2021年9月16日

僕がこの1か月くらい心的衝撃を受けて、とある日本の若者に心から失望した話

先日、じゅんちゃん(以下略してJ)という人をユーチューブでみつけて、既に非公開にしたけども、感心した旨をこのブログで述べた。それというのも彼は自分が嘗てみた中で一番うまく安倍晋三氏の思考回路を解説していたからだ。

 はっきりいって安倍氏の言動は、僕には理解不能で、完全に邪知奸佞さによる権術主義的蛮行を重ねている理由が全く見通せなかった。なぜあそこまで悪事が好きなのか。違憲立法の連打から贈賄罪逃れまで。僕以外にも一般的な教育を受けた人達は理解できなかったのではないか。
 ところがJという人は安倍氏についてチューブ動画内でかなり詳しく語りえていて、なるほどと膝を打つ様な点があった。
 結局Jがいうには、安倍氏は肩書こそ法学部・政治学科卒だけれども、実態は中学生以下の知識しかなく、端的に馬鹿なのだという語り方をしていた。

 自分はまさかそこまでじゃないだろう、いくらなんでも少しは法律くらい分かってるはずだろう、という一般論の偏見をいくらか疑いつつも完全に否定するには至らなかったのに気づかされた。要するに我らは人の誠実性を少しより信じていたわけである。ところがこのJという人はそういう「一般常識」を抜きに、端的に安倍氏は信じがたいほどの馬鹿なのだ、肩書は見栄の為にエスカレーターでとれただけで実態は人の上に立たせては決してならない正真正銘の人でなしが大学制度をすりぬけ偶々社会に出てきてしまっているだけなのだ、という一点から最長期政権の実相を分析していて、それで我々がずっと謎だったパズルをすらすら解いていた。これにはわりと自分は感心した。

 だからJという人は少なくとも将来性のある賢人の卵なのではないか、と、私は善意で思い込んでしまった面がある。
 この思い込みは間違いだったのである。

 今度はJが烈公に言及し、「非常に問題があった」と発言した動画をみた。
 それでJが余りに俄かな知識、というか水戸藩史や水戸学や幕末史やその界隈の世界史だの、正確には歴史学という科学そのものへの甚だしい無知さ加減で語っているので、まさか取り違えだろうと思った。だって彼は、安倍氏や、その他の右派を非難している場面ではそういう修辞を使っているからだ。要するに知識不足の人々を「馬鹿」「人でなし」といって非難している。
 知識不足で過ちを犯すのは知識を与えれば直る筈だ、それが啓蒙であり教育であるという前提を、Jは当然持っている筈だ、とこれまた自分は一般常識に照らして信じていた。いわゆる罪を憎んで人を憎まず的な文脈で。
 しかし実際にユーチューブ返信欄で数回やりとりしてみたら、Jという人は凄まじく陰険で性悪な男なのだった。これには本当にたまげた。というか、この10年くらいでも1番か2番めくらいに精神的衝撃が走った。

 だって自分は、或る種の最後の希望として、このJという人物を未来を担う若者には少しは良識が残っている人物がいたのかもしれない、と僅かな希望を託す最後の頼みの綱くらいに思っていたのである。まじで。いわゆるノアみたいな役割をJに期待していた。ですが、それは完全に思い違いだった。Jはひろゆきじみた返信をしてきて、心から僕を失望させた。揚げ足取り的な言説に終始し、誠実に科学的知識を学ぶつもりが一切ないらしく、その後の言説をみていて結局Jとは単なるそこらにいる職業チューバーだったのである。で、煽り動画みたいなのをあげているにすぎず、実際には科学とか学問とか歴史上の事実とか、どうでもいいらしい言説感がはっきり感じられた。

 要するにJは右派を非難するとウケがいいらしいと学習し、視聴回数稼ぎの煽り動画を連発していて、そうであれば、科学的信憑性が低い、或いは単なる小説家の主観混じりの嘘の類を動画内で平気で文献として引用して、特定の過去の人物を陥れたり、ぬれぎぬを着せたりしても名誉毀損にあたらないと信じているらしかった。この意味で、司馬遼太郎と同じ大悪事を常識と思い込んでいるらしい。
