僕は遠い地方からやってきた一人の無名の旅人だ。そこは武蔵野だった。朝早くで、ある目的地へ向けて、その日は祝日初日だったのだが歩いていた。川べりを通りすぎていくと、多摩の山間の方に多くの似た様な大きさの一戸建ての集まった住宅地と、いくらもの田畑が見えた。川沿いの僕に聞こえる声で、その途中にある一件のアパートから「バイバーイ」と叫ぶ二人の少年が見えた。一人は幼稚園、もう一人は小学校低学年くらいだろうか。辺りを見渡すと、自転車を留めてタバコを吸っているサラリーマンらしき人、あとは自転車で通りすがる若い女性がいた。誰に向かっての別れの印しなのだろう? その若い女性はシャンプーの香りをまきながら、嬉しそうに通りすぎていった。
特に何ということもないある晴れた祝日の朝の話だ。敢えて感想を言えば、僕はそこに東京都と呼ばれているこの大きな蠢きのなかに澄み渡った真理を見た。人々は渋谷とか、新宿とか、六本木とか、何か皇室の今だとか、そういう華々しい現代を有り難がっているかもしれない。だが僕はその何ともいえない風景に、昔この武蔵野が一体どんな所だったのかをすぐに悟った。そしてその方がどれだけ素晴らしかったかしれない。
声の向こう側へは多摩の住宅地が点々と見えた。実際、今日マチ子の絵を頼りに僕はその辺りを徘徊するつもりで行ったのだ。徳川家康がこの辺りへ侵入してきた時、運命は大きく変わった。江戸氏が根城を持っていた頃、ここはおそらくあの奥多摩と殆ど変わりなかったろう。今では、どこからともなくやってきた自称天皇という人があの堀の奥にいる。だが、僕の目にはどれも俗物に見える。あの一階のはしのアパートの一室で育っていく、何だか分からない元気な二人の少年より、ずっと。そして武蔵野とは、元々そういうところなのだ。