きのう話しかけてきたおよという人が関西単位の主語警察をしてきた。
孔子は村夫子について問われ「悪人に嫌われ、善人に好かれる者には及ばない」と『論語』で答えた。
「東蝦夷」などと東日本全体を差別している様な人物が関西にいて、ウトロ地区を襲撃したのは事実。それは決して文明の証ではない。
関西地方の殆どの人々は飛鳥時代に中国からもってきた小中華思想を引きずっており、それは今では矛盾をきたしている。カネと権力ほしさで東日本勢を占めだしての不正な小御所会議で自ら東日本へ侵略した自業自得で、自称天皇一味と主要公卿は東京へ移動してしまった為、関西は名実とも首都から陥落した。
今の関西地方の興りは縄文時代後期に鬼海カルデラ噴火後あいていた土地に、中国や朝鮮半島から移民が入ってきた事に始まる。彼らは渡来人として中国をさるまねし大層な威張りようだったが、所詮は小中華にすぎないので歪みは凄まじかった。特に最大の歪みが物の哀れと称する不良美学のはびこりだった。
いまだに猥褻小説家の紫式部と彼女の悪徳賛美にもみえる描写を作者ごと褒めちぎる愚民愚皇は絶えない。それも関西人の資質が、少なくとも品位の点で彼らが模倣先にしてきた本場中国に甚だ劣っている証明だ。江戸時代中期に全く同じ観点を上田秋成に突っ込まれていた本居宣長も、自己愛妄想で開き直った。
今の東京も関西人の植民地みたいなもので、本居の不良美学へ追随する茂木健一郎の様なえせ文化人の全盛期といえる。
これら都内退廃の救えなさは、大河ドラマ『光る君へ』など称する連続強姦小説家を美化した完全に悪徳賛美放送としかいえないNHK本社の報道姿勢でわかる。ジャニー喜多川の共犯組織だ。
要するに関西人一般はまねていた中国に比べ品位の点で大変劣った文化、しかも徳なき天皇と称する偽皇帝による人道犯罪を賛美する様なひねくれた亜流社会を作る事しかできなかったのだ。その様な蛮族をほめちぎれば孔子が「鼓を鳴らして之を攻めて可なり」と言ったに違いないのだ。王道に反するのだから。
悪いものを悪いといい、良いものを良いという。また悪趣味に悪趣味だといい、良い趣味に良い趣味だという。悪い仲間に悪いといい、良い仲間に良いという。悪徳自治体に悪いといい、善徳自治体に良いという。こういう正直の徳を、およなる神奈川人は持たない。だから馬を指し鹿と為すよう勧めてきたのだ。およという人は関西地方の主要自治体や東京都内の退廃が現に明らかでも、主語としてそれら悪徳集団の滅亡を見通せていなかった様に見える。世界史の知識がないのかもしれない。腐敗した国々が亡ぶのは理の当然で、だからこそ関西や東京の自堕落に従わない様、賢明な大多数の国民に知らせる必要がある。
退廃とはその集団に悪徳のはびこった様態だ。事実、『夢を与える』での集団強姦肯定その他の悪趣味な猥褻小説家にすぎない綿矢りさ(関西出身)や、高齢者大量抹殺論の成田悠輔(東京出身)を天才と賛美し、南関東や関西の衆愚はうぬぼれ、己の地方の外を無意味に見下し、虚栄心に耽り得意がっている。
こういった退廃の有様は、かの人には認知力が恐らくその衆愚の一部なのでそうと理解不可能なのだろうが、明らかだ。東京のジャニーNHK共犯での大規模な児童人身売買罪が公共放送内だった上無反省な事、山背の元舞妓・桐貴清羽氏の暴露した児童含む人身売買・性売買罪の実態は、両地区滅亡が近い証拠だ。ある衆愚自治体の表沙汰になった日々の行いが甚だ巨悪でそれが氷山の一角とみられる事は、内部の腐敗はそれより遥かに進んでいる事を示唆している。関西の主要自治体である山背と大阪は片や独裁、片や寡頭政で傾いている。贅沢に耽り、財政危機へも特に反省がみられない以上、滅亡確実というべきだ。
結局は悪徳自治体とそこがもたらす公害へ一般公徳を台無しにする無視を勧めてきて「全ては善」などとほざくおよは、孔子がいうとおり自分一個の評判を恐れ全方位に媚び諂う郷原にすぎず、徳の賊というべきである。
悪徳賛美を関西人とつるんで長年続ける自堕落都民に至っては最早救い様がない。
我々はそれら退廃に沈む亡びの関西や東京を反面教師に、文明の質を高めつつ先へと進んで行かねばならない。
そもそも関西地方ができたのはここ千年程度の話にすぎないが我々の文明は数万年以上は確実に続いてきた。そして今後も発展し続けるだろう。関西や東京の様な悪徳の敗者は反面教師にすべきだ。