 遼太郎は司馬遷にはるかに及ばないという筆名のとおり、偽史を連発していた通俗小説屋に違いない。だから実在の人物の過去の行動をさも史実かのごとく適当に嘘を混ぜて書きつけ、それを売りさばいて死者への名誉毀損で金儲けしていた男である。そのなかには『船中八策』とかいう実在しない書を捏造してやたらめったら美化された某反政府恐怖主義者も含まれる。恐ろしい事だ。犯罪者中の犯罪者を英雄化して嘘をばらまくなんて、遼太郎こそ地獄に生まれ直すにふさわしい男に違いない。というか間違いなく地獄に生まれ直している事だろう。池田信夫は正史と偽史の定義を見間違えているけれども(これ自体笑える間違いだが)、だから『大日本史』を正史の形式で書いた義公を壮大な偽史を書いた、と池田は彼のブログに残していた。現実には、遼太郎を偽史の作家というのである。正しい語彙で。だって遼太郎は小説家なんだから。義公みたいな考証学だの、あるいは反証主義的な実証学だのをした、いわゆる史家ではない。科学としての歴史は、ただ淡々と事実をそうでないものと見分けていく作業にすぎず、そこに善悪とか正否みたいな観念論は入ってこない筈なのである。本来、正史を書くにあたってもそうでなければならないわけで、義公もそうしていた。それは本文読むとすぐわかる。淡々と事実だけ文献資料に照らして書いてあるのだ。逆にいうと、だから、司馬遷は『史記』執筆にあたって「天道是か非か」といって思い悩むことになったわけだ。現実の史実は道徳的正義とはあまりにかけ離れた様子が多すぎたから。それで義公もその様に感じていた事は想像に難くなく、尊氏が建てたもとの偽王朝だった北朝に皇統が移ったというのを科学的事実として確認して、南朝の方が本来は皇位継承の資格あったよねえと「天道是か非か」問題に直面していたわけです。つまり、科学としての史学をする者は必ずや、善因善果・悪因悪果と違う過去の事実を色々とみてしまうので、とりあえず科学としての公平無私で中立的な史書は残すけど、やりきれない思いも別に抱えこむことになるわけだ。

 このやりきれない思いの方は歴史科学ではなくて「歴史哲学」といえるだろうが、これを日本史に関して初めて透徹した次元でやったのは後期水戸学派だったといえるでしょう。一応書くけど前期水戸学って義公界隈のことをいうので、歴史哲学というより今の言い方なら「歴史科学」だったと思いますね。単に史実を客観的に考証学で語っていた。

 Jは彼が恣意的に引用している関良基氏らと同様、そういう後期水戸学の「歴史哲学」を、薩長恐怖主義とひとまとめにしようと無理をしている。これは本気で無駄な抵抗にすぎない。だってまるで違うんだから。発想も目的も結果も。これは原田伊織氏にもいえるが、水戸藩と、薩摩藩、長州藩ってまるで歴史も、幕末の行動動機も、それ以後の展開も違うのではないでしょうか。それどころか成立すら違っている。水戸藩史、薩摩藩史、長州藩史って別個だし、水戸には水戸の哲学やその行動原理があった。
 最も代表的な水戸学の実践者って、義公に代表される前期も烈公に代表される後期も全てまとめて持ち上げたという意味では慶喜公だろうし、その実践過程で死んでしまった人たちは桜田烈士とか回天神社に入ってる人達とか新選組創始者の芹沢鴨とかだろうし、明治政府の宮内官僚になった例なら香川敬三もその一人なんだろう。で、日帝のなかでもその精神を発揮した実例って意味では飛虎将軍なんだろう。
 だからって彼らの哲学と行動って、要するに道徳性って、普通に薩摩こと鹿児島の人達や、長州こと山口の人達とまるで違うんじゃないですか。当たり前に。これも笑うほどの間違いと思う。とっても典型的な差として、百人斬り競争の軍人が薩長人で、飛虎将軍が水戸人だったのって、薩摩の思想、長州の思想、水戸の思想の違いをよく示してる歴史的事実ではないですか。薩摩は西郷隆盛のよう政権簒奪の為の権術主義を正当化しますし、長州も吉田松陰の影響で草莽崛起の無政府主義的ですし、薩長両者とも侵略主義を吉田の『幽囚録』や西郷の征韓論以来ずっと持っている。しかし水戸学に侵略主義とかそれに伴う恐怖主義の様な趣旨って全然なく、水戸学は烈公『弘道館記』にみられるよう神道だけでなく儒学を内に含んで国風化したものですから、仁政目的な上に尊王・愛民の哲学なわけで。Jにせよ関氏にせよ原田氏にせよ、少しも水戸学自体を理解してないとしか言いようがないと思うのだ。同じ様な感じの事は池田にもいえるけど。

