鈴木雄介ブログ
2014年1月15日
キリスト教神学
処女懐胎について。不義の子が自己犠牲を前提に、救世主を演じたのだろう。
復活について。集団幻想でないとすれば、有志の何者かがイエスを演じて弟子達を導こうとしたのだろう。
次の投稿
前の投稿
ホーム
モバイル バージョンを表示