日本人一般は自分達が多数派だということをいつでも不当な暴力を振るい得る前提条件たる権力の裏づけに、内向的な性格の人々を公然と差別し、虐待してきた。かれらは内向的な人々へ一方的に「引きこもり」(のちそれに加えて「陰キャ」。陰気な人格・キャラクターの略か)と汚名を着せ、拷問を禁じる憲法に違反しながら、事実上の集団虐殺や自殺教唆においつめていた。
だが新型コロナウィルスなる疫病の蔓延でかれら日本人一般自身が同じ状況においつめられると、「巣ごもり」なる新語で自分たちの「引きこもり」生活をここぞとばかり美化しだした。
そのときかれらは自分たちが集団全体ぐるみで犯してきた大量虐殺や、社会的差別による拷問、その他ひきこもりなる汚名きせに関連した人道への数えきれない重罪の山については何一つ言及することもなかった。知らぬ存ぜぬを決め込んでいるどころではない。かれらはそれらの明らかに自己矛盾している日常的罪業を意識すらしていないし、当然まったく反省などしないまま、いまもぬけぬけと平気な顔をして傲岸不遜にくらしているのである。
これが日本人一般の常態で、戦時中、みずから戦争を散々あおっていたのにいざ負けると全てを天皇ともども、不当に濡れ衣を着せたかれらの公僕たる軍人のせいにしだした時から、何一つ本性が変わっていない。マッカーサーが「日本人(一般の精神年齢)は12歳の様なもの」といったが、むしろその年齢で通常、諸外国人に期待できる反省力など、この国民一般は一切もちあわせていない、というべきだ。自称普通の日本人なるものは、自分がこの体で同時代的に実体験したかぎり、根源的に偽善的、欺瞞的で、自他をつねに詐欺している純粋な悪意のみの犯罪的集団であり、かれらになにも良識など期待できないといってまず間違いないほどだ。これが世界史に於ける極東での、常住不変にしてまぎれない真実である。東電筆頭株主であり続けている東京都庁ぐるみで起こした原発事故後も、安倍晋三もと首相ともども東京人一般で嘘ばかりつき、福島では毎日事故が起き続けてきているにもかかわらず、東京都庁と都内にある日本政府では賄賂五輪を推進しながら、自分達の下水状態の東京湾だけ無理に洗浄し、綺麗だった福島の海にはかれらの量産し続けてきている汚染水を垂れ流す決定を常磐人の反対を無視しておこなった事実を後世は確認するがいい。
なにも最後の将軍・徳川慶喜だけがかれら日本人一般から濡れ衣を着せられたままなわけではない。およそ善意のある人とみれば、日本人一般があまりに悪性者であるから、異物あつかいでいじめ殺してしまうのだ。逆に自称天皇がいかに悪業三昧していても、具体的に単なる侵略の悪意による大量虐殺を国内外で幾たびおこなってきているのが動かしがたい事実でも、かれらの世襲独裁を徹底的に尊崇するなど、少しでも倫理的感覚、ひとのひとたる良心をもちあわせていたらまるで考えられないだけ性根の曲がった集団というほかない。
私のみるところ、今後なにがおきてもかれら日本人なるものの行状は変わらないだろう。それがとある国民一般の日常すべての場面で観察できる、まぎれない本性というものだからだ。いうまでもないが、事実を科学的に検証するため私はこれを反証する事実を探してきた。
勿論、少数ながら、そういった邪悪きわまりない集団にも例外がいる。だがそういう例外者は、日本人集団の中ではおよそ、ことごとく汚名を着せられている。たとえば教師に暴力を振るわれた上に、そのことについて嘘をつかれたため、自身のおいつめられた被害状況と似た様な環境にあって自殺を考えている不登校児を励ます活動をはじめたゆたぼんの様な人物が、毎日のよう心根が腐っている日本人一般から集団いじめにあっているのを我々はいつでもどこでも目撃する。この鬼ヶ島ではほとんどの人々がそういった全体主義的悪意(かれらはそれを「集団の和」とか「大和魂」とか「空気を読め」などといって美化している)の持ち主なので、それらの卑怯極まりないいじめを進んで止めようとする人は逆に、日本人一般からありとあらゆる犯罪被害にあう。私自身、公共の義務から、犯罪被害にあっているゆたぼん父子を法律の観点からかばう発言をしただけで、日本語ツイッター上でどうみても悪意のある匿名集団にしつこくつきまとわれ、ありとあらゆる名誉毀損やさまざまな犯罪被害を現実に受けてきたのだ――元来が家庭教師つきまたは徒弟制の貴族教育の廉価版にすぎない集団教育に関する諸外国の歴史的・現代的状況をみるまでもなく、文科省見解でも学校に行きたがらない保護児童を無理に学校に行かせようとせず、家庭などで教育することは合法的かつ合理的である。