 山口の人達だったら吉田松陰の考え方に道徳性があると信じている筈であって、吉田は水戸学に多少影響されたかもしれないが、倒幕論にいったり無政府侵略主義にいったり、明らかに質の違う思想に展開したわけだし、その後、三浦梧楼や伊藤博文といった人物が北海道・沖縄・朝鮮などへその実践をするわけですから、思想も歴史的展開も全然違うというべきでしょう。尊王論も水戸のは天皇家から濡れ衣されても我慢して至善堂で慶喜公恭順という純朴極まりないものでしたが、長州藩は少なくとも禁門の変で御所に発砲してから2度も皇軍と戦っていて、それ以前に殿様の藩庁を奇兵隊がのっとるということをしているわけで。水戸の天狗党は自分から主君である慶喜公と天皇に恭順して処刑に甘んじたわけですからね。天狗党は急進的ではあったが飽くまで尊王の大義のもと忠義だった、一方の奇兵隊は実力行使のゲリラ部隊として藩政を武力でのっとり最終的には戊辰戦で東北へ攻め込んでくるまで皇軍とも戦いを繰り返すほど反抗的だった、という意味で全然違うわけです。
 鹿児島の歴史だったら西郷隆盛が象徴的で、関東内乱をたくらんで戊午密勅を公卿に書かせてみたり、会津と組んで長州攻めてみたり、薩長同盟で裏で徳川へ手のひら返してみたり、小御所会議で岩倉と組んでクーデター時に(岩倉が倒幕密勅を天皇やら摂関家やらの主体的意思ぬきで捏造しつつ)江戸焼き討ちで慶喜公を挑発してみたり、これは薩長土肥の長土肥と同じだけど士族反乱をおこして西郷自刃までいってみたり、まるで違うわけでしょう。歴史も。行動原理も。薩摩は倒幕の謀略史を誇っているわけですよ。長州は紆余曲折しつつ最後に薩摩も討って明治政府の政権簒奪に至ったことを誇っている。
 水戸は慶喜公が天皇家へ禅譲した事について、結局は岩倉らの幼帝を擁した国討ちの内乱画策の前で徳川家として自らの支配していた江戸の町を守らねばならないし、あるいは連邦状態の封建的な旧体制に一度終止符を打つ必要もあったし、それどころか朝廷に決して弓を引くなという水戸家の尊王の家訓の前で幼帝近侍気取りの岩倉らと武力で戦うわけにもいかず、世界史の趨勢からいって慶喜公の最終禅譲判断は仕方はなかったとはいえ、藩として大きな犠牲を払い、複雑な感情を持っているという感じで、薩長と水戸って立場が全然違う。会津戦争についても諸生党は飽くまで守りにいって死んでいる。要するに水戸藩で起きた事は幕末史を一藩で集約しているといっていいでしょう。留学生云々も節公が行ってるわけで。薩長が攘夷戦争で負ける前から烈公も幕府に米国留学願い出るわ、豊田天功らの開国論もあったし水戸学派が国際情勢に通じていたのは明らかで、それどころか旧態依然な宗家の前で近代化改革をおしすすめていたのって普通に水戸の徳川家なんだから、水戸藩だの徳川家だのが近代化に遅れを取っていたみたいな西軍あげの遼太郎的な謬説は端から嘘である。当時の水戸藩の近代軍制が技術力不足で役立たずだったみたいなことを原田がブログに書いてましたが、じゃあなんで米軍に貰ったコルト銃をあっという間に鋳造でき、桜田門外の変で使用したのか。当時の日本全体の技術力が欧米に比べ、特に軍事製品で不足の点があったというならまだわかるが、水戸藩の技術力をほかの全ての藩と比べていってるのだろうか? ほかの全ての藩で反射炉から大砲つくったり、独自に洋式軍艦つくって、コルトを模造したりしてた藩って幕末前半でまだないのは確かでしょう。ほぼ同じか少し遅れたくらいに薩摩とか肥後とかが烈公の軍制改革をまねだす様な感じでしょう。その上で薩摩藩は対英戦争で負けている訳で、じゃあ薩摩の技術力が近代化技術をもっていた水戸藩に頼っていた幕府よりあったのか、という。