全体主義とか上に従順とかは神道の特徴であって儒教ではないな。儒教って君子道徳であって当時の政治権力とはしばしば対立するからな。それどころか儒教は強烈な個人主義で、「千万人と雖も吾往かん」と孟子がいっていたよう、当時の多数派世論とか一般民衆とかと正反対の主張を自らの良心に基づいてするわけで、全体主義なんて全く対極にある考えだ。
なぜ日本の一部の人が神道の特徴を儒教とすりかえるか、何らかの無学だろうな。
孔子は当時の政権と意見が合わないだけで、普通に官吏になるのを潔しとしなかったから長い間、民間の教師状態の在野の哲学者だったわけで、お上に従順なんて考えは毛頭ない。つまり従順さの思想でも全然ない。恐らく忠や悌をさしてるのだろうが、それも徳に基づく概念だから、従順なものでもないし。
和を全体主義の意味で使ったのも、上にさからうなといったのも聖徳太子の十七条の憲法であって、それを現代にまで延長させてるのは皇室を中心とする神道だよ。神道信者の一部は国家神道とただの神道を分けて、国家神道を明治から現代までの宗派みたいに言ってるが、これはほぼ嘘だ。本当は同じものだ。
天皇が仏教とのすみわけとして奈良時代に作った新興宗教が神道で、それは建国神話を含むものだったので、はじまりからして国家の統治権の正当化のための虚構だった。明治期に捏造されたのは国家神道ではなく、日本国という各大名や諸民族の統治する、旧国名、地域名を一まとめにした概念でしかない。