最高公徳の持ち主を冷遇し、進んで濡れ衣や汚名を着せ、政治的地位を与えない衆愚集団は、それに劣るいづれかの者・集団の統治により悪政の結果をこうむるだろう。
性悪な衆愚の元では最悪の支配者がえりぬかれ、美化される。彼らは悪政を優れた政治だと評している。
――西郷隆盛・大久保利通・岩倉具視ら恐怖主義者が、単なる政権簒奪目的に平和外交・議会主義の徳川慶喜へぬれぎぬを着せ、水戸学の薫陶を受けた尊王の慶喜の主家・天皇と対立させた国討ちで彼を江戸徳川政体から追放してからというもの、伊藤博文や明治天皇ら事実上の侵略植民地・帝国主義をとる明治寡頭政治勢力が台頭し、こうして成った日帝政体は内外の戦乱続きで、のち元の木阿弥となるアジア・太平洋侵略史へと約76年間あまり転落しつづけていった。そしてこの間中、彼ら薩長藩閥の元勲らやその狂信者らは、彼らを帝政独裁のため利用してきた天皇家ともども、保護貿易政策のもと一国平和主義をとっていた徳川政府やその最後の将軍・慶喜へ、純然たる根っからの悪意から、想像を超えたあらんかぎりの汚名を着せ続けてきたのである。例えば慶喜が進んで天皇家へ禅譲したのが歴史的事実であるのに(渋沢栄一編『徳川慶喜公伝』四巻、逸事、父祖の遺訓遵守)、それを西軍支持者は臆病者と中傷する。逆にもし慶喜が幼帝を擁した薩長軍を天皇家や京都政体ごと攻め亡ぼしていたら、そうでなくとも西軍側は彼へ朝敵と冤罪してきているのだから、彼ら根っから悪意しかもっていない性悪な西軍支持者は、無罪であるばかりか、豪勇(慶喜の実家である水戸の徳川家の哲学に反する点でいえば蛮勇)を発揮した当該人物を益々の悪意から名誉毀損したのがみるまでもなく間違いない事なのである。ここにみられるのは、手段をえらばぬ非道な国討ちを倒幕観念論で正当化する西軍支持者という心の底からの極悪人たちに囲まれ、平和外交・議会主義の最高公徳の持ち主・慶喜が自身の国の哲学である水戸学と尊王の家訓に殉ずる善意で世襲の天皇家へ攘夷不能な征夷大将軍の職を禅譲したばかりに、西郷・大久保・岩倉や天皇家からぬれぎぬをきせられ、天皇一味から自らの家財を強盗され、中央政権からすら追放され、代わりに侵略・恐怖・植民地主義をとる最低公徳の持ち主らが中央政権を簒奪してからの国家凋落劇だったといえるだろう。この侵略国家として内外大乱続きの、あまたの罪なき民衆が犠牲になり不安定で想像を超えた悪政の期間――約76年の明治から昭和前期までの期間を、いまだに強権的な寡頭政治を自慢する西軍支持者は明治政体(日帝)は成功だったなどと嘯き、ごねている始末だ。そしてそういう悲惨な現実に目をつぶって、恐怖主義的国討ち・侵略ならびに徳川家への裏切り行動をとった自称元勲らの全生涯について山口・鹿児島・高知・佐賀・京都・広島などの西軍郷土史に於いて、悪意ある嘘で埋め尽くした小説により美化・英雄化したがる外道がいるからこそ、永久に、彼らの卑劣な暴力の被害者側である会津や奥羽越列藩同盟側、あるいは徳川方や北海道、沖縄はじめ、周辺諸国との間に埋められない世界史的人道の溝が深められてしまうのである。西軍支持者は天皇家ならびに西軍自身ともどもこの世の悪魔というべきで、彼らは人を傷つける事、人を裏切る事、善良な人々へぬれぎぬを着せ汚辱する事を何より喜びとしている。要するに西軍なるものとその支持者はひとりの例外もなく、単なる嗜虐快楽的な加害行為によって、被害者を痛めつける事を歴史的に心から愉しんでいるにすぎないのだ。彼ら西軍・西軍支持者は文明界に紛れ込んだ正真正銘の野蛮人、いな悪魔達であり、完全な悪意とその実現以外なにも行動動機・目的がなく全方位に害悪しかない純然たる極悪人暴徒に、我らの人間社会では寸分なりとも生存余地を残してはならないのだろう。
また戦後、安倍晋三が想像を超えた違憲・違法の僭主暴政をおこないつづけていた際、日本人右派と一般国民はともに、こぞって彼の悪事を限界までほめたたえ続けた。
これらの因果は確実に、日本国事という単位で降りかかってきた。薩長土肥京芸ら西軍や天皇家の片棒を担いでいた人々には原爆投下・空襲などでのこっ酷い敗北が植民地侵略への報復として確かにやってきたし、彼ら明治寡頭政治勢力が税金をむさぼるためだけに必死でかきあつめていた植民地も、沖縄と北海道をのぞき全て独立されてしまった。
安倍最悪政治の結果は、おそろしいばかりの国家凋落として――止まらない世界最悪級の少子化と確かに世界最悪の政府負債拡大のもとでの世界最悪級の低成長、続く大増税として――全国民がその身に受けている最中である。この世では因果から逃れられる者はない。
対して、徳政・仁政がおこなわれうるのは、高い公徳の持ち主がえりぬかれる政体に於いてだけである。――江戸時代末にもし徳川宗家の跡取りが二十歳で薨去したひ弱な家茂を除き複数いて、一橋家・宗家に養子にとられなかった慶喜が順調に水戸藩こと常陸国で政権を継ぐ或いは補佐していたならば、常陸では彼のもと義公以来の穏当な徳政仁政が相変わらずおこなわれていたことだろう。
衆愚または悪政がおこなわれている自治体では、構成員や支配者が一般に、徳政・仁政がおこなわれている自治体を悪意を持って中傷する。なぜなら彼ら自身の政体の欠点を自己弁護する為には、それと対極的にみえるいづれかの自治体をなんとか反例にしたてあげねばならないからだ。客観的事実とどれだけ違和していても、悪政を行う自治体ではこれが普通の振る舞いとなる。そして維持されている悪政を覆す一部の例外的行動者が、革命家と呼ばれる事になる。
こうして善政がおこなわれている自治体と、悪政がおこなわれている自治体とは政体を異にし、また、互いに異なる統治をおこなう。
ある公徳が質的に異なり、同列に比較したり段階化して捉えられない様なものな場合、やはり自治体同士は異なる単位に分かれたがるだろう。――自由圏と共産圏では通例、社会一般の政治的統制度・寛容さとして互いに折り合わない部分が在り、それらは自治体間の政体を少なからずまじりあわないものとすることだろう。