なおさら、原田氏のいた京都にそんな技術とか国際的知見とか、少なくとも自国防衛の意欲だけでも孝明帝以外にあったのかという。いつまでも応仁の乱のつもりで、元寇のときから、いやよく考えると平安京ができるまえの白村江の戦い時点から、関西圏、対外武力で負け続けていたのに? 元寇時の九州と関東の武家が対外戦で何とか侵略犯退けられた唯一の例じゃないですか。何で京都人はずうーっと武力で弱かったのが事実なのにニンテンドーだかデンソーだか日本電産だか京大閥だかのつもりなのかはしりませんが、東日本にいつまでも上から目線で関東武家政権の技術力を馬鹿にしているのだろう。長安をまねて公家の世襲腐敗政権を受領として長らく形成していたにすぎないのに、何様なのだろうか。そんなお花畑の中華虚栄心に耽る不公徳加減だから鎌倉政権以後ずーっと政治的に信頼されてないのですよ。どうせ差別的に見下してくるだけ、贅沢三昧するため華夷秩序に無理やりあてはめ、国政どころか対外戦なんてなんにもしやしない口だけ足の引っ張り合い陰険イケズ京都中華政権から永遠に全国民を収奪してくるつもりだという実例がまたできてしまったではないか、京都市出身の原田氏だの京大卒の関氏の軽率さのせいで。当時の江戸幕府って全ての旗本の集まりだから全国大名の集まりですよ? そこに近代軍制なんて作る技術力も意欲もなかったから、唯一あった水戸藩に頼んだんでしょ? それが使い物にならないとか、じゃあ幕末前半当時の日本中に、対外戦で使い物になる技術がなかったことの証明でしかないであろう。しかし少なくとも使える洋式軍艦を複数つくって、第一次長州征伐でも普通に使って幕府軍側が勝利していたわけですから。だったら水戸藩の技術力がつかえたって事であって原田氏は悪意から嘘をついていることになるでしょう。水戸藩が起源のIHIを馬鹿にして、三菱財閥のあとがまでもなんでもいいですが、国産馬鹿にして米軍様のボーイングに頼ってたらいいじゃん、そんななら。米国が武器売らねーよっていってきたら自国どうやって防衛するつもりかしらんけど。近代科学のろくになかった時点でも、江戸時代の政府で防衛大臣頼まれた水戸藩主が唯一つくった実戦に使える正当防衛兵器。軍艦、大砲、銃と軍制など。自国技術、防衛力。自己犠牲をかえりみない自主防衛の武士階級の覚悟を、「使えない」「攘夷論はテロリズムだ」「問題があった」と馬鹿にするという最悪のお花畑左派きどり原田氏と関氏とJ氏とは、人類全体と日本人の技術史のために猛省すべきではないだろうか。欧米列強がインド植民地化後、アメリカ大陸植民地化後、中国植民地化後、現地で当時なにしてたか、どんだけの残虐な差別と暴政してたか、水戸学派って情報通で知ってたんですよ? 原田氏・関氏・J氏って、あした宇宙人が人類絶滅に地球へ攻め込んできたら米軍様ー助けてーとでもいってるのだろうか? 原田氏と関氏とJ氏って。自分では、日本では自主的に何の防衛行動も必要ないと思っているのだろうか? 水戸藩士は自衛官・武官なので、いまでいう。自分達で自国を守ろうとした。自己犠牲をかえりみず。それだけの話。なんでそれが悪みたいにぬれぎぬされているのだろう。原田氏・関氏・J氏って正真正銘の馬鹿なのか。宇宙人侵略があって、ぼろかすに人類が抹殺されてるとき、あれは貿易目的だから手を組もうとかいってるんだろ。そうやってて手のひら返されイギリスに侵略征服されたのがおとなりの清だったのに? 例えば現実の防衛戦争のとき日立に頼ってこようとしても、原田氏・関氏・J氏ってもう無駄じゃないですか? 自分達で兵站整えて自分達で京都と奈良と長野という故郷を守って頂きたい。だって散々、他人の自治体を馬鹿にした様な事いってんだもん。京都の人でしょ? 長野の人でしょ? 奈良の人でしょ? 攘夷論は悪だー。只の外国人差別だー。テロリズムだー。どれも勘違いだが、だって義公も烈公も慶喜公も普通に明について教えてくれた朱舜水だの、コルトM1851もらったペリーだの、平和外交をしたがっていた英仏公使らまともな外国人と仲良くしていたからで、単に外国の悪意ある力が植民地化してくるのを政府の一首脳陣として防ごうとしていたにすぎないわけです。