2024年3月6日

日立国の高文明について

日立国、こと茨城県は東日本最古の記録から既に学術的に進歩した国だった。四六駢儷体を巧みに使いこなしている『常陸国風土記』は、嬥歌の伝統や現地の豊かな暮らしを反映し、明らかに文明度が高い国へ敬意と親しみに満ちた描写が続く。寧ろ奈良人黒坂による常磐道煽り運転式の先住人虐殺だけが悪辣だ。
 奈良の文官は茨城県を天国と語った。奈良も茨城も知っていると大いに納得できる。大和国は瑞穂の国を理想郷と考えていたが、その狭い盆地をでてきてみれば、関東平野一帯に広がって地平線がみえない、遥か大規模の黄金の実りの海を筑波山から眺めた時、彼は感激したのだ。自分もそっくりの光景を見た。
 万葉和歌に残っている茨城県の人々は賢明で純情、又心がけの良い人々とされており、次の和歌が鹿島だちの防人の勇敢な心を巧く写し取っている。

あられ降り鹿島の神に祈りつつすめらみくさに我はこにしを
 英雄的な悲壮感を写すこの歌は、文官のみた坂東武士の姿が頼もしく感じられた事を示している。

 平安期の文献でも貴族中で最もよく育てられた人物として茨城県の人が描かれている。特に都会ずれていない点が、真の貴人として山城国でも好感を持って受け取られていたと分かる。今も海、山、川、湖とよろず揃った自然豊かな環境や、日本で最も耕地開発された農村を主とした素朴な民俗性はよく似ている。
 茨城県は大国のため朝廷から親王任国として最重視され、常に皇族が遙任で治める方針だったが、今もこの伝統は形の上で残る。平成天皇こと現上皇の第一弟が常陸宮、つまり茨城県の王たる公称なのはその為だ。
 次官が直接治める際、江戸期は御三家が置かれ、学者の賢君水戸黄門として広く名を知られた。

 今の日立国は筑波研究学園都市を主として急激に発展を遂げ、つくば市界隈が全国で最も人口が殖えている自治体だ。TXことつくばエクスプレスの開通は開発に拍車をかけ、少なくとも日本で最も学者が集まる所に更なる学術的進歩がある事は疑う余地がない。文明度の高い事情は古代から一貫して似ていたのだ。