今日、正確にはきのう、歴史を変えるかもしれない重大な事実に気づいてしまった。
それは資本主義が巨視的に見ると、世界から極東への富の移転になっている構造だ。特に、対外純資産をみるかぎり、日本はこの点で極めて資本主義に好都合な国である。一般の消費性向が低く、貯蓄性向が高いからだ。
極東の人々は、平均してうまれつきIQが高い傾向にある。かつ長生きしやすい。上述のよう日本人なら一般に余計、貯金を好む性格がある。漫画『インベスターZ』、堀江貴文『稼ぐが勝ち』などで日帝が軍事費調達のため郵便貯金を国民に推奨したせいと説明されるが、通称・不安遺伝子のせいもあると思う。
(いわゆるセロトニン・トランスポーターS型というやつの保有率が高いので、リスク回避性向が高く、日本人は一般に、結果の不確定な起業や投資より、地道な貯金を好む性格の傾向にあると思われる)
これを巨視的にみると、いわゆる雪ダルマ的に、どんどんカネがたまっていき、失う可能性がとても低い地域が極東となる。黄金の国ジパングといわれていたが、対外純資産が長年1位になっている点では、一理ある。
貯金志向の一般日本国民の消費生活は比較的質素であり、ゆえに国内経済は振るわない。
年収とIQには一定の正相関がある様にみえる。勿論これは学歴差別などに基づく擬似相関の可能性もある。しかしなんらかの理由で、大きくみると比較的IQが高い人のほうが有利な競争が資本主義市場だといわざるをえないだろう(商才はおそらく特殊知能なので、一般知能・年収は厳密な比例ではない)。
日本経済の先行きは、少子化が明らかなので一般に暗いといわれている。バブル崩壊後の長期不況から完全に脱却できていないし、可処分所得につながる実質賃金面でみると円安や非正規労働へのおきかえの影響もあって伸びておらず、むしろステルス値上げとあわせ、国民一般の消費生活を低迷させている。
が。上述の理路が正しければ、実は極めて大きな目でみると、日本を含む極東圏は、資本主義の競争にあってきわめて有利な位置に就いているといえるのだ。
これを私はヤッターと喜んでいるのではなく、むしろ「なんだ、卑怯な競争やってたのか」と、自国が最初から先の地点からスタートしてる感じだ。
一つの参考例になるのはユダヤ民族の歴史だとおもう。
彼らはあまりに賢かったので古代の中東から西洋で、大抵いつも金持ち側になっていた。しかしこれゆえ営利への反感で、迫害を受けることにもなった。極東人一般の近い将来を彷彿とさせる。ではどうすればよいか?
答えとしては、富の集中への反感を緩和する目的で、最初から喜捨を前提に日本文化を作り直すことだと思う(これは生存戦略ではあるが、無償の善意ではないのに注意がいる)。たとえば寄付誓約で米国の金持ちらは現在進行形でこれを試みている。勿論それは偽善だが、恨みの回避という点で合理的だろう。
青汁王子が「お金持ちが富を社会還元する世の中になってほしい」との大義名分をたててユーチューバーやっているけど、時代の流れをきちんと読んでいるし、自分は三崎氏は最近の起業家らで圧倒的な大物ではないかと踏んでいる。つまり喜捨をわれわれの文化の不可欠な一部にくみいれる必要がある。
これまで日本政府はODAのひもつき援助で、途上国支援を散々やってきたし国連拠出も最近までずっと2位だったと思う。この方針は現地農民に迷惑な開発とか迷走してる面もあるが、大きくは間違ってまではいない。単に新興国政府への援助を、真実、新興国民のためになる方法に改善する必要がある。
但し、ベトナム、イラク、シリア関連などで、おもに自民政権がやっていた「軍事拠出」はこれに該当しない。そもそも敵と味方にわかれて戦う場に米軍の下働きでいっても恨みを買うばかり、現地の誰もそれが正義だと信じないだろう。しいて言えば、法を変え、永世中立の衛生兵派遣に絞らないといけない。
で、民間の単位でも、寄付を促進する税法を整え、できるだけ喜捨を定着させる必要がある。米国ですでにある、市場査定額の高い美術品を美術館などへ寄贈すると税控除になる制度とか、そもそもあらゆる寄付の非課税化を法に明記するなどが有効だ。金持ちを悪者にしたてるのでなく名誉と共に寄付させる。
現時点の税制では、「経費」なる分類で、企業や自営業者らは、かなりの無駄遣いを正当化してしまっている。これはまったくよい社会ではない。ヒカキンの浪費は経費でおとしてるなんて子供は知らない。だから下らない贅沢三昧をみて憧れる、三流リバタリアン国家の成金教育状態になりさがっている。
「経費」の部分は税制上、かぎりなくしぼり、OKになるのは明らかに業務上欠かせない部分と厳しく審査する体制にかえて、代わりに、この部分を「寄付」にはまったく寛大にみつもるよう法改正すべきだ。寄付の形をとれば大幅に控除がきくなら、事業者の脱税意識は大きく改善されるはずだ。
根本的にいうと、これらは偽善の範囲にある。なぜなら寄付の目的が金持ち自身の損得勘定にあるからだ。
本来の喜捨は、卑しい利己心あるいは他人の不幸を喜ぶうまれもった痛快心を克服し、できるだけ自分より恵まれない人々の状況をよくするべく、純粋な慈善を目的に行うものである。
今まで資本主義で可能だったのは、利己心に応じカネを儲けたがる獣魂意欲から、他人へ偽善の奉仕をさせるまでだった。だから資本主義についぞカバーできなかった、恵まれない人々の利益を最大化する生業については、全く別の経済が必要である。これを私は寄付経済と呼ぶ。資本主義は寄付経済が苦手だ。
寄付経済を充実させるには、資本主義の外にでて、又はその内部にあっても、基本的に別の考え方に基づいて行動しなければならない。たとえばイエスの考えに基づくキリスト教、ブッダの仏教、ムハンムドのイスラム教などの主義主張はそういった寄付経済が目的だった。今日必要なのもその種の所得調整だ。
マルクスを発想の嚆矢に、ベルンシュタインやウェッブ夫妻などが社会主義を改良し、それをうけた西洋圏でいわゆる民社・社民党による進歩的政権をつくることになった。これは現実に効果を発揮し、福祉国家がうまれた。
逆に米国に影響された日本国民は福祉へ関心が薄く、社民党に偏見をもっている。
高い相対貧困率は、寄付経済もしくは所得調整の苦手な社会の特徴である。いまの先進国では米日の順でそれに該当する。
いいかえれば、資本主義でいくら有利な位置づけにあろうと、恵まれない多数派がますます貧困に陥る社会は、かれらにとって、決して生きるに値する望ましい社会ではないのだ。
しかも福祉国家に該当する、社民党系の支配したノルウェー、スウェーデン、フィンランドにあって、国民一人あたりの総所得は日本より高くなっている。つまり高福祉(当然、高税率)と高所得は、実のところ両立しうる。結果的に自分の受ける公共サービスの質が高ければ、高税率は寄付経済の一部なのだ。
なにがいいたいか?
まとめると、全球資本主義で日本含む極東は有利な位置に就いている。だが日本では寄付経済を苦手としている(いわゆる格差社会)。税制を経費から寄付へ向けさせ、控除の充実で喜捨を促すと同時に、根本思想の点で、恵まれない人を進んで助ける文化に変えていく必要がある。
長い目でみたとき、自由主義(主に市場放任を重視し、最小しか公共福祉を充実させない立場)の傾向がある日米と、おおざっぱに社民・共産主義といった左派傾向がある欧中とで、どちらが先に、物質経済だけでなく寄付経済の面でもよりよい国を作れるかの国家間競争をしているといってもいい。
だが、少なくとも数値でみるかぎり現時点で、北欧圏(スカンジナビア半島の3国やデンマーク)は既に、人類の望みうるより発展した国に到達しているといえるだろう。なぜなら寄付経済がより充実しているだけでなく、国民一人当たりの所得水準も日本より高く、ノルウェーなら米国以上でもあるからだ。
既に進歩した実例があるとき、最善なのは何はともあれ率先して真似ることだ。無論その負の面は避けながら。
日本にとって北欧諸国が模範だと誰も気づいていないが、寄付経済について理解していればこれはまったく疑う余地がなく、いくら遠回りしようがやがて悟るしかない。