鈴木雄介ブログ
2019年8月23日
死に時
もう使い物にならなくなった老人が、君子三戒を破り金を貪りながらまだ長生きしているのをみると、人は無制限に長寿にならない方が優れているのがわかる。つまり人にはふさわしい死に時がある。確かに徳の高い老人は尊敬されるので、ある人が他人から尊重される度合いは、結局かれらの利他性によっている。
この利他性には質も量もあり、幅広く薄く好かれてもその死はすぐ忘れ去られる。聖人をみればわかるとおり後世からも繰り返し参照されるのは彼らの生前の徳が高かった証である。
次の投稿
前の投稿
ホーム
モバイル バージョンを表示