2019年1月1日

愚民の啓蒙と日本国の理想

中国が労働者の解放と資本主義のくびきからの自由という当然の理想を掲げて建国されているのに比べ、戦後の日本国は憲法上において古代中国移民(弥生人)の末裔たる天皇家、皇室皇族の醜悪な自己愛妄想に基づく世襲独裁制と、名誉ある地位という卑俗な目的意識しかもっていない故に、万国に無比の偉大な国たることはできなかった。そこにあるのは日本国民全般の政治哲学的能力の不足である。
 日本国民一般が小沢一郎氏が当為として主張するような二大政党制を理解できないのは、単純に政党政治や議会制多数政治の意味を理解していないからだ。そこに何か深遠な意味があるわけではない。同じ事は政教一致の天皇制や、退位法を天皇の命令で違憲立法させるような天皇の超法規的地位への無批判に関しても言え、それゆえこの国民は何の思慮もなく容易に天皇制ファシズムに傾く。要するに衆愚なのだ。日本国民一般は近代国家以前の政治的理解度しか持ち合わせていない。そこに高遠な理想などない事はいうまでもない。
 アメリカ合衆国がイギリス植民地政策からの自己解放を自然権を述べた憲法で高々と掲げてから、やがて太平洋戦争で旧日本帝国を降伏させるまで、彼らの理想は各国に重い影響を与えてきた。連合国に属した中国や、日帝の旧植民地諸国にとっても例外ではない。いいかえれば、日本は薩長寡頭政による侵略主義や天皇主権の帝国主義を経て本国含む各国に民主主義の反面教師としての役割を与え、戦後は中国に対して援助しながら弱肉強食のアメリカ流新自由主義政策を模倣する事で全世界の労働者にとっての悪例となってきた。このどちらの場面についても、天皇家・皇室皇族や日本政府は地球世界の中で悪徳を示し、各国がそのわだちを踏まぬよう悪しき先鞭をつけるという見るも無残な成果しかあげていない。
 日本国民一般の哲学的能力は殆ど未開人未満なので、そもそも彼らには理想といったものは存在しないのかもしれない。単に同類に群れ、しかも野蛮人のよう同類を搾取したり無意味に攻撃したりしてその日暮らしをしているばかりか、絶対権力や宗教権力を握っている独裁者らに情けなく媚びへつらうばかりで、自国より強大な軍事力をもつ米軍に対しては自ら属国たることを志願するほど主権に関する理解がない。情緒的で幼稚な、しかも悪意ある陰湿な衆愚、それが日本人とやらの殆ど全てである。
 この国で一人の哲学者として政治哲学の領域でなすべきことは、先ず高邁な理想を掲げ、全民衆をその当為に注目させることである。9条に掲げられた交戦権を否定する平和主義や、不文律としての国連主義は、先の大戦やそれ以前の薩長土肥ら西軍の捏造した明治政府による国内外への侵略という重い罪への反省から端を発したと、良識の面から解釈されてきたはずだったのだが、安倍晋三という長州閥の亡霊はその生来のサイコパスさや基礎教養と常識の欠落によってこれらの戦後の理想を全く理解しておらず、寧ろ戦前、それどころか明治時代の薩長テロリストらの単なる寡頭制に先祖がえりしてしまっている。この様な三流の体制を選択しているのも日本国民一般が、政治的理解度がなく、政治史に対する反省もなく、良識や良心が欠落している、ただ単なる利己的で低民度な衆愚である証明でしかない。だがたとえ民衆が愚昧でも、知識人諸賢までそうあるべきでは当然ない。却って彼らに理解の及ばない遠大な理想、資本による搾取からの解放、中国共産党のもっているその当為からも学び取るべきときなのだ。勿論、なおかつ平和主義や国連主義という戦後の王道を踏まえつつも。
 現実的に、社民主義のもっている再配分的・調整的な福祉傾向が、ますます政界に重きを持つように、我々は新政府を作っていく必要がある。しかし民間委託の合理性を顧慮して、最大限に政府自身の福祉事業の持分を減らしながらだが。
 民主主義という新たな理念の前で、政教一致の天皇制は不可能だ。この旧態依然の制度は破棄され、皇室を民営化しなければならない。そして小沢一郎氏の当為としてきた二大政党がまっとうに日本政治に根付くよう、根気強く愚民を啓蒙し続けねばならない。