鈴木雄介ブログ
2006年1月20日
真理の内在性
人の至高性は人の精神でしか捉えられない。ならば我々にとって我々の思考は絶対崇高だが、我々以外にとって相対的であることが理解される。精神の独善。こうしていわゆる創造主たる神の人格化はどこまでも相対的であることに気づくだろう。その意味で唯一神信仰は全て論理的偽であり、盲信であると分る。
つまり精神だけが至高とか超自然とかの言語観念を操れる以上、神なるもの或いは真理は我々の精神の外部にはあり得ない。精神の独善により、信仰に足るべき偶像なるものは常に我々自身の理想的観念でしかないものだった。
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