2013年2月22日

理性

善を褒めず、悪を貶さない者は理性が何もないに等しい。
 この判定が過っている人々はそれが正しい人々より悪いのである。社会に程度や質があるのはこの為だろう。よい質の社会では、趣味すら高貴たらざるをえない。そして俗物性が少ない分だけ、悪い人々から忌み嫌われたり、無視されたり、貶されたりしている。代わりに彼らは善い人々と聖者に好かれ、そういった人々のたまり場を作る。

 人類界では万人とつきあう必要がないし事実上無理だから、国家と方言が分かれて行く訳はここにあるといえる。
 善い理性が哲学にとって目指されてきたのは、そういった人々が栄える為に理がある。優れた利他性の境涯では、社会はより好ましい状態であるから、幸福の一般表徴と結果は一致するだろう。より劣った社会でくらすのは実に辛い経験なので、そこで不幸感が生まれてくるのは自然である。理性が一般知能の謂いなら、善い程度の状態はより知能の優れた仲間をもつ事になる。