に比べれば一度で失われる人命の重さを守るに、他の命にかかわりない事業を犠牲にしてでも重厚な、あわよくば豪勢な堤防建設を実施していくのは国家建立の義務と思う。
目先の損得勘定が行政府の命題では、当然ない。長州藩士の風を押し倒してでも事業は継続すべきである。
とはいえ、当然だが計画実践の途中でより高規格の堤防が発明されればこちらを採用し直すのも合理。旧約の大洪水の例をひくまでもなく何より行政人が、水害を決して軽視してはいけない。