2008年1月1日

未来論

風土は人間を多様化し、文明展開に応じた進化差を斉す。自然運動が無限膨張に伴う多様系を法則とするならば、我々の精神でさえ文明度によって引き揚げられる。
 地球で最も都会的な民族は最も野生的な民族と同じ種の中に住まう。その結果、彼らの間には生物史が記録されて行く。化石にならないまま生き残る古代民族は隔離された安定環境に取り残されている事だろう。
 膨張的な白人種は他の人種を植民化する事で近代文明の及ぶ範囲を展げようとした。彼らの及んだ地域では近代以前の文明状態は大部分失われたし、彼らが生き残っていて従って非近代圏に利用圧力を加えていなければならない限り、今後とも崩壊する他ない。
 最も賢い人々はあらゆる文明段階を自ずから乗り超えて行くだろう。最も進化した民族からは機械生物の発展が観られる。地球代表的な文明市民にとっては大宇宙は身近である。彼らは地球にいながらにして勇敢にも宇宙探険をこなす事だろう。遠隔操作しうる半自律的な機械生物は我々の分身としてこの星を遠く旅立つ。
 孤立した我々自身に到達しうる文明度は外的刺激を折衝しなければ太陽系的に個別化せざるを得ないだろう。従って各銀河探査は我々の普遍的発展にも寄与するだろう。ユークリッドやニュートンのやり方が最も普遍的であると証明する方法はデカルト的人間理性内には発見され難い。
 感情の故に人間だとするならば、労働が大部分機械化へ代替された我々の近未来文明にとっては、近代科学の方法は単に手段として問答無用の絶対視的信仰対象から外れるだろう。我々の感情が機械を道具にするのであり、理性自体は我々から分離して充分な程に働き出す事だろう。道徳神学は感情批判へ還元されて行くだろう。その源泉が心理学にあるとして、自律人類は自らの精神の作用より頼りいのある生存指導役を持たないだろう。