2019年9月12日

竹内象限による日本文化多様性に於ける志向性の分析

けさ、もぎけんツイートに「イギリス首相について家族に話したら、家族に「またもぎけんに影響されてんだろ」とバカにされた」と返信してる静岡女らしきのがいた。
 で自分は全く別の返信してたら、八つ当たりにまきこまれ、その女が自分へ一言だけ英語圏のネットスラングで誹謗じみた返信してきた。
 この女の置かれた状況について想像し、分析してみた。

 この女は他のツイートを全て辿ると、もぎけんを「先生」と呼ぶほどの或る種のファンらしいのだが、なぜそうかなら、ツイートの感じからすると、東大学閥をめぐる或る種の明治ハイカラ界みたいなのに憧れているのではないかと感じる節があった。
 で、もぎけん、すなわち茂木健一郎氏というのは、一般書を書く様になったり津田大介氏らツイッター芸人と親近だった流れから、いまだに遷移初期からの生き残りとしてツイッター啓蒙家みたいな仕事をしているわけだ。特に科学者として、或いは留学先での異文化体験から、イギリスかぶれの傾向もある。
 その静岡女(らしきの)からすると、この東大閥がハイカラ的異国情緒あふれる話を誰か知識人ぶって話していると(まあ実際に茂木氏は知識人なんだろうけど)、一種の雲の上の世界にみえるのだと思う。

 ところが僕の場合、学は普遍的営みと知っているのに加え、そもそも自身もその世界の一端にいる。
 学問は根本的に哲学的なもので、どの地点からもごりごりと自力で押していくしかない雪だるまみたいなものだ。学校(特に大学)はそういう学を志した人達が集まる場所ではあったのだが、今は就職手形にしたい人達とか単に交尾相手探してるスノッブが多くて僕は近づかなかった。それで主に一人で学んだ。
 で、イギリスについて、敗戦後特に米英、時にはフランスも国として上位者扱いで神格化されているが、確かにこれらの国々の人達と会話すると我々より優れた点も多いと感じる異文化体験があるが、かといって日本は日本でしかないし、自分も日本人でしかない。だから学の雪だるまを押していくしかない。
 結局その女は、そういう自製の雪だるまをもっていないのだと思う。だからハイカラ趣味にあてられ、純粋静岡人の(恐らく国際教養人とはいえない)家族に全く別文脈にあるイギリス政治の話をしてしまい、「足元見ろ」といわれているのだろう。ここまでは意識高い系中二病が一時陥りそうな逸話である。
 だがその女は私に妬みの様な目を向け、八つ当たりの誹謗を一言返信してきた。なぜだろう。

 ここにあるのは、竹内洋の分類でいう「ハイカラ」を明治政府・旧帝大の流れを引く西洋かぶれ文脈でもぎけんが象徴していた一方、その女の家族が「修養主義」の農民文化の上にあった点ではないか。
そして私はこの図でいうと「教養主義」の象限に近い立場だった。飽くまで日本文化、特に天皇渡来以前から続く先住人由来の常陸・茨城文化に根ざしつつ思考し、非常に根が深く、西欧文化はそこからいうと最後の頃に入ってきた、接ぎ木の接ぎ木にあたる外来物でしかない。
 このハイカラは町人文化に近く、例えば浮世絵、漫画の様なサブカルチャーを肯定するが、私は日本画や欧米美術の方に親近し、寧ろ町人文化を下品とみなし忌避している。なぜこの差が生まれたかだが、ハイカラは江戸時代否定を含む薩長式西洋かぶれで、教養主義は水戸学含む国学の伝統に根ざすからだ。
 私の意識の根底には地元でみた5万年前の先住人らの使っていた石器や、青森の渡良瀬渓谷でみた縄文期の様な自然があり、そこから見直すと奈良の平城京跡や、京都御所などは新興宗教を兼ねた渡来人の暴力団が中華皇帝を模していたものにしかみえない。GHQやイングランド政府などはもっと新参者である。

 旧帝大文化は、東浩紀氏や茂木健一郎氏の様な江戸町人文化の延長にある東京サブカルに親近した人達を生み出すに至り、完全に新渡戸『武士道』の様な人格陶冶を目指す教養主義を捨て去り、ハイカラ趣味の現代版であるオタク文化に耽っている。彼らによる京アニ礼賛もこの文脈にある。私は嫌悪を感じた。いいかえれば、もぎけん氏が米英中心主義の様な考え方をしばしば持ち出し日本文化を劣位に置く文法は、徳川時代を否定したいばかりに薩長式の出羽の守を模倣する、輸入学問の旧帝大方式に習っているのだ。そこには国学の伝統との断絶がある。それで彼ら旧帝知識人は短歌すらろくに詠めないのである。
 オタク文化とハイカラ趣味は、現実には微妙に違う。飽くまでオタク文化は「江戸趣味」象限に近いかもしれない。単なる極東小国の奇形な娯楽に過ぎないそれを欧米知識人が学術の中心領域として真面目にとりあうことは恐らく今後も日本学の一部としてしかないだろうから、国外・都外と意識がずれている。なぜ東大閥の人達の一部がオタク文化を肯定的に語るかといえば、それが町人文化の下品さを伴うので、商人中心の江戸趣味、現東京趣味に叶うからである。逆にこの点で都外の、特に非都市圏の知識人は、彼ら江戸趣味やハイカラ趣味の人々を、多かれ少なかれ悪趣味の点で軽蔑しているといわざるをえない。

