杉田水脈という人が一般とか一部のとか日本語の冠詞がない特徴を揚げ足取りされて「女性は幾らでも嘘をつける」発言を叩かれてるってツイッターに流れてるが、つまり全称命題(全ての女性は~)とほぼ誤認されてんだろうけど、日本女一般について同じ事を言ってる日本人女性を僕は複数みた事がある。
日本女一般に繰り返し、無限に嘘つかれて酷い目にあってきた日本女がおそらく相当数いて、その人達の一部と僕はSNSで偶然接して話を聴いたが、杉田水脈の説と多分大して変わりがないというか、寧ろもっと日本女なるもののご都合主義的な陰険さの現実をはっきり言い当てていたと思う。そして偶然、僕も数日前に正にその類の嘘つき女から、酷い目にあった。杉田発言は「幾らでも嘘をつく女はいる」と存在命題(~は存在する)でいえば確かに真実である。それが女性の全てである事は恐らくないだろうが、日本女一般という分類だと多分、一部には居るので微妙になってくるのだろう。
「日本女一般は幾らでも嘘をつける」が真か? 僕はこれを否定する根拠を知らないのでなんともいえないが、経験的にはそれを真だといっている日本女が複数いた。それだけでなくうち1人は、主観確率(現実で出会いうる範囲)では「全ての女は幾らでも嘘をつける」とほぼ同値と考えているみたいだった。
ヒトなる生物は一般に、心理学的には程あれ自他に嘘をつくとされているので――例えば悪意のない嘘、醜い人に「独特の個性をお持ちの方ですね」と言う、みたいなのを含めれば例外は殆どない。その種の社会的嘘を全くつけないと、我々の時代では、精神医学界から逆に精神障害扱い(例:ASD)されている。
即ち、現代科学で厳密にいうと、「全ての女性は幾らでも嘘をつける」はそれができない脳の持ち主が一部にいるので偽という事になるだろうが、「女性一般は幾らでも嘘をつける」は、女性に限らず男性その他もだが、幾らでもの範囲が悪意のない範囲(社交辞令等)を含むなら、真という事になるだろう。しかし「幾らでも」の範囲が指定されていないので、「女性一般は悪意のある嘘も幾らでもつける」と言った場合は、良心を持つヒトがいるのでそうではないに違いない。この点で、杉田発言は単に男女同権の旨から違憲かつ不道徳で、政治的不正とみなされるに十分なものだったが、科学的にはグレーだろう。
また常識に立ち返って考えると、僕が現実に杉田発言と同じ説を公言している日本女性らを複数みた通り、経験上、日本女一般に裏切られる酷い目に遭い続けたのでその様な信念をもつに至る人がいるのは容易に予想できる。犬でも罰刺激で或る事を忌避するよう学習するのだからヒトなら尚更である。であれば、杉田発言は政治家として公の場で述べるには明らかに問題があったが、私的信念としては認めうるもので、必ずしも性差別にも該当しないだろうと考える。寧ろ杉田氏は、「悪意ある嘘を決してつかない、良心をもった女性」にまだ会った事がないか、殆ど会わなかった筈なので、犠牲者というべきだ。