2021年5月14日

天皇一味の目的は洗脳や手先を利用した野蛮な暴力による世襲の独裁(僭主)政治

西日本の薩長土肥(鹿児島、山口、高知、佐賀)の人々は、かれらを中心とした西軍に加わった京都、広島の人々と同様に、徳川慶喜へ濡れ衣を不当に着せ続けてきている。それはかれら西日本人一般が、単なる暴力至上な権術主義を信奉する野蛮な人々をおもとすると示している。
 なぜなら慶喜は進んで政権を天皇へ禅譲したばかりか、天皇からの濡れ衣へも我慢して耐えていた忠義な最後の将軍だったからだ。
 もしかれが武器を取って天皇軍を打倒または天皇軍と奮戦していれば、かれら西日本人一般は慶喜をまごうことなき史実として「朝敵」扱いしていたに違いない。また、逆にかれが現にそうしたよう水戸徳川家の家訓ならびに彼の受けた尊王論を核心とする水戸学の教えどおり天皇への絶対忠誠を貫いていてもやはり、西日本人一般特有の性悪説的な悪意から、みみっちい権力欲とねたみ深さ、あるいは恨みで凝り固まっている西日本勢一般はかれへ「朝敵」と冤罪してきたのである。

 ここにみられるのは、薩長を筆頭とする西日本人一般の政治志向は単なる野卑な暴力を全てに優越させようとする悪意だということである。

 こういった西日本風政治では天皇はつねづね駒と考えられており、飛鳥期に天皇と称しだした奈良人一味もそれを承認しつつ絶対権力の座にのし上がってきている。現に明治期、初代総理の伊藤博文が『ベルツの日記』にみられるよう皇太子を操り人形の如くに嘲弄していても、皇族もそれを目撃していたのにかれへ何の非難も加えず、全権を持っていた天皇はかれを解職すらせず、却って、かれに最高爵位であった公爵や初代総理の位を与えている!
 すなわち天皇なるものもやはり、この暴力至上の蛮族集団の第一人者であり、その種の家風を持ち合わせているとみなしてよい。さもなければとうに、真実の「朝敵」であった伊藤から一切の名誉を剥奪していなければならない筈だ。むしろ、伊藤ら長州閥が朝鮮へ侵略したことを、天皇一味は、かれへの名誉付与で後押しさえしているではないか?

 天皇一味は自分の地位と絶対的権限あるいはそのたぐいの宗教権力・権威を維持するためには、広島や長崎、沖縄、福島といった諸県を戦争で犠牲にすることを厭わない。アイヌも縄文人も、ほかの弥生人らも、天皇一味に悪意ある暴力で土地を追われ、人種・門地・身分差別され、無理やり自治権、主権と誇りを奪われてきている。天皇一味の悪業と虚栄心のほどは果てしなく、かれら一味による侵略・虐殺被害から復帰した独立後の周辺諸国への、あの高慢ちきな態度にも、まったくおなじことがあてはまる。
 だがこの天皇一味の心魂にもつ悪意の根源は、西日本人一般、特に鹿児島や山口の人々にみられる恐怖政治を美化したり、暴力を至高の政治的価値と信じる利己性、つまり目的のために手段を択ばない野蛮さと一致しているので、天皇一味もやはり飛鳥期・奈良期の奈良で、その種の出自をもつ単なる権力亡者の同類とみなしてよいであろう。

 かれら天皇一味の目的は、幕末以来猛威を振るった薩長土肥・京都・広島の寡頭暴政勢力と同じく、単なる独裁である。
 自身を教祖とする奈良発の新興宗教・神道を用いた洗脳も、世襲の僭主(独裁者)の地位を維持する目的でこねあげた、日本人愚民化のための卑劣な手段だった、とみなせる。いまではNHKはじめ、宮内記者会に属する主要報道機関と共謀している宮内庁を通じた情報統制で、テレビ政治による国民全体への洗脳も、この前時代的邪教の一部になっているといってまちがいない。

 全日本国民および全人類の目に隠されているあらゆる不都合な裏側が暴露されたあかつきには、自称天皇一味はもはや、全世界で誰の敬意も失うであろう。