鈴木雄介ブログ
2008年3月12日
歴史学
歴史学は時代ごとの凡庸な人間水準を実証する。これを文明体と呼ぶ。紀伝体は、天道是非の差延をどこまでも物語仕立てにする、文芸の域を抜けない。従って原作者自身の主観を免れず、千差万別の小説を乱立させる弊害を伴いがちだ。対して編年体はとかくあらゆる事跡の無体系な時間的羅列として、知識以前の無意味な資料でしかない場合も散見できる。
これらは全く演繹と帰納の混乱から起きる。偉人の指導と平凡の推移とにより、事跡の示す文化水準の方向如何をこそ、我々は歴史学の知識とし直すべきだろう。
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