鈴木雄介ブログ
2019年5月1日
万人の啓蒙は不要かつ不可能
愚かな人を説得する時間は全く無意味であり、彼らの業のままに任せた方がよい。賢い人は自らにまさる賢者が見つからなければできるだけ単独で生きるか、賢い人同士で集まっているがいい。
孔子の言う通り、中人以上にしか啓蒙の必要はない。そもそも愚人に徳目は理解できないのだ。愚かな人、卑しい人は悪例によって世の反面教師となる為に、自ら学ばず愚行や悪行をくり返す様にできている。
賢者はその賢さに順じて自らに到達できる最上の徳行を行えばよく、中庸を極めるという意味でその上限はない。
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