2007年7月13日

国民大学論

公論の場は高尚論を目的とする文面疑義の主体的提出に期待される。独裁制への退化を回避し、仮設的貴族制を回復する為には論述の名文化が要求される。そこには称号制度が利用されるべきで、単に言論を放置してはならない。つまり、少なくとも見識において上等な人々へは言論波及力を保障するような賞与を社会公認に設けるべきである。これは私設であったり利潤目的であったりせず、また単なるソフィスト的弁論術を貴ぶでもなく論述自体には具体的敵対象や勝敗はない、唯の公的批評の土俵があるのみ、普段の民間啓蒙度において優れた個人を表彰すべきだった。
 我々の国民大学において学外への学位の授与が一般的でない事は後進的と呼ばれる他ないだろう。就職予備校としての大学組織には資本企業として以外なんら教育的価値を持たない。