会沢安が民族主義の要素をふくむ神道を当時として必要な、国民意識醸成のために会盟策こと尊王攘夷の援用に重ねたにすぎない。そんなの全体主義だから、今後、外敵が侵略にくる可能性なんて放逐してしまえ。成程、お花畑でしょうね。欧米に植民地化されなかった国は極東で日本と、緩衝地帯で偶々助かったタイだけだってのに。要は水戸学派の啓蒙が列島統一政体を形成させ、自国防衛意識と同じ国民意識を覚醒させたからぎりで助かったのに。実際遊説にいったんだから、全国すみずみまで関鉄之介らが。そんなの要らないって? それでいいならどうぞどうぞ。京都と長野と。奈良と。寺と大仏とマリオが守ってくれはるでしょ、ハッていうスタンスと皇族姦淫物語で、他人が勝手になにもかも大変な防衛戦やってくれて自国が守られるんでしょ、あなたらの脳内では。あと長野の教育県とやらが守ってくれはるでしょきっと。どうぞどうぞ。全国守ってくだされ、自己犠牲で。水戸藩みたいに。長野県が。京都府が。奈良県が。あるいは原田氏やら池田氏やらがひっこしてきてる東京都が。できるもんなら。えっ、やらないの? 自分だけ? それで薩長に頼って政権簒奪テロでも永久にされてたらいいんでは。天皇家に頼って原爆投下。陛下万歳ですの? 実力ないのに? 関氏の本のアマゾンレビューに書いてあったが、祖国防衛の為に自己犠牲をはかった水戸の侍たちは、「人命軽視」らしいので。は? あなたがた日本国民とやら、日本人民とやらを守る為に、身を粉にした武士達が? 人命軽視? じゃあ軍人・武官が祖国の危機に際しても臆病なままでいいってことになり、原田の京都だの、関の長野だの、Jの奈良だのではそう教育したらいいでしょうよ。実際そうだったじゃん。何かしましたか。あの列強の魔の手が日本全体に迫る幕末情勢下で、彼らの先祖のふるさとの大名が。侍が。祖国防衛のために。欧米人による異民族・異人種差別からの人道救済のために。貿易したい? そんなの江戸幕府もしてましたよ。保護貿易の方が不平等条約下での不当取引より自国に有利だからそうしてただけで。別に貿易するななんて誰もいってないよ。
 しかしそんな次元の稚拙な大阪人小説屋・遼太郎的嘘、というか純然たる意地悪と近畿中華思想的な傲慢じみた典型的無知からの、水戸藩さげを平気でうのみにして、善悪二元論に無理やり薩長ら西軍を善、旧徳川の東軍は悪、みたいな構図にしたてて、西軍は何もかも正しく強かった、東軍は何もかも間違いで弱かった、というヒロイズム米国風ハリウッド映画的な話にしたてあげたがるのが、遼太郎以来の明治政府流儀なわけですね。
 天皇家を中心にし、正史という形式を借りて、皇国史観を語っていた義公以来の水戸学の場合は、皇室が武家よりまず例外なくいつも弱いという史実を前にして、それだからして身を挺して帝を守った武家が偉いんだという教え方をしていたわけです。楠木正成を代表格として。が。その皇国史観からいったらまさに水戸藩が日本史上も最も忠義な歴史を示したわけだから、その文脈で、保守主義者の人達が水戸藩を貶めようとするとしたら、これは自分で自分の首を絞める事になるのは間違いない。笑い。そして実際そうなっている場面が凄く多い。要するに水戸藩は幕末に改革と保守の両面を二大政党の間で同時にもっている史実だからである。薩長あげ徳川さげという単純二元論のハリウッド的構図に還元は絶対できない。だから筋という意味でいうと、Jは神道批判とか天皇家批判とか彼の地元である奈良県史・大和国史批判とかに当然進めねばならない事になるがそれはやらないのである、彼は。保守の本丸が水戸藩? 違うんじゃないですか。天皇家じゃん。それ。江戸時代の水戸藩って当時の進歩主義者方でしょう。だから幕藩体制は仮の政体で、実際の国体は天皇にあるんだと、会沢安にいわれるまでもなく義公も烈公も慶喜公も思っていたわけです。なおかつ、徳川政府も立てていたわけです。