場所倫理は成功とされる行いがその文化史的に、或いは地政の詩的に異なる故生じている。それらの偏りは著し過ぎるので他の地域での法律は、ほぼ必ず違う解釈の元で営まれがちな傾向すら。もし場所倫理を否もうと、凡そ地域偏差の諸条件に違いが現れない限りこの違和は民俗上で広がりゆく。単に現代人の労働層が気にする各種経済指標は一端を担う丈だがこれへの感度でも甚大。つまり生態変異はヒトへも場所倫理を映す鏡で、特に道徳の質的差でこの事情は全く違っていく。
場所倫理を解らない侭どの地域適応をはたそうと限界がある筈。これらの違いは文化が担う命題差で、人類の集まりへ関わる間は否みきれない。