 では最後に「修養主義」の行方だが、これはその女の家族が属する象限なのであろうと推測される。イギリス国政の話なんて庶民で勉強もろくにできないお前には関係ないだろう、自分の明日の暮らしを思って実直に働けというわけだ。よかれあしかれ農民根性が、一般労働者に残存しているということだろう。
 この点で、欧米文化のハイカルチャー世界は、やはり「江戸趣味(東京趣味)」の商人にとっても縁遠いものでしかない。同人誌エロ漫画描きメロンブックスで500円で売っていいね1万回もらいホクホクしているオタク絵師がボリス政治のEU史に与える影響なんて気にする筈もない。なんの関係もないからだ。
 しかしながら、僕みたく主に「教養主義」象限で生きている人間からすると、欧米文化の動向はハイカルチャー世界でガチ戦闘し続けている主戦場の相当大きなゾーンなので、直接自分の仕事の意義を左右する重要な話題だ。この点では「ハイカラ」象限の人達とも、ほぼ相似の次元で議論し得る話なのである。

 でこの女がなんで僕に一言(具体的には「SMH」Shaking my head)「それはないっしょ」みたいな)といったかだが、竹内象限の欧米文化志向値が高い方の話題と、それがない修養主義(家族)間の摩擦で傷ついたのに加え、教養象限の私にも妬みに近い「お前らだけ話しやがって」と横槍してきたのだろう。

 これらを分析内容として前置きに考えるに、自分の感じだとこの構図は、日本としては過去に漢学、インド思想についてもあった話だと思う。そして竹内象限は、江戸趣味の部分を「平安趣味(京都趣味)」に置き換えても、中世版でほぼ成り立つのではないか。つまり一種の異文化摂取の型なのかもしれない。
 私がなぜハイカラ趣味に染まらなかったかなら、私は地元で生まれ育って自分の成績レベル最近辺な磐城高校へ入り、そこから芸大に入ろうとしたのだが弾かれた。一年、美術予備校で周辺事情を知悉してみるとアカデミズムの腐敗に呆れてしまい、独学に切り替えた。つまりこれが塞翁が馬だったのだろう。私は東京圏を一定距離で出入りしながら、同一化されることなく内部批評できる立場に置かれた。しかしもし私が父や祖父みたく早慶にでも入っていても、茨城北部文化は、他の首都圏北部自治体もそうと思うが、南関東の様な町人趣味ではないので、完全にハイカラ化していたとは思えない。
 西欧(欧米)文化志向値の高さとは、嘗ては漢学・インド思想へそうだった様、一般にいう知的好奇心の結果である。それで日本人一般で学業成績が並くらい以上の人達なら多少あれその傾向をもっているか、明治以後の文科省指定教育の流れで刷り込まれているだろう。問題は東京文化に染まるかなのだ。私はこの竹内象限は、国内文化の志向性を最も大雑把に分類したものといえるとおもうが、私は『学問のすすめ』みたいな実学を勧める修養主義や、村上隆みたいなハイカラ象限には一定の親近性があるものの、江戸東京趣味とは距離が遠い。それで自分の逆類型として調べはしたが、同一化はできなかった。
 例えばヒルズ族・ネオヒルズ族の様な拝金商人文化がどこに属するかなら江戸東京趣味だろう。ゾゾの前沢氏はハイカラである。両者の境目をなくそうとしたのが村上超平面理論の中間芸術的側面だった。

 教養主義は虚学虚業、つまり短歌や政治哲学はじめ形而上学、理論科学、純粋美術への志向性をもつ。
 一方、修養主義は実学に根ざしていて、そこで人格陶冶の最終目的は知行合一を殆ど出ない。国内で朱子学の虚学性を批判している人々というのは明治以後よくみるだろうが、彼らが格物致知の朱子学を理解しているとはいえず、徳川の官学否定で無意識に、知行合一で実学志向の陽明学に戻っているのだ。
『学問のすすめ』の実学論は、米国プラグマティズムを陽明学に重ね真似たもので、実際のところ学術的な中流以下への啓蒙の方便だったといえるだろう。虚学は学術全体の基礎にあたる部分で、それを応用したものが実学だからだ。学の実利性を強調した福沢は今日の大学就職予備校化の第一原因だったろう。

 結局、冒頭の女がなぜハイカラ根性を修養的家族にバカにされたかといえば、それが実学的でない上滑りの知識だったからだろう。逆にメンタリスト・ダイゴ氏の実用心理学の様な知識を語れば、修養主義者には受けがいいかもしれない。そして私の志向性は、学術的に、完全にその本質である虚学の方にある。