それよりさらに極左勢力として薩長両藩が武力討幕路線にいったから、薩摩の方は明らかに関東内乱をたくらんで京都へ出兵もせず桜田烈士を裏切っていた場面もあったが、長州とは成破の盟約で、幕末前半は幕政改革でいくらか近い歩調をとっていた様に見えた水戸藩と、薩長両藩は幕末後半でかなり決定的に食い違いが生じた。水戸藩は慶喜公が自分で畳むまでずっと幕府側だったんであって、幕政改革が必要だとは思っていたけど、いわゆる倒幕とか、私の見てきた限りだれも考えてないですからね。そこで岩倉・西郷・大久保が政権簒奪ねらって小御所会議クーデターを、大政奉還で将軍職わたして徳川宗家にもどった慶喜公排除でおこしたもんで、もとの江戸幕府こと徳川政権が瓦解する方にもっていかれてしまった。じゃあ最初から徳川政権を絶対化しとけばよかったかって? J氏とか関氏とか原田氏とかそういう風には言えないんじゃないですか? だから彼ら、幕府側でもなければ薩長側でもない様な地域の後世の人達のうちの一部の、根っから性悪な感じの連中ってのは、とにかく赤の他人を叩ければいいという発想で、徳川も叩けば薩長も叩くと全方位に敵しか作らない。薩長憎しで江戸幕府は凄かったんだー、その裏、自分の郷里の松平忠固は徳川の親族なのに徳川家より偉かったんだーとか主家筋にあたる徳川憎しまで謎の上げ方でいわんとして(武士道に反するのはいうまでもない)、凡そ何も知らないのだろうJをそそのかしているということになる。
 薩長の人達は途中で方針転換しながら反政府テロ活動に終始したのは確かだ。が、水戸藩の人達ってのは江戸幕府が平和にだれきってるから自分達が代わりに全国防衛体制を構築し、自己犠牲を払って全国民を皇室ともども守らなきゃと身を張って頑張った人達であって、絶対政治状態だった幕府からころされてんです。天狗党って。芹沢がつくった新選組もそうだけど。討幕のための反政府テロ活動なんてしていないわけです。だって政府側の改革勢力なんだもん。桜田門外・坂下門外の変にせよ、その他の外国人襲撃にせよ。日本人をしいたげるとか政権簒奪目的ではなく、単純に欧米列強の植民地化から国と皇統と国民を守りたかったわけです。要するにです。水戸藩は武官代表みたいな感じ。当時の江戸の旗本って、将軍家も含め、250年の太平を経て大奥で遊んでた文官代表みたいな感じじゃないか。実際そうだったと思います。水戸藩は天下の副将軍と思っていて。逆に江戸の軽薄な風俗に馴染んでて頭脳にも問題があったらしい将軍・家定が弱腰で防衛戦なんてできないなら親族として代わりにおつむがまともなこっちが代わりに江戸を守らなきゃならないって事態だったし、実際烈公も慶喜公もそうしたし、事実として江戸という当時も世界最大の都市を、薩長の侵略時にも、天皇家への無血開城という形で守ったんだから。薩長の人達はそういう中央武官勢力と関が原以来の縁で組みながら、途中で手のひら返し徳川排除のクーデターやった別の西日本の端っこの地方勢力でしょ? まったく違う勢力だ。テロとの戦いとかいう小泉と父ブッシュの反イスラム的な色づけにのっかって、今更一緒にするのがおかしい。実際のケインズ軍産テロ侵略戦を日中の金いれた米国債でやってんのは米軍だっていう基本的なつっこみすら生ぬるい。その米軍産に頼って祖国防衛ですか。はあ~。永遠に中部地方、関西地方で、外国製の武器すら買っとけば、外敵に攻められないと思ってるんだ。自国の軍事技術は要らないんだ。実際のおそろしい防衛戦に打ち勝つ、勇気と県民府民の自主独立・祖国愛の対抗的精神性もいらないんだ。どうぞどうぞ。それならそれで。どうぞ。原田氏の京都、関氏の長野、J氏の奈良。そんな感じでどうぞ。いいんじゃない。それで行けるなら。だって防衛戦ってテロなんでしょ? 周りの朝鮮以外の全ての国が現に奴隷化されているさなかでも。天皇も政府も民衆もどうでもよくて、要するに日本の政治秩序とかどうでもよくて、薩長同然勝てば官軍なだけで、しかも武力も武備も祖国愛の意識もなくても国が守られると。天皇家なんぞ当時の覇府次第でどうとでも蹂躙してほろぼせばよいと。