2024年3月4日

勧善懲悪に基づく反社会性人格条件者の害他行動と性善的英傑の劇的扱いについて

茂木健一郎氏がいう「人柄の良い大谷翔平氏の様な成功者が最も尊い」との命題について。経済的成功を貴さ一般と混同するのは実用主義の変種に過ぎませんし、そこにある能力主義による差別は必ずしも人の尊さの目安ではありません。また野球の才には遺伝要素もあり、後天的努力の成果だけではありません
 人の尊さを一般化した時、実用主義や能力主義による順位づけに加え、努力や性格に関わる遺伝の影響も考慮すると、そこでいう尊さは一種の結果論か資本主義の企業宣伝目的で娯楽化されたプロ競戯における配分的正義の一握にすぎず、彼当人の野球の才に加えた人格の貴重性を過度に一般化しすぎでしょう。

 もし人の尊さを仮に一般化できた時、平等権を根本から侵害する事になる為、私は人の尊さを順位づけする事に本質的に反対です。よって大谷氏に比べ、市井の全市民の間に何らかの貴重性の差をつける言動は、人間性に反するとみます。精々野球の能力か人柄による好意が、名士たる彼の基本条件でしょう。
 
 しかし、茂木さんが当該命題を提出している動画内で仰りたい事は舌足らずなだけで、恐らく根本的には、大谷氏の人柄面との対比による、邪知をもつ心理病質系影響者らから子供への悪影響の懸念とみます。因みにその枠に茂木さん自身が多少あれ入っているというのが、わが国媒体での社会通念と考えます。
 反社会的人格条件者らの悪影響は甚だ大きい事が公然たる事実で、彼らが社会的影響力を大きくもてばもつほど益々その暗面は巨大になります。彼らが大金や権力を握った場合その社会が被る害は致命的になります。大量虐殺を犯しても戦犯逃れで生き延びた皇室もその種の世襲絶対権力者だった事が明らかです。

 社会正義の啓蒙が勧善懲悪劇の本質なら、普段から反社会人格条件者らの害他行動を、最高でも狂科学者の様な危行としておくに留め、他害か公的害をなした場合明らかな悪役と考えておく必要があります。
 その逆に米国風の英雄主義が大谷氏の様な性善的人柄を劇的に美化するのは良い風習となるでしょう。