鈴木雄介ブログ
2013年5月23日
善業の社会性
善い市民である事は、競争社会の勝者側に入る事より重い。明治維新をした人間よりその犠牲になる側を弔った者が真の模範である。首相や天皇は職業名に過ぎず、真の善人の印ではない。人間の真の社会性は善人になる事であり、善人である為に勝者や成功者になる必要はない。謙譲の美徳によって平和を維持した徳川慶喜は善人であった為、権力を握った末に侵略の第一歩を踏み出した伊藤博文より恨まれる事少なく、優れた人物だった。徳は善い業の集積値である。
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