鈴木雄介ブログ
2008年5月14日
宗教論
宗教の本懐は信だと云える。
それこそ調整的徳を回復させる。そしてみな宗教は原理的には分配の固着に対して、この調整を諮る機構。
宗教が大成された哲学体系のことなら、我々は批判可能性へしか宗教法人を維持できないだろう。脱構築が宗教原理。
次の投稿
前の投稿
ホーム
モバイル バージョンを表示