2019年9月12日

学術は抑圧の理想への置き換え

知性化が単なる防衛機制の一種なら、学問は性的抑圧状態にある他人の自己防衛反応を利用しようとする、人類一般の策謀でしかない。つまり学者は生贄なのだ。
 昇華について芸術家へも同じことがいえる。
 スクールカーストにせよ会社役所にせよ、学者が取った天下なしとは、これゆえ必然なのだ。
 プラトンは現実のギリシアが混迷するに至って、この知性化によって理想国家を空想したが、それは究極のところ物語や漫画、小説、RPGの類と何か違うでもない。当為として語られる哲人王の統治も、プラトン自身が性的抑圧を妄想の中で、自ら王として徳治する夢の国に置き換えたものでしかない。

 哲学者や芸術家が世界を変えられるとしたら、或る実現可能な徳治の理想を語る手腕によってだろう。マルクスが世界を変えることが重要だといっていた様。この計画の方向性が正しければ、人々をより良い状態に導ける。
 徳に関しあたう限り高い理想を掲げられない哲学者はその時点で、役に立たない。