外国人だか異星人だかは常に貿易しにくる善人だけなんでしょう? それがあなたがたのいう水戸学の全否定ですもんね。日本人なんて意識は必要ないと。東国は東国、西国は西国、薩長がイギリス領、沖縄がアメリカ領、北海道がロシア領になろうとほっとけばよかったんだと。はあ~。そうどすかあ。水戸学全否定で天皇家なんざ井伊直弼のいうこと脅してきかせて、攘夷攘夷と煩いならとにかく廃帝で亡ぼせばいいっていうザ反天論の趣旨を、天皇家を移民してきて散々もちあげて国中荒らし回ってきた奈良人だの京都人の末裔がいうとは、これは歴史的無責任のそしりを免れないでしょうが、笑えてくる。じゃあ今まで散々中華思想で東夷だの蝦夷だのエゾだの熊襲だの隼人だの土蜘蛛だの国栖だのなんだのと全日本人を差別しまくっていた奈良や京都の人達って、その主体である天皇家をなんで持ち上げてたの? 東西統一政体を国体として構想した水戸学派の会沢らを馬鹿にしてるとしか思えないし、実際馬鹿にしてるのに違いない。近代日本は全否定ですと。はあ~そうどすかあ。じゃあいいんじゃない、日本解体で。ほっときゃいいなら中国に九州とか四国とか、たぶん関西も余裕で割譲されるだろうけどさ、どうぞどうぞ。ロシアも平気で北海道とるだろうけど、それもほっときゃいいんですね。日本政府がいらないってことは。沖縄も米軍基地作り放題でいいってことですね? 関西で橋下徹大統領が誕生しても放置ですね。はいわかりました。長野人の関氏はそれでも田中康夫信濃国首相でももちあげてたらいいんですよ。まじで橋下大統領の関西共和国になったら、長野がどうするか知らんけど。どうでもいいんでしょ? 日本国体とやらは、全体主義だかららしい。笑えてくる。九州は習近平の持ち物になって朝鮮に山口も攻め込まれて割譲されるだろうけどさ。いいんでしょ? 実際そうなっても放置で。はあ~そうどすかあ。水戸藩は余計な心配をしすぎたもんだ。だってそこまで外が性悪暴徒系の衆愚なる根っから邪悪自治体だらけだと思ってなかったんだよ。水戸学派は。水戸藩の公民度が当時も藩外より高すぎただけだね。勝手に欧米列強から、列島のあちこち植民地化させときゃよかったなんてね。特に西日本とか関西あたりとか、長野あたり、そうなんだろ? 自力で守れたのか、守るつもりすらなかったのかしらんけど、あんたら関西中部人にとって自国民を守ろうとした侍はテロリストだってんだからさ。わざわざ徳川政府から実力で守ってやる必要もなかったってわけだ。薩長なんて薩英・馬関の攘夷戦争で負けても借金狂いで財政破綻してたから、賠償金は嫌がらせ兼ねて徳川家に払ってねって言ってきてたんだもん。水戸藩に財政破綻してたなんて記録ないですけど。徳川家が肩代わりしてやらず、知らん顔で放置したら、鹿児島も山口も英領だかスペイン・オランダ・アメリカ領だかになってましたよね? 今後はそうします。本気でそうしますよ。だって原田氏も関氏もJ氏もそういってんだもんね? 水戸学は尊王カルトだと関西人であらしゃるじゅん一味がほざいてるんだから、京都がふるさとのくせに散々世話になってきた原発立地自治体へ、原発公害も汚染水も汚染物質すらおしつけて現地の絶対反対無視して東京だの京都だのから電気と金だけむさぼるつもりな人でなし経済学徒・池田もいまさら守ってやるべきではないよね? 義公・烈公は確かに毎正月に御所の方を拝んでいたけども、それって天皇家を奉っていたにすぎず、今の京都人って別に天皇でもないんだもん。関係ない他人だろ。あなたがた関西・中部の、水戸学を貶すネットチューバー代表論客だかなんだかは、県外・藩外なんてどうでもいいんだから守ってやるな、と。水戸藩だの江戸幕府になんて外敵から民衆が守られなくていいんだと。天皇家も尊重しなくていいんだ、と。そうじゃん。祖国民を外敵から守って天皇家も大事にして善政しましょうねの話だもん、それだけの話だよ水戸学って。水戸学の唱えた国体こと列島統一の中央政府なんていらないんだと。天皇はカルト邪教祖だから政界排除しちゃえばよく、その後は各地の各政府が勝手に行動してればよく、他県はばらばらになって潰れていっても放置でいいと。はあ~そうどすかあ。
