普段からどうしようもない政治ばかりしている国民一般は、単純に公徳がない。だからその国民一般に期待するかぎり永遠に善政は行われない。寧ろ多数政の元で低次元な公務しか選挙で実現できないなら、その多数派は衆愚なのだから理解力もなく、最高徳の君子が世にいても豚に真珠で貶めているだろう。
ソドムに10人も義人が残っていなかったので、旧約聖書の神はそこを亡ぼした。日本国の単位にもし十義人がいても、国政を変えられない。つまり国政に何かを期待している者は、その時点で愚かなのだろう。
その十人が何をしているかに注目すべきだ。最善の修身か、家政をしているのだろうから。
ポリビオスの政体循環論が正しければ、衆愚的な東京国政を覆すのは優れた絶対王政を執る別集団になるだろう。その自治体が国内のものか、国外のものかは不明だが、最高公徳の持ち主が最高権力を握る権徳一致の集団は、事実上、民衆がその権力の根拠を君主の公徳に認めるので、徳治しているに等しい。
日本政府の首相なり天皇が、民衆のいずれかの人から、単なる誹謗でなく公徳の低さについてしきりに非難されている状況では、彼らの権力の根拠を衆愚の悪意、即ち利己的な多数支配に認めるしかない。だから我々が為すべきなのはこの腐った単位を覆すべく、違う単位で善政を実現することだ。
嘗て平安朝が同じ様に腐敗していた時、平将門と藤原純友が東西で独自政権を作り、のち、東国武士政権から連なる今日の日本政府の起源になった。だから別の強力で、より高い次元の正義に基づいた政治単位を作り上げ、東京政府の脅しや暴力に従わない必要がある。皇居や御所を中央と考えないがいい。
韓国が善政を行い、今日の東京政府を力で覆せるなら、それに越したことはないが、韓国憲法は侵略を否定しているので、ありうるのは外堀を埋める程度だろう。
国政単位での革命には、専ら、驕り高ぶる一方の東京圏を経済規模で超えた単位を作り出す必要があるだろう。
孔子が君子が移り住めばそこは文明国だという様、或る人の政治哲学の質がそのまま国力の中身なのだから、近い将来、わが県わが市が善政を実現し、腐敗した東京政府を実力行使で覆すのを企図する。各自治体を作っているのは個人であり、最高公徳の人物を集めた単位が中央国政に置き換わるべきだ。