『英国王のスピーチ』と『けものフレンズ2』を見比べると、なんで日本がイギリス含む連合国に第二次大戦で負けたか本当に良く分かる。日本国民一般の精神年齢が、イギリスに比べ物凄く低い。知性の質からいうと日本国民一般って、差別抜きで知的障害に近いレベルで、愚民としかいいようがない。逆にけもフレ2を大人が見て喜んでる様な国民が、万が一、戦勝してしまったら全地球が馬鹿に指導される結果になっていたから、今の日本みたいな幼稚な差別や衆愚的同調圧力の悪意が蔓延したどうしようもない有様になっていた筈だ。イギリスが勝ったのは歴史的必然であり、また普段の国民の質の違いだ。
茂木健一郎氏はよく日本のアニメを最先端とかいって褒めちぎってるけど、本当にちゃんとみたのだろうか。私が今日、色々観た限り、はっきりいって大人がみるにはありえないくらい幼稚なのばっかで、愚民化の象徴だと思った。褒めるところは殆どない。ディズニーのアニメの方がまだ家族向けだろう。
オタクの人らは、これは差別抜きで、高確率で知的障害とか発達障害、学習障害などを持っていると思う。けもフレ2を批判してたオタクが、当人らにしか分からないニコニコ動画の文脈みたいなので作者を脅迫してたのは、彼らは元々、極度の適応障害だからだと思う。精神年齢的にありえないアニメだ。小学校低学年の子供がみるには調度いいかもしれないけど、それでも劇場版ドラえもんみたいなのに比べてけもフレ2とか『ご注文はうさぎですか?』とか、中身が物凄く幼稚で、大人からすると退屈でみるにたえないほどだ。そしてそういうのを大人がみて夢中になってるとしたら、知的障害の疑いがある。
これまで東浩紀氏や村上隆氏が、アニメを高文脈な日本の大衆芸術として褒めちぎってきた批評的態度は、私の目には本当に愚行にみえる。実際にけもフレ2(1話)をみて、あれを褒められるんだろうか。小学生がみて面白いというならまだわかるけど小学生でも褒めないんじゃないか。内容が極度にない。オタクが自分を資本主義市場の消費家畜として自虐する動物化の文脈で、恐らく『けものフレンズ』というアニメシリーズはオタクへの皮肉として作られてるんだろうが、その様なメタ認知的解釈をしながら観てる人は先ず皆無で、素で愚民として幼児退行をしてるのだろう。これ自体が理解しがたい。
ジブリのアニメは手作業の数を膨大にふやし、作画の情報量をあげることで、大人がみても退屈しづらい絵面にしている、と川上量生氏が著書でいってたけど、ジブリ以外の日本アニメは予算の関係か3DのCGとかで省力化されてるからそこまで細かく作りこまれておらず、内容の幼稚さもあって退屈する。
『ポプテピピック』はサブカルチャーのパロディを連発したり、作劇法の破格で、上述のアニメの絵面的情報量の不足を補っているけど、内容の方はナンセンスだから単なる暇つぶしにしかなっていない。
『英国王のスピーチ』は吃音症の公爵が移民の無免許医師と友情を築きながら、兄の退位に際し、徐々に名目的な王としての自分の地位にふさわしい精神的成長を遂げていく筋をもっている。頻繁に劇中劇として引用されるシェークスピア風の言い回しの妙とか、身分の差を越えた信頼や友愛、王族である兄弟間の葛藤、そして名目的な王に過ぎないイギリス国王の地位に必然に伴う矛盾や、その地位にも関わらず人間として不完全な王子の職務に対する誠実さとの摩擦が描かれる。
実写の映画とアニメーション映画を比べるのが間違っているともいえるけれど、日本映画でも実写で『海街diary』をみたけど、まあ内容が薄すぎるし庶民のどうでもいい様な、徳に欠けた日常とかみてても何の面白味も感じない。すぐ男女が寝る明け透けな性描写もうんざりする。つまりは日本映画って先ず筋を通して何かを語るというアリストテレス以来の劇の基本が分かってるのか怪しいくらいに崩されていて、日常主義(小説的ミニマリズム)の影響なのか知らないがどうでもいい俗人らの話で下品すぎると思う。アニメの方は幼稚だ。ジブリは少しは見るものがあるかもしれない。
外人でアニメ好きな人らもこんなの見てすごいといってるくらいだから、相当、幼稚な人間が褒めてる筈で、簡単に言うとオタクと同類だと思う。幾ら知能の多様性といっても、小学生にも呆れられる様な無内容に大人が夢中になってるのは幼児退行といえるから、普通に精神的に問題を抱えてるだけだと思う。
サブカルチャーを見てきた限り、永遠にハイカルチャーと混同されることはないと思った。よかれあしかれ、余りに精神年齢が違いすぎるのだから。
思い出したけど、『英国王のスピーチ』の中で、金をとって接客する人のたとえとして「ゲイシャ」って単語が吹き替えで出てきたけど、あれはオリエンタリズムだ。つまりは文化差別。売春に類した接客業者なんてイギリスにもいるわけで、わざわざゲイシャを使うのは不適切。恐らく第二次大戦頃の下敷き風にしてあるのかもしれないが、現代の映画として酷い。