 んじゃ今後はそうするね。茨城県は茨城の事だけよくすると。それでいいんでしょう? 仮にどんだけ京都、長野。奈良が困っても。荒廃で。被侵略で。混迷で困っても。弱っても。助けなくていいと。はあ~そうどすかあ。じゃあそうしましょうよ。まじだぞ、これは。あなた方がそうしてほしがってんだから。だって明らかに植民地化ねらってる外敵から、具体的に命という自己犠牲はらって助けて救ってあげようとしたら、テロリスト! とかいって貶めてきてるんだぞ。現に。いや~山奥は呑気でいいどすなあ。どいなかの京都と奈良と長野地方は。じゃあそうやっていつまでも自力で自県自府を守ってほしい。或いは守らんでもいいんだろうけど。武器を自力で作ったら無能扱いなんだから。以前から水戸藩だの茨城県だのよりずっと貧乏だろうけどね、人口も茨城より少ないから奈良も京都も、長野も。現に。じゃあ自力で他人から買ったらいいんじゃないですか。徳川だか関東政府に頼らず。防衛兵器だかなんだかを。侵略主義の薩長と専守防衛の水戸を取り違える位なんだから、なんのための武器かなんて自覚してないんだろうけど。笑い。

 そそのかされているJもJ。普通に上の様な構図って幕末史を一通り学んでたら分かってる話。歴史って過去の事実であってすでに固定して動かない。だったら、その全体像を詳細までよく客観的に分析できているかどうかってすぐわかる話。それにあれこれ後づけで善悪の判定を付け加えてみたところで、過去自体は動かないのだ。だから僕は一連の関氏とJ氏のやりとりをみてて、こいつらほんと歴史小説家どもはろくでもねえなという感想を益々深めるに至った。武士道なるものをわずかなりとも理解できてたら、主君がぬれぎぬで辱められてて黙っていなかった忠義な侍を「テロリスト」扱いするほどの馬鹿さ加減を発揮できたものだろうか? 天皇家も徳川家もそりゃーテロリストかもしれない、そういう武力行使はなんでもテロ言動でいったら。何が神武東征だよ、渡来人のテロじゃねーかといったらおしまいである。ヤマトを大和じゃなくて大戦と書き換えろ、といわれてしまうではないか? そしてぐうの音も出ないのではないか。それとも奈良県の政治だけは正義で、ほかの都道府県の政事だけは不正なのか。大体そんな俄かな自己中史観で以て、史学の文化をもってる地域を陥れようとするとか、頭の悪さに驚く。
 前期水戸学って比較文化論的な構図で以て展開されていた歴史学の体系なのである。池田はそれをなぜかブログで自民族中心主義といっていたけども、これも笑えるほどの間違いだ。だって『史記』に範をとって、中国史と日本史の違いという観点から執筆されてんのが『大日本史』なのだと序文に書いてあるのだ。それすら読まずに、偽史といっている、正史の形式をとっているものの正反対の類型にある小説とか稗史とかを指すのが偽史って言葉だという漢語の意味すら知らないらしい。それでよくも歴史を語るつもりになったもんだ。驚く。孔子曰く、国を立て直すに、必ずや名を正さん、からやり直さなければならないほど東京だか関西だかの論客社会の知性が低下している証拠だろう。話にならんレベルでしかない。

 知的水準の没落が日本の没落の一証なら、Jさんとか安倍を責められないんじゃないか。ご自分が三文本を種に下らない歴史小説をまき散らしてるんだから。嘘だらけの。主観だらけの。
 結局こういう意味で、僕はJを余りに取り違えていたのだ。僕はむかしっから人物を緻密に観察する面があるので、そんなミスはあまりやらない。だから人を見間違えるという事はすごくショックでした。というかやった試しがないほどだから、自分の失敗にすごく傷つき、いまだにそれで心の傷が癒えていないんだから。1か月くらいたつかもしれないけど。しかし間違えたのはまちがえたんだからすぐに修正する。過ちて改めるにはばかることなかれ、君子豹変す、で。Jさんは僕が最初おもった様な未来の日本を担う若者とかではなかったのだ。端的にJチューブで政治家の悪口流してウケ狙ってる典型的いまどきチューバーだったのである。