2010年4月22日

客観

僕が見た東京人は悪だった。ホームレスへ差し入れする夕方のニュース番組をつくっている局もあった。しかし、実際に僕が近くで観察してみれば、すべて虚偽でなんの後光もなかった。東京人はまわりに併せているだけだった。他になんの行動規則もない。

 わるものを意図してつくりあげ、各社総出で総攻撃する。堀江モンはいい例だ。東京人の習性は、江戸時代からすでにつくりこまれている風だった。ええじゃないかええじゃないか、とその愚民の集まりは口々に言っている。まるで日常がファシズムであるみたいに。

 関西人は、驚くことにそれより劣っていた。彼らは、僕の目には虫みたいに見えた。生まれつき知能に落ち度がある場合、まるでもうなにもかも遅いみたいだった。彼らは状況判断ができず、いつも慌てながらかねをとるため東京人を笑わせるか、無駄なライバル意識で悪気をみせ、しかもどちらも結果は予想できやしなかった。最悪の場合、京都人のように東京で阿婆擦れになった。それしか生まれつき才能がない。なにより見た目を気にし、朝鮮人と一番よく似ている。神戸人は大阪と京都の特徴をあわせもっており、とてもたちがよくなかった。彼ら関西人の王様は金を浪費しながら威張り、侵略や人殺しや偽善や責任転嫁、そして世襲と搾取の悪さばかりするのが特徴で、僕の目にはとんでもない最悪の俗物にしか見えない。しかし東京人は一応関東にはあるがこれまたどういうわけか祖先の大阪出の所為なのか、大阪級に馬鹿らしいので、まわりがほめればほめねばならない気になり貢いでいた。且つそれを衆愚一丸になって全国放映し、威張る。
 下らない日本。漫画の国。