佐賀から出てきた茂木健一郎が白虎隊も南京事件も彰義隊も回天神社も沖縄の洞穴も五稜郭も勤皇志士の手になり秋田で死んだ仙台藩使者だった親を探しに来たあの侍の兄弟*1も長崎でミサ中の教会も新潟戦も容保公の胸の竹筒も慶喜公の天下泰平の書*2も全て無視し偽善で和みとほざく最悪の西軍天皇侵略罪
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1) 野添憲治『秋田県人』1975(昭和50)年、新人物往来社、184-185頁。
2) 渋沢栄一『徳川慶喜公伝』四、第三十五章、逸事、1918年、竜門社、452頁。
パークスは(徳川慶喜)公に申して「貴国(日本)と交わりて以来、いまだかつてこのごとく歓を尽くしたることなし。これ日英親交の始まりなり」と言い、宴たけなわなる時、毛筆をとりて「四海之中皆兄弟」の七字を書したれば、公これを嘉(よみ)してなお一葉をと望みたまいければ、このたびは「天下泰平」と書きたりとぞ。(『川路聖謨之生涯)』)