カタカナ英語は、明治以後に流入した和製漢語と別に、主に戦後入ってきた英語その他の欧米語彙をそれ以外と見分けるのには役立つ。
勿論、カタカナ英語は表意性を消失している。しかしカタカナは日本語音だが、英語は日本語音で訛ってしか発音できない。脳は最小要素、最短経路で経済的に物を理解したがるので、日本語が母語の人にはカタカナで記述された方が英語で記述されるより認知的負荷が少なくなる。したがって英単語その他のローマ字などを使う外来語の表意性を直接記すにあたって、恐らく読みづらくば日本語発音での振り仮名つきで記述した方がよいのだろう。
また一般にこの種のカタカナ英語を、既に日本語化された語彙、又は同等の典型的語彙があるのに無用な場面で使う傾向は、衒学か気取りの一種と受け取られるが、同時に演劇的文脈では出羽の守的な欧米かぶれの学者や起業家といった風を現せる利点がある。