同じことは自分のみてきたかぎり対日本人では2chでもアメーバ・ピグ(嘗てがサイバーエージェント運営していた日本独自のSNSサービス)でも現実でもあった。私が家系図は最低でも江戸時代から持っている一日本人として0歳から37年間そのなかでつぶさにみてきたとおり、昭和最後期から令和期間の日本人一般は、いつでもどこでも、正義を憎んで冤罪や暴力といった悪徳の数々を心から愛し、匿名や集団で群れ卑怯きわまりない犯罪を平気でおこなってきているものだ。それは子供から大人まで日本国民一般に、老若男女その他の属性問わずである。
思うに武士という階級の一部の人々、具体的には徳川時代中期頃から特に親藩で上位の侍などが儒学・仏教・国学、或いはそれらを批判的に総合した水戸学などを修め、のち新渡戸稲造が『武士道』で体系化したよう「卑怯を憎む」「弱い者いじめを蔑む」といった公的正義を帯びるべき国民道徳(人倫)の代表者として民衆から仰がれる様になったとは、最初からその様な徳義に厚い精神の貴族階級が、逆に根っから卑屈な日本人全体では超少数派で、至極めずらかったからなのではないか。さもなければやはり貴族とされる対象であっても、皇族ふくめ公卿・公家と呼ばれていた階級の人々は、長い間、受領政治に耽っていたとおり正義の代理人たる地位を嘱望されることは遂になかった、それゆえ、日本史上ほぼすべての期間、政治的実権を持っていなかったのにも説明がつかないであろう。江戸時代当時も今も、町人や農工商業者としての一般国民は、大して正義感が強くもなければ、寧ろその様な振る舞いについて期待すら持たれておらず、いつでも正義の正反対でもありえ、ときに利己的で禽獣じみた言動をする卑怯極まりない連中だらけだったのではないか。そしてそれゆえ、ときには自己犠牲を顧みない立派な武士なるものから、やむをえず一段低く見られるだけのことはあり、損得勘定でこせこせと裏切り易く、志操堅固なひととしては根本的に頼りがたい存在だったのではないか。なお、幕末騒乱をみればわかるとおり、いわゆる外様の侍はたとえ大名級の上位の人々でも政権簒奪を狙う権術主義的で手段をえらばぬ恐怖政治に耽り、決して正義の為に自分を捨てて行動するほど道徳を重んじていなかったのは当時からも今からも、だれもに明らかなことである。
2ch、ヤフーコメント、ガールズちゃんねる、そしてツイッターなどが代表的だが、なぜ日本人一般が日常的に匿名で犯罪、具体的には殺害事件を起こしたり、無制限な嫌がらせをみずからよろこんで集団でおこなうのを好むのか?
我々人類は今までそんな国民性を韓国以外で特にみたことがない。だとすれば、その様な悪意ある集団的暴力だらけの習癖(たとえば撲殺跡のある死体埋葬の証拠)を弥生時代以来もちこんできたことが考古学上わかっている弥生人――中国から西日本・朝鮮半島一帯への侵入で広がったハプログループO1b2に属する遺伝集団で、今の日本人らの大半がほどあれ遺伝的ルーツの一端として帯びている遺伝的形質――と、今の朝鮮半島の人々は遺伝的・文化的に同根でもあるかぎり、両国民一般に及ぶ異様な匿名犯罪癖は、これらの集団が今も変わらず持っている卑劣な暴力傾向の伝統的な一宿痾と解釈するのが穏当なのではないか。たとえばドイツ、イタリアや日本では(天皇制を含む)ファシズムやナチズムが生じたが、イギリス、フランスやアメリカではこの様な思想が支配的にならなかった。もしそれらの国々が置かれていた産業条件という単なる唯物史観だけに全原因を還元できないとすれば、この違いはなんらかの国民性、あるいは文化的要因に帰せるのではないか。実際、日韓以外の国では必ずしも犯罪者または悪人一般が全体結束主義的に匿名を好んで使うわけでもないし、いわゆる個人主義で解釈できるよう進んでいじめを止めに入る人もいて、そういった勇気ある義行をする人々が必ずしもナチ的な報復を自集団からうけるともかぎらないとおり、全ての国々の全ての人々が、日本などとちがっておよそ一様に匿名での集団いじめを好んだり利己的または集団的な臆病さから同調・黙認したがる国民集団だともいいがたい。
いいかえれば、もともとその様な匿名犯罪の文化がなかった世界に、日本語圏あるいは韓国語圏のインターネットという形で日韓一部の悪性者が以前からやっていた日常風景が表面化・全面化してしまい、もはやだれにも収拾がつかないほど両国のおよそ全員がまねしあう史上最悪級の生存状況がうまれたのではないか。日韓両国でいかに多くの人々がネット上での匿名殺害予告、自殺教唆や誹謗中傷その他の犯罪をされ、しばしば集団虐殺までされてきたことだろう!
京都方言で「イケズ」とは意地悪のことだが、平安期に渡来人が入植して作られた事実がある所で、この言葉がその外では通じ難い特別な語彙として使われているのは、性悪さが京都人集団では一種の根深い文化的な癖なことを示しているのではないか。そしてこの「イケズ」を拡大すれば、さも国民一般が帯びる結果になっているのが、好んで匿名をつかい進んで悪事ばかりする日韓両国の治らないネットなどでのそしり、あるいは命令なく自動で群れての集団いじめという信じがたい悪癖なのではないか。