この世で小さな性格的欠点がある様な人には、良く注意しているがいい。特にその欠点がまだ幼い頃から出ている時、何らかの生まれつきの傾向と、環境の中での習慣が或る向きに彼らを作りつつある。つまりこの欠点は拡大こそすれ、通常なくなりはしない。
晩年になるととり返せない人格の落ち度になる。
「完璧な人格などいない」「欠点が愛される個性だ」などと色々な言い訳をつけ、卑しい人がよく人の暗面を喜びがちなのは、それ自体、人としての欠点でもある。例えば私小説を喜んで書いたり読んだりする人々、週刊誌をすき好んで読む人々、匿名の社交媒体で下世話な話をする人々などがここに該当する。
裏を返せば人格が或る向きに優れていれば、この長所が何らかの外部要因で致命的に妨げられでもしない限り、通常、その人を偉大な人格に仕立て上げていく自然な造りを意味している。だからこの世では優れた人物だと見なしえなければ、その人が劣るが故に愛したりしてはいけない。欠点は憎むべきものだ。
私の見てきた限り、この星の或る時代で、実に優れた働きをする人物は、もう幼い頃からその兆候が現れている。単に周りの人々がその長所に気づかないでいる場合があるだけだ。
殊に美しい花を咲かせる蕾は最初から特別な所があり、凡庸な種ではない。人にもまた似た遺伝要因が甚だ強く関係している。
人生の中間時点、調度中年とか壮年とか呼ばれる頃の人々には、固有の性格が極めて強く現れている。それは調度盛りの花が最も甚だしく彼らの特徴を示す様なものだろう。やがて枯れてしまうものだとしても、その性格上の長所が、そのまま、彼らのなしえたこの世で最も優れた美質である。長所が達成なのだ。
幼い時にはまだ現れきっていない個性が、最早その人以外何物でもない姿を現す壮年期には、その人固有の特徴をはっきり示す様になる。また、この個性はそれまで彼らを形作った特定の生まれ育ちの結果で、ほかの誰かに取り替えられない。
だが晩年、人々はどれほど優れた長所があっても世代交代される。
人が自己形成するのは、結局、この固有の長所という美徳で世界史に貢献する為である。
ゆえ同調圧力その他の悪意やそれに伴う暴威で――例えば絶対主義を目指す称・天皇家が民衆を自らの奴隷とすべく、人類諸氏の帝王的長所を無残な形で弾圧し続けてきた様に――個性を抑圧される状態は、不健全で有害だ。
人は固有の性格を限界まで伸ばした時、その長所といえる面で世界史に何らかの功績をあげ、ついえていく。この成長と老衰の全過程が個性と呼ばれるもので、事実上、全個性が最大に発揮された時、我らの世界史は役者らの最適な配置により最も麗しい姿を現す。
長所故に美しく欠点故に憎むべき命の劇を。