名もなき人が青春を過ごした場所を通り抜ける時に、この世には限りある筈の様々な演者が羨ましくも思える。彼らは、何も持たない。彼らはまるで浮世に散る桜花の様に儚い。それでも彼らなりに、みずからの青春を美しく振る舞おうとした。この世には数え切れない青春群像が花を咲かせては散りゆくのであり、何の為に生まれ来ては消え去るのか仏の涙にも知れない。ただの哺乳類の肉体で、彼らは育てられた負債を背負って光に導かれ、再び聖餐に身を雪いては戻ってよかれあしかれ、君達は人間として齢を重ねる許り。預けられた託児所で泣き叫ぶ子には運命があり、若妻はそれを知らずに現し世に戯れる。然れどこの世は美しい。神懸けて祈ろう。この世はさても美しい筈だろうから。のこのこと生き延びる亀は兎の気持ちも知らず、蝶々は辺りを飛び交い、春の陽気に仕合わせを奏でる。つまりそういう事だろう。望みは薄い方がいい。かなしみの旋律は海風の侭に、沖縄を巡っては藻屑へと、つまりはそれを青春と呼ぶんなら、望みは薄い方がいい。誰もがみな、幸せになれるとは限らない。かなしみの旋律は風の間に間に浚ってしまった。誰もがみな、幸せになれるとは限らない。命は尽きせぬとして。