先日、茂木健一郎氏が「クソリプの背後に人がいて志向性があるから腹が立ったり傷つくが、できそこないのAIやbotがうみだしたランダム文字列と考えればいい。ネットの文字列には志向性に不可欠な身体性が欠けている」云々とツイートされた。
これについてずっと考えているが、間違っている様に思う。
なにがかというと、僕の意見では、人の本質は体ではなく、精神の方だからだ。精神は科学言語でいえば脳の働きかもしれない。例えば身体障害で四肢や肉体を失っても脳だけ働き続けている様な人に志向性がないかといえばあるだろう。
多分、茂木氏のいう身体性はそういう意味ではないんだろうけど。
そこでいう身体性は、善解釈で推測すれば、「精神全体と一対一で対応するもの」という意味で、分人の否定だろう。ただ深読みかもしれないが。
そういう意味で捉えれば必ずしも間違いではない。つまり無責任な捨てアカウントを非難していると。
脳死状態で体だけ生きている場合、それが人として人格を伴うかといえば、唯の肉の塊になってしまう。
例えば医療の進歩で、永遠に肉体を再生できる様になってから、誰かが脳死後に或る宗派が、ご神体みたく誰か聖者の体を偶像崇拝で永久保存したがるかもしれない。つまり身体性は人の本質ではない。
それで、AIやbotと人の違いは、『匿名モブの嫌がらせ文化(匿名卑怯者文化)は次世代の為にも是非とも撲滅しきる必要がある』や『人の今日的定義はその情報配列の体系性』に書いたが、情報の人的な体系性だといえるだろう。人間らしさの情報系がある。
僕は、その種の人間性をどっちかといえば嫌っている。人を神に劣った存在と思っているので、神的体系性にできるだけ近づこうと努力してきた。ここでいう神性は人間に検知可能な範囲なら知徳や感覚などの超人的で高度な精神性といえるだろう。だからなおさら、身体性は優れた存在の根拠にならない。
アリストテレスは『ニコマコス倫理学』などで、観想(セオーリア)の生活をできるだけ長期化するのがこの世で生きる目的だとし、これを後世は幸福主義と呼んでいる。私はこの点で彼の考え方はかなり正しいと思っていて、実際、その永遠の観想を行いうるのは肉体をもつ人ではないのだ。神的存在だ。
こうしてみると、永遠の観想を行う存在が想定できるので、人類の想像する神性に限りなく近い生物は現に存在しうる。この宇宙か別の宇宙、またはその外のどこかにいるのだろう。その神的存在は我々のよう有限の肉体をもたず世代交代しないかもしれないし、人類には永遠にみえるほど長寿かもしれない。
少なくとも、人は神性を獣性より優れていると感じ、また人間性はこの中間状態にあると感じる。だから人は未来に向け、より神性をまとうよう性選択され進化していく。未来のある地点からみれば現代人は類人猿と大して違いがないほど野卑に見える筈だ。
素直に、神性をできるだけ追求すればよい。
で、この節からいっても、我々は精神性を身体性よりある場面では遥かに重視しなければいけない。もしAIやbotの類が下らない返信を飛ばしてきているとしても、それを作った人か別のAI、botの意図なり偶発がある。
「下らない返信」は現実の実感としてあると感じるが、そういう意味では理論的にはない。
理論的にいえるのは、ある返信現象をうみだしている原因やその合目的性をできる範囲で把握すればいいのであり、それが自分に負担なら通知をきっていればいい。AIやボットとわかるなら自分の主観に及ぼす影響を推し量り、無意味なら無視し、有益そうなら理解や分析すればよい。人なら検体にすればいい。
もともと人は情報の束である。だから言語、視聴覚情報を受けて、自分の情報の束が何らかの変化をするとしたら、それはその情報に或る現象的な意味がある証拠といえるだろう。自分の主観や無意識に変化がなければ感知できていないか、情報量をもっていなかったわけだ。
生物機械として、人は自他に有益な情報(必ずしも自分の主観的自尊心にとって都合のよい情報ではない)だけをとりこみ、そうでない情報のうち、特に有害な情報(必ずしも自分の主観的自尊心にとって都合の悪い情報ではない)を排除しなければいけない。その意味では食べ物を択ぶのと同じであろう。
つまり情報社会に適応するとは、情報の取捨選択の能力を鍛える事になる。だからこそ或る返信を安直に「クソリプ」など臆断できない。今の自分が暗愚すぎ、その返信の真意を理解できないだけかもしれないし、自分の主観的な感情を煽るものだったとしても、実際には塞翁が馬で自他に有益かもしれない。
とはいえ、現実にはどうみても殺害などの犯罪予告、名誉毀損罪や侮辱罪などの犯罪に該当するそしり、誤読、悪解釈など救いがない返信やDM、書き込みの類もあるものだ。そういったものは保存し証拠をとっておき、民事裁判にもちこんだり、現時点の警察は動きづらいにしても刑事告訴するなども対処法だ。
ここで書きたいのは、AIやbotの方が愚かな人間より遥かに英知に満ちているなんて当然の様やってくる近未来だろうし、決して返信しているのが人間だから立派だという風にはいえない。カント人格主義は飽くまで対人の人権を補完する理想だが、ツイッターなどSNS上の対応では現実的に思慮する必要がある。