鈴木雄介ブログ
2007年11月15日
文化論
日本人にとって稲作は学術展開の足枷となって来た。奴隷を用いず支配者数が極限られる二毛作では、民族を勤勉かつ和合的あるいは付和雷同的にこそすれ、哲学の道を志す独創性は排除されざるを得ない。
日本の非創造性は労働集約的な稲作の後遺症かもしれない。産業革命を興したUKでの奴隷の数や食糧事情を調べる事。国営が賄える限り高等遊民をいかに大量に保持してもし過ぎない。彼らが文明を率いる。
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