自分も数冊その人の本もってる或る自然科学の作家がいるんだけど、ツイッターアカウントみてみたらあまりに「バカッター」すぎて、ぶったまげた。因みに日本だと権威のあるとされる学校はでているのに。特定の科学者って、他の分野ではどん底レベルだったりするんだろう。意見をみるからに、人文学系の一般教養について不勉強すぎるだけでなく基本的思考力に致命的疎漏がある。(相手を尊重する婉曲表現で意味がわからんというかただの教養俗物にみえるかもしれないから、はっきり言ってる版も書いておくと、その作家は断定的に偏見にみちた差別的言動を無数に囀ってた。本でもそういうのは地味に出す人だったんだが、科学系脱構築ネタかと思ってたのでガチとは思わずびびった)
おもうに、全国民全人類にツイッターを与えて、日常さえずらせたら、死ぬほどお互いの真実の姿をわかりあえるのではないだろうか? バカッターとはすばらしい真理をいいあてていたものだ。肩書きとか地位と中身が全然違うという例が多すぎて、本当に驚く。権威ある人々のツイッターは注目に値する。
なんか新天皇陛下だったかがツイッターなさりたいと仰せられけりと書いてありました。ほんとやらせたほうがいい。宮内庁は是非とも止めずにお願いしたい。これは極右にとっても、ものすごく啓蒙効果あるに違いない。素の姿をみせるのが大事で、皇族の方々にも日常ツイートを同じくお願い申し上げたい。
「えっ。こんなアホがあんな偉そうな本、大上段にかいてたんかいな?」のパターンも死ぬほど役立つが、「アホだと思ってたらそうでもなかった、地頭いいのか」もあるし、「やっぱ馬鹿だこいつ」「性格わるいな」、「下品だな」とか「いつも同じだな」とか、「やっぱ偉いな」とか色々ある。心がわかる。
福沢諭吉が『福翁百話』だったかで、もし世界中の人達がひざを折り、お互いに胸襟を開いて率直に語り合ったら、世界から争いなくなるに違いないと書いていた。逆にガチギレ発狂が頻発する気もするが、寛容さが高い側には利益しかない。なるほどこいつらこう考えて動いてんのかと全体が見渡せるのだ。
逆にいうと、その自然科学系の作家の存在は、どんなに地頭が悪かろうと、特定の一分野で熟達するくらいガリ勉すれば、いちおう世間体くらいなら何とかなる実例なのかもしれない。雑談さえしなければ素はばれないのだろうが、それに気づけていないという素朴な愚かさ。学問なんて地は